私と、ご主人さまと。
あきさん
序幕 再構築。
#01
――はい、ご主人さま。
何度、感情を込めずにそう呼んだだろうか。
何度、温度のない声でそう答えただろうか。
私が大人しく頷くと、決まってあの人たちは手を伸ばしてきた。
たたただ、煩悩に支配された醜い表情を浮かべながら。
でも、立場上、拒めるはずがなくて。
結局私は、なされるがままに、剥かれて。
後は、ひたすら、耐えるだけ。
一刻も早く終わることを願って、ずっと、目を閉じていればいいだけ。
どれだけ乱暴にされても、きゅっと唇を噛みしめて。
どれほど粗雑に扱われても、ぐっとシーツを握り締めて。
だけど、玩具は使っているうちに、いつか飽きがきてしまうもの。
あれだけ執拗に嬲られた身体も。
あれほど粘着質に遊ばれた部分も。
何もかも、あっけなく。
やがて、故障し役目を終えた機械のように。
私はまた、捨てられた。
****
機械仕掛けの都市マキナ・マギナ。
町の外周をぐるりと囲む無機質な鉄の街壁と、歯車や機械をモチーフとした外装の城があることから、この国はそう呼ばれている。また、いくつかの巨大な水路によってはっきりと区画分けがされているため、機械車で国内を行き交うのが基本という部分も大きな特徴の一つらしい。
ちなみに、私が今いる場所は、王族区というところ。城に仕える兵士や使用人、正式な貴族だけが住める特別な区画だ。しかし同時に、国が唯一頭を抱える問題のエリアでもある。
その問題とは、王族に並ぶ権力を持った一部の貴族たちによる国政の介入。
一時期、財政が追い詰められどうにもならなくなっていた王族たちは、とある貴族の甘言に逆らうことができなかった。そして、苦渋の決断と引き換えに、貴族たちの力を借りながら産業を発展させてきた。
機械都市と呼ばれるまでになった背景の裏には、そんな内部事情がある。今でも国の生命線を握っているのはもちろん、一部の貴族たち。当時から握られたままの弱みを盾にされてしまえば、王族の誰もが貴族たちを咎められない。自身の国が潰れてしまうとわかっているからこそ、誰もが罰することなんてできない。
たとえ、好き勝手にやりたい放題されても。
たとえ、そこに涙を呑むしかない人たちがいても。
今も引き続き行われている非倫理な行為も、過去の倫理的な理由をもって打ち消されてしまう。
回路がなくなってしまえば、機械は停止する。
皮肉なことに、この国の名前は機械都市。
貴族は回路で、その他の王族や人間は、国という形を成すための部品でしかない。
機械は回路がなければ、動かない。
部品だけでは、回らない。
だから、現在も、こんなふうに――。
「……えー、即決は六千万。扱いをどうするかはあんたらの自由。さぁさぁ、買った買った!」
「二千万!」
「二千五百万!」
「三千二百万!」
不快な、最早聞いた回数がわからないくらいに麻痺してしまった数字の羅列が耳に響く。
私が先日までご主人さまだった人に連れられて来たのは、競売所だ。王族区の地下にある、国外には知られていない秘密の場所。外界に知られることは許されていない国の汚点。
「なぁ、その子、お務め専用にしちゃってもいいのか?」
「ああ、お務め専用だろうがなんだろうがあんたの好きにして構わんよ」
「よし、なら五千万出そう。……ふふ、今宵のお務めが楽しみだ」
お務め。
機械都市では主に一方的な遊興を指す、下種な隠語。
したくもない相手に、無理矢理そうさせられて。
繋がりたくもない相手から、自分のために動けと命令されて。
「……まぁ、使用済みにしては上出来な金額か」
しかし、さすがに慣れてしまった。いい加減、慣れてしまった。
そういった意味での興味を示す下品な眼差しも、私に対する興味がすっかり失せている瞳も、最後まで人として扱われていなかったことがわかる言葉も。
だから、私は暗示をかける。
人の形を保っているには、そうするしかなかったから。
結局道具なんだって、感情に蓋をして。
ただの機械のように、これはまっとうな仕事だと受け入れて。
隷属側の私には、発言権や拒否権なんてものはない。
剥かれても、ひたすら、耐えるだけ。
咽び泣く心に蓋をして、ずっと、目を閉じていればいいだけ。
どれだけ乱暴にされても、悲痛を快楽だと誤魔化して。
どれほど粗雑に扱われても、悦んでいるふりをして。
「……ふむ。五千万以上出すってやつは、他にいるか?」
だけど、玩具は使っているうちに、いつか壊れてしまうもの。
あれだけ執拗に弄ばれた身体も。
あれほど粘着質に掻き回された場所も。
何もかも、ふとした時に。
「……さすがにいないようだな」
やがて、使用をためらうくらいに汚れた玩具は。
あっけなく、捨てられる。
終わらない繰り返しが、またしても繰り返される。
「では――」
「――あんさ、一億出していーい?」
決定を遮るように、ひょうひょうとした声が静まり返っていた空間に反響した。驚きに戸惑う全員の視線が声の発生源へと一気に集まる。
それもそのはず、即決額以上の金額を提示した人なんて、今の今までいなかったからだ。ましてやここで売られる人間なんて、当然、キズモノだからこそ。
「あ、ああ、あんた正気か……?!」
「残念、素面なんだなーこれが」
周りの貴族たちとは対照的に、なんてことないと言いたげに声の主がひらひらと手を振る。
帽子を被っているせいで実際にどうなのかはわからないけど、見た目は私とそこまで離れていない印象。身なりはすぐに貴族だとわかるくらいに立派ではあるものの、煌びやかな宝石や必要以上に派手な服で着飾っているわけでもない。
「で、そこんとこどう? 元ご主人さま?」
言葉選びや声のトーンなんかは完全にお調子者で、薄っぺらい。なのに、どこか大人びているようにも思えるあたりが不思議な人。
「ん、んん……私としてはむしろありがたいが、他の者はどうだか……」
「じゃ、そんな物好きがいた時は二億でー」
「にっ……!」
当の本人はさらりと言い放ったが、空気は瞬時に凍りついていた。私だって、正直びっくりしている。お金がいくらあったとしても、こんなキズモノ相手に即決額の二倍近くどころか三倍近くのお金を積むなんて、本当にバカげている。
そういった両方の意味で誰も声を発せずにいると、彼は満足げに吐息を漏らす。
「……取引成立、だね?」
かと思えば、今度は有無を言わさない迫力のある不敵な笑みを浮かべたり。……掴めない人。
ぽかんと口を半開きにしたままでいると、彼がこちらに颯爽と近づいてきた。
私の目の前までやってきた彼は被っていた帽子を取り、軽く頭をぺこりと下げる。
「はろーはろー、ご覧のとおり僕が君の新しいご主人さまになりましたよっと」
「……はい、ご主人さま」
「いやぁ、これまたずいぶん冷めてる子だこと。……ま、そりゃ当たり前だわな」
あれ、間違ったかな……? 私はこれまでどおり、今までのご主人さまたちと同じように、誠意を見せて接しただけなのに。
なぜか、新しいご主人様は悲痛な笑顔を私に見せる。でもそれは一瞬のことで、すぐに優しげな微笑みへと表情を変えて。
「君、名前は?」
名前を聞かれたのなんて、いつ以来だろう。
お前に貴様、あとは役立たずとか、ずっとそんな呼ばれ方ばかりだった。
「え、えっと……」
どす黒い色で塗り潰されてしまった記憶の海から、途方もない悪意と失意の掃き溜めの中から、ひとかけらの懐かしさを探す。
「……ヴィオラ、です、たぶん」
「おー、ヴィオラちゃんね。はいはい、覚えましたよっと」
思い出すのに少し時間がかかってしまったけど、新しいご主人さまは私を一切責めなかった。それどころか、しきりに頷いていてなんだか嬉しそうだ。これまでのご主人さまたちは、返事をするのが一秒でも遅かったりすると私を罵倒してきたのに。
「そいじゃ行こっか、新しい君のお家にさ」
一つの道具じゃなく、一人の人間として扱ってもらえたのなんて、本当にいつ以来だろう。
家畜以下の扱いを受けてきた期間が長すぎて、振る舞い方はとっくに忘れてしまったけど。
今、少しだけ。
まだ、ほんの少しだけど。
「……はい、仰せのままに」
真っ暗だった私の心に、ようやく暖かな光が差し込んだ気がした。
それが、最後のご主人さまになる人との出会い。
同時に、私がもう一度、人として歩めるようになった瞬間の出来事。
そして、何よりも。
初めてできた大切な人との、始まりの奇妙な邂逅だった。
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