女王の箱庭

岬 茉莉花

序章


今から5年前の夏

それは、あまりに突然な知らせだった

茹だる様な暑い夏のある日、そう、それはよりによって私の誕生日にやってきた。


「お姉ちゃんが……死んだ……?」

「はい。神田麻依さんはお亡くなりになりました。死因は交通事故です。」


信じられなかった。いや、信じたくなかったのかも知れない。かけがえのない家族が、一人で逝ったなど…信じたくなかった。

黒いスーツと黒ネクタイをした初老の男性は、淡々と事務的に、姉の死を告げる。

真っ黒な、まるで深い闇の中のようなサングラスの奥にある目を伺う事も出来なかったので、男が嘘をついているかもわからない。

ただこれ以上男が姉の事を聞いても何も答えないと言う事は、父にも私にも分かっていた。否、そうせざるを得ないような圧力を男から感じたのだ。

そして男は、革製の鞄から小さな一つの箱を取り出すと「これが麻依さんの遺品になります」と言って、一枚の写真と共にテーブルの上に置いた。制服を身に纏い、左薬指に指輪をはめて微笑む姉の姿が映っていて、箱を開くと写真に映る指輪が静かに眠っていた。

そして男は口を開く

「これは麻依さんが在学中常に身につけていたものです。生前麻依さんは、この指輪をそれはもう大切にしていました。事故当時この指輪が現場近くで発見され、今日お持ちした次第です。」

「あ、あの……この指輪以外に…娘の遺品はないのでしょうか?」

父親が震える声で尋ねる。

「ありません。こちらのみです。」

「そう……ですか…」

男は言い切った。突き放すような、これ以上有無を言わせないとも取れる程に冷たい言葉で。真っ黒なサングラスの向こう側の目は、隠れて見えない筈なのに、鋭い視線を向け、まるで動けば殺すと言っているような….そんな感覚すら覚えた。


男は去っていった。






「お父さん…私、流神学園に行く」



その一言に父がどんな顔をしたか、はっきりとは憶えていなかった

でも、好きにしなさいと言う父の声は凄く優しかった気がしたのだけは、はっきりと覚えている



姉さん、本当に死んでしまったの?

いや、そんなはずはない!

だっていつだって強い人だったから

だから、私が必ず見つけ出すんだ

突き止めるんだ!姉さんがどうなったのか



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



ピピピピ ピピピピ



目覚ましのアラームが鳴る。起きろと囃し立てる時計が指している時刻は午前5時頃だ。

世間ではゴールデンウィークが終わり、長い休みの後に起こりがちなやる気の低迷を五月病だと揶揄している時期。

「もうちょっと休みたい」とか「仕事行きたくない」とか…きっと、皆使っているであろうSNSではそんな言葉が溢れかえっている傍ら、それとはちょっと違う理由で学校を休みたい少女は目を覚ました。


生徒氏名 神田愛美(かんだ まなみ) 齢15歳

この春から流神学園高等部に一月遅れで入学してきた……内気で根暗な少女。

布団の隙間から見えるのは寝癖で自由にはねているこげ茶のショートボブ、その隣からゆっくりと伸ばされた白い手はベッドサイドにあるダサさ満載の丸眼鏡を通り過ぎ、先程から喚き続きている時計のアラームを止める。それからゆっくりと起き上がり、大きく背伸びと欠伸をすれば、本日一回目の大きなため息をついた。

先程無視して通過した丸眼鏡をかけるとベッドから降り、真っ先に台所へ向かう。


世間から見れば、愛美は列記とした高校一年生の少女…なので、学園が親元を離れて通う生徒のために用意している学生寮で生活している。彼女以外にも寮生はいるが、誰もかれもが 愛美とだけは 関わろうとしない。

洗濯・炊事・掃除…本来ならば寮母や同じ寮生と協力してやっている作業。初めのうちは彼女と一緒にこなしてくれていたが、次第に皆彼女の分だけは手を付けなくなり…挙句、やってくれたと思いきや服が切り裂かれたり、ゴミを皿に盛られて出されたり…他にもいろいろされているが寮ぐるみでの虐めが始まったのである。

彼女はこんな早く起きて台所へ向かったのは、本日食べる三食のご飯を一度に作ってしまうためだ。ちなみに今日の献立は…冷蔵庫にかけられているホワイトボードにはこう書かれている。


【本日のメニュー】

朝食 ご飯・味噌汁(ワカメと豆腐)・卵焼き

昼食 おにぎり(おかか・鮭・梅干し)・水筒にはカレー

夕食 ご飯・コーンスープ・魚のムニエル・温野菜サラダ


昨日の時点で書いたのは正真正銘自分であることには間違いないが、数秒ホワイトボードを見つめると本日二度目のため息をつきつつも早速作業に取り掛かる。

姉が実家を出てからというもの、父と二人で生活してきた時に身に着けた家事スキルがこんなところで役に立とうとは…恐らく当時まだ小学生だった愛美は思ってもみなかっただろう。よりにもよって精神衛生上、思春期の少女が健やかに育つには劣悪とも言えるような環境下で。


午前6時前、手際よく本日の食事を用意した後はシャワーを済ませて制服に身を包み、朝のニュースを見ながら朝食を頬張るのだが……今日はどうやら特番がやっている様だ。

テロップにはこんな文字がデカデカと自己主張している。


"女王陛下、新たな女王選定を発表!!"


いつもならば冷静にニュースを伝える女性キャスターが若干興奮気味にコメントしていて、その隣でキャスターと様子を同じくしている男性タレントとやり取りをしている様だ。


"本日中に候補者に手紙が届く予定との事ですが、候補者は秘匿されていますので届いたら途轍もない幸運ですよねぇ!"

"そうですね!今回はどんな【お姫様】が選ばれるのか楽しみです!"

"今回はなんと7人!この人数は過去に数回しか開かれなかったオールスター!

これは波乱の予感です!"


ピンポーン


突然、自室のインターホンが鳴る。こんな時間に誰だろうと警戒心を滲ませつつ、取り敢えず受話器とモニターを見ると1人の男子生徒が扉の前に立っていた。


「は、はいっ!どちら様でしょう……か?」

「お届け物をお持ちしました。直接お渡ししたいのですが、扉を開けて頂けますでしょうか?」

「あ…はい……今開けます」


「おはようございます。神田愛美さんでお間違いないでしょうか?」

「おはようございます…はい、本人ですが……」

「確認のため学生証のご提示をお願い致します」

「これ……ですか?」

「確かに。ありがとうございます」

「あの……」

「お手紙をお持ちしました」

少年はワインレッドの分厚い封筒を差し出して来た。愛美は恐る恐る封筒を受け取ると少年は続ける。

「それと本日から登校手段はお車でとなります。詳細はそちらに記載されておりますので、ご一読下さいませ。では、8時前にお迎えに上がります」

伝えるべき事を伝えると彼はそそくさと姿を消してしまった。

愛美は取り敢えず周囲に誰もいないのを確認してから扉を閉めると、これまた丁寧に鍵までかけて途中になっていた朝食を再開した。

ワインレッドの分厚い封筒には、金色のシーリングスタンプがされていて、刻印は…


「女王の王冠……」


そう。今まさにテレビに映っている女王を示すロゴマークであった。


"本日中に候補者に手紙が届く予定との事ですが、候補者は秘匿されていますので届いたら途轍もない幸運ですよねぇ!"


「早すぎません……??」



午前6時半、1人だけの部屋に少女の声は虚しく木霊したのである



序章 END

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