<甲九“英仏海峡海空戦_2nd”>
「ああ、だめだだめだ!」
双眼鏡で艦載機の戦いを見守っていたシューマッハーは、拳を作って叫んだ。
せっかく飛んで行ったのに、異様に鋭い動きの敵戦闘機に追い散らされている。
「少将、落ち着いて下さい」
たまらず、バルターが双眼鏡を取り上げた。
彼らの乗る戦艦『リシュリュー』は、今のところ防空以外仕事が無い。
だが、先に行った『フリードリヒ』や『ビスマルク』は既に盛大な打ち合いを始めている。遠くて良く分からないが、どうやら敵の戦艦が深手を負ってもうもうと煙を上げているようだ。
「ま、あの頑丈な『フリードリヒ』が、そう易々とやられても困るか」
第一次大戦での“あの大海戦”で、独艦隊は遠距離から撃ってくる当時巡戦だった『金剛』に叩かれ、それをきっかけに殲滅されたのだ。遠距離から撃ってくる、ということは弾は上から落ちてくることになり、当時は防御が重視されていなかった甲板を散々縦に打ち抜かれたのだ。
今参戦している独戦艦は、当然それをふまえて防御設計がされている。
「まぁ、『ビスマルク』以前のは、少しあやしいのだが」
「『古い連中』の設計ですからなぁ。しかし、去年艦載機の爆撃で大穴あけられてから、随分鉄板を貼り足したはずですが」
「ああ、おかげで二千トンは重くなったらしいですね。無理しないと三十ノットがでないそうな」
「『フリードリヒ』にも、当たってるように見えるんだが……全く、頑丈だ」
「おかげで六万トンですわ。まぁ、今のところ、当たりどころがいいのかも知れませんが、おや?」
「どうした」
「敵が、たまらず向きを変えたようです」
そこに、旗艦から新しい命令が入って来た。
『敵艦隊変針、同航戦に切り替えつつあり。現在旗艦との距離二万七千。第三戦隊の突撃を命ず』
「やっと出番だな。全艦、突撃!」
「よし、いい距離だ!」
ハーウッドは面舵をとりつつある『ネルソン』の艦上で叫んだ。
こちらはこちらで、自分の間合いでやっている計算だ。
後ろからは後続が一隻も失われずについて来ている。
空襲で一時は混乱に陥った水雷戦隊も、立て直されたという連絡が入っていた。少々出遅れたのが気掛かりだが、完全にやられたのは重巡『ドーセットシャー』と駆逐艦一隻だけ。戦力としてはまだまだ健在だ。
そして、『ネルソン』が集中的に撃たれていたおかげで、後続の戦艦達がほぼ無傷で着いて来ている。旧式艦とは言え、ここまでよれば十分に命中が期待できるはずだ。
逆に戦力として逆に心配なのは、『ネルソン』の方だ。
もう満身創痍である。
撃てる主砲は二番砲塔一基だけ。それも、右砲が爆風で曲がってしまい、二門しか撃つことができない。火災が広がり、消火のための応急注水で、ただでさえ遅い速度が二十ノットまで低下している。
いや、これだけ撃たれてまだ二十ノット発揮できているのこそ、タフさと幸運の印ではあった。速度にこだわらなかった『ネルソン』は、比較的機関部が小さく、敵弾がそこに当たらなかったのだ。
だが、もう、限界だ。
「提督、そろそろ離脱させましょう。旗艦として十分働いたと思われます」
「そうだな、二番艦に連絡を。機関が無事なうちに、離脱させよう。大事な将兵は、明日に残さねば。艦長、面舵……」
――どがぁああああん!
竜の咆哮のような轟音と魔王のハンマーのような衝撃がネルソンを襲った。
「二番砲塔貫通……!」
直後、誰のとも分からない悲痛な叫び声が、艦橋に響き渡った。
ハーウッドはいつの間にかふき飛ばされ、気がつくとさっきと全然違うところに転がっていた。
体中がどうしようもなく痛い。
気力を振り絞っておそるおそる頭を上げると、将兵の死体のようなモノと、黒い煙が目に入って来た。
そして、窓の外はふき上がる炎。
「艦長はどこだ!」
ハーウッドは艦をなんとかさせようと、艦長を探した。
「艦長……」
見つかったのは、艦長の手だけだった。
――そういえば、スミスはどこだ。他の参謀は。総舵手は。
「糞っ、煙で何も……これはいかんな……士官は俺だけか。マイクはどこだ? イテテテ……ああ、なんたることだ」
手探りで見つけたが、マイクが巧く掴めない。痛いと思ったら右手が手首でポッキリと折れていた。
しょうがないので、左手でマイクを取って「状況を!」と叫ぶ。が、いまいち声が出ない。体じゅうが痛すぎる。
「さて、困った。いやそうでも無いか」
急に煙が退いて視界が良くなった。
さすがだ、もう消火が進んでるのか。しかし、なんであんな所に水面が?
なにか随分傾いてるし。
ああ、だめなのか。俺が命令するのか。
また視界が悪くなってきたな、しょうがない。
「そういん、たいか……」
「撃ち方初め、フォイアーァ~~~~あ!?」
独第三戦隊指令シューマッハー少将は。射撃命令と拍子抜けた声を同時に出した。
水平線のちょっと向こう、『ネルソン』が居る辺りから凄まじい煙が上がってきたのだ。
そのとき「旗艦より『ネルソン撃沈』!」との報告が入ってきた。
「おお、やったな」
――ずどぉぉぉん!
シューマッハーの言葉に合わせるように、フランスからの借り物艦隊である、第三戦隊が、おくればせながらも射撃を開始した。
戦闘から『リシュリュー』、『ジャン・パール』『ダンケルク』『ストラスブール』の四隻が一列で進む。どの艦も、主砲を四連装にして前部に集中したユニークな設計だ。
それを活かすべく、今までは縦に並んだ第一、第二戦隊のさらに右舷後方を進んでいたのだ。
先ほどまで敵とは斜めに向かい合って進んでおり、距離があった。だが、敵が変針して同航戦に移ったために、敵戦隊後方に位置していた六、七番艦が、右舷側から有効射程内に入ってきた。
「撃ちまくれ! 敵のしっぽを喰いちぎるのだ!」
シューマッハーは、わざとらしくはっぱをかけた。
かけながらも、右舷に迫る敵水雷戦隊の様子をうかがう。
「これなら、敵戦艦に集中できるな」
独駆逐艦隊や、これまた借り物の『ジャン・ド・ヴィエンヌ』をはじめとするフランス製巡洋艦隊が、空襲で混乱している隙に、敵本隊との間に割り込むことに成功していた。敵は素早く体勢を立て直したようだが、そのわずかのタイムラグの間にに、ばっさり分断したのだ。
そして、数十秒後。
敵のしんがり、『クイーンエリザベス』型戦艦が発砲を開始。その一呼吸の後、先ほど放った初弾がその近くに水柱を上げた。
全弾はずれ。水柱は全て右の方に上がっている。
シューマッハーは「ベルガーならもう少し巧くやったかな」、と思ったが口にしなかった。彼ほどの名人はそう居ないのだ。
二番艦の『ジャン・パール』も、ぼちぼち射撃を始めているが、まだ命中は無い。
――まぁ、撃たれてると分からせるだけでも、効果があるさ。
後ろの方に居る敵戦艦は、位置関係の都合が良い、こちらの第二戦隊を攻撃している。
第二戦隊は、巡戦『シャルンホルスト』とポケット戦艦が二隻。まともな戦艦と撃ち合いをさせるのは、酷と言うものだ。なんとか、気を引きたい。
「てーとく……戦闘、始まっちゃったね、ごはんどうするのぉ~?」
ごたごたしているうちに、いつの間にかピエールが大きなカゴを抱えて立っていた。
「頼まれた野菜サンド、作ったからみんなで食べーる。中国人も、腹へっては戦えないって言ったの~」
シューマッハーは「ありがとう」と素直に野菜サンドを一つカゴから取った。
忙しいので急いで口に放りこんだ。
一瞬ためらい、また口に押し込む。いっぺんに食べてしまうのが勿体ないほど美味しかった。
――ああ、早く戦争を終わりにして、ピエールの店に美味いものを喰いに行きたいものだ。
喰っている間にも数回の射撃があり、最後尾の敵艦に挟叉を得ていた。
「もう少しだな。悪くない」
気が付くと、敵艦隊の後ろから三隻分の狙いがこちらに向いている。
だが、撃ち返せるのは後部砲塔だけだ。
すかさず、横から第二戦隊の三隻が、二十八センチ砲をつるべ撃ちにする。
「敵最後尾に命中弾!」
「『リュッツォウ』に直撃!」
二つの叫び声が重なった。
前方の海面上、二カ所で火の手が上がる。
左舷側では『リュッツォウ』から上がる火と煙が、見る見るうちに大きくなって行く。そして、たまらず左の方にゆっくり脱落して行った。
「やられてーんの?」
「やられた。こっちもやったが。ピエール、ここも危険になるから、さがっていてくれ。貴様に死なれたら、戦争を終わらせる楽しみが一つ減っちまう」
「ウィ、ムッシュ」
と言って、ピエールがばたばたと厨房に降りて行く。
その間にも、砲撃戦は激しさを増してきた。
先に一撃を与えた最後尾の『クィーンエリザベス』級敵艦が速度を落とし、結果として寄ってくる形になった。
そこに、『ダンケルク』と『ストラスブール』が加わって三十三センチ砲弾をここぞとばかりに叩き込んで行く。袋だたきに遭ったそれは、数度の反撃の後に大きく傾斜し、その場で動かなくなった。
「まだまだ、だ。第二戦隊が苦戦してるぞ!」
シューマッハーがそう叫ぶと、第二戦隊と交戦中の他の戦艦に目標を変えさせた。
強力な第一戦隊は、手を貸す必要など無い。
強敵『ネルソン』は、巨大な炎を煙を吹き上げながら横倒しになってしまった。
そして、後ろから第三戦隊が加わったところから、第一戦隊は敵の前半分に集中でるはずだ。新鋭艦五隻で、旧式艦三隻に対峙することになる。数でも質でも完全に優位に立っている。
砲戦距離は思いのほか詰まり、二万一千乃至二千の、戦艦同士としてはやや接近戦気味となった。
英旧型戦艦は『ネルソン』を撃破した頃から反撃を開始している。
しかし、重防御を誇るドイツ戦艦は英国製の三十八センチ砲弾のほとんどを弾くか、致命傷とならないところで受け止めていた。
逆に英戦艦は大改装を施されたとはいえ、やはり旧式。高性能のドイツ製三十八センチ砲から放たれる砲弾を受けきれずに、あちこちで大損害が発生していた。
「いい感じだ。余分に鉄板を付け足しておいて、正解だったようだね」
後ろから見る限り、『ビスマルク』や『ティルピッツ』にたいした被害が出た様子は無いし、そう言った報告も来ていない。
接近戦に持ち込んだため、さらにそれらの防御力は光っていた。低い弾道で飛んでくる砲弾は、独戦艦の恐ろしく分厚い垂直防御を貫けないのだ。
「それで、いかがいたしましょう」
「いかが、と言われてもな。帰趨はともかく、まだ敵が居る。前進あるのみ!」
――がきん!
甲高い金属音とともに、敵弾が弾かれて何処かに飛ばされた。いつの間にか、第二砲塔の天蓋に傷が出来ている。そこに当たったのだろう。
「リシュリューも、意外と丈夫だな」
「水平防御なら、改装前のビスマルクと互角以上ですから」
いま命中した砲塔などは特に分厚い装甲が施されているので「ほぼ」無傷だ。しかし、非装甲の高角砲や船外のボート、機銃などに喰らえばかなりの損害が出るのは必至だ。そうなると後々、空襲等があった時厄介だ。
おそらく、他の戦艦も似たような状態だろう。痛い所は、当たれば痛い。
だが、戦艦同士の殴り合いには支障はない。
現在も「ほぼ」健在とおぼしき『フリードリヒ』からは、さらに敵三番艦に砲撃がくわえられていた。
その砲弾は間もなく装甲をぶち抜き、中を食い荒らして大量の「戦艦の一部」をあたりにばらまいた。中から大量の煙と炎が吹き出して行く。
また一隻、撃破したようだ。
「射撃は続行するが、深追いは無用だ」
敵二番艦は、『フリードリヒ』を撃っている間に『ビスマルク』の砲火をまともに浴び続け、かなりのダメージを受けてしまっていた。必死にこちらに砲弾を放ってはいたが、朦々と煙を上げて離脱しつつあった。
今しがたフ『リードリヒ』の四十センチ砲弾をまともに食らった三番艦は、火災とともに傾斜も酷くなり、射撃も急に散発的になった。沈むのも時間の問題だろう。
四番艦は、相手が三十八センチ連装三基と比較的戦力の低い『ヨルムンガント』級二隻だったためか、被害は少めのようだ。
しかし、状況がいかにも不利になってきていると見たか、右舷に離脱しつつあった。
そして『リシュリュー』と交戦中である敵五、六番艦は、四番艦に続いて離脱しようとしているらしいが、砲撃に第二戦隊も加わったおかげで、撃破も時間の問題だった。
状況が進むにつれ、シューマッハーは「そろそろ潮時かな」と呟いた。
司令部も同様の判断をしたのか、そこに新たな命令が届いた。
『逃げる相手は追うな。これより、速度を落として直進せよ。後続を待ち、艦隊を再編する。敵はまだ沢山居るのだ』
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