第26話 大学進学

 舞子は高校を無事、卒業した。仕事の関係で出席日数はギリギリだったのだが、試験の成績が優秀だったので、卒業証書を受け取る時、校長先生に、

「よく頑張りました」

とお褒めの言葉をいただいた。


 其田は舞子に大学へ進学してもらいたかった。舞子は世間知らずだ。だから、見聞を広げて欲しいと思ったのだ。

「舞子、日本芸術大学なんかどうだ。演劇というものを基礎から学び直せる」

 其田は言った。しかし、舞子は、

「大学に行く暇があったら、女優の仕事を一つでも多くしたいです」

と断った。だが、其田は舞子の進学に熱心だった。

「そんなこと言わずに、大学に行ってみたらどうだい。必ず、舞子の演技にとって有用なことが学べるはずだよ」

 と強く薦めた。

「社長がそこまでいうのなら」

 舞子は折れた。そして受験勉強に取り組みだした。寮の部屋にこもって、机に向かった。舞子は暗記が得意だ。毎晩必死に参考書をめくる。急に受験をすることに決めたので急ピッチで勉強を進める。日本芸術大学の試験科目は国語、英語、日本史と実技の四教科だ。国語は日頃から接しているから楽勝だ。問題は英語で、舞子は関係代名詞がさっぱりわからなかった。その代わり、単語やイディオムを覚えるのは簡単だった。日本史は全くトンチンカンなので、山川出版社の日本史の教科書を丸暗記した。本当に、すごい記憶力だ。

 

 受験当日、寮のおばちゃんに必勝おにぎりを作ってもらった。以前、共演した和泉ワク子に「料理くらいやりなさいよ」と説教されたが、舞子は実行できないでいる。おばちゃんの作る料理が絶品なので、わざわざ、美味くもない料理を作る必要はないと舞子は考えていた。

 その日は、関東南部、東京に15センチの積雪があった。各交通機関にも影響が出る。

「俺の車はスタットレスタイヤだ。鉄道は麻痺しているだろうから、送るよ」

 其田は腕まくりをした。そして、事故った。

「舞子、悪いがタクシーで行ってくれ」

 と顔を赤くして口を開く其田。

「試験当日に当たるなんて、合格のフラグが立ったみたいですね」

 と舞子はおどけた。動揺は見せない。あの緊張症の舞子に心の余裕ができたようだった。

 タクシーはすぐ来た。舞子一人乗り込む。そして、日本芸術大学の試験会場に向かった。

 日本芸術大学は演劇者、芸術家、評論家などを多数生み出している。言って見れば芸術界の東京大学だ。その門は狭い。だがそのそれを突破するために、多くの受験生が集まっていた。舞子の隣に座った男子は、

「有名な役者になって、くまモンと共演したい」と小さな夢を語った。


 午前中の筆記試験は舞子にとって楽勝であった。問題は午後の実技である。世間では舞子の演技はうまいと言われているが、それは才能が後押しした自己流の演技である。果たして、頭の固い教授陣が高い点数をつけるだろうか。教授陣は当然、舞子の活躍を知っている。それだけに舞子の演技に難癖をつける可能性は大いにある。でも、舞子にとって、それはそれでよかった。自ら望んだ受験ではない。其田に気を使って受けている試験だ。不合格になれば、女優の仕事がたくさんできる。本音としては、できたら不合格になりたい。でも、其田の恩義に感謝している。其田の残念な顔は見たくない。だから、本気で実技試験を受けようと舞子は考えていた。


 試験は面接会場で行われた。五人一組になって一つの演技を行う。台本は昼休みに入る前に皆に配られていた。四十五分で覚えろということだろう。題材は『ブレーメンの音楽隊』の冒頭部分だった。舞子はねこである。飼い主に捨てられるねこ。舞子は寒さに震えるねこを表現した。ねこになりきって。あまりの演技のうまさに、残りの受験生は呆気にとられる。そして、自分の演技を忘れる。舞子と一緒に受験した四人は己の演技と、舞子の演技とのあまりの差に愕然とした。舞子は若いと言ってもプロだ。舞子にかなわなくて当然なのだが、精神的ショックは大きい。嫌なグループに指名されたと不満が心を占めた。御愁傷さま。


 試験から二週間後、合格発表が行われた。演劇科の合格者は三十。それに二百余名の受験者が挑んだ。果たして舞子の合否は? しかし、舞子は合格発表の場には来ていなかった。今年も行われる『東京ギャルズコレクション』に向けての採寸を『モンサンミッシェル』本社で行なっていたのだ。舞子は『モンサンミッシェル』の専属モデルだ。契約はまだ続いている。舞子にとっては、あまり気乗りしない仕事だが、合格発表を見に行くよりはいくらかマシだ。馴染みのスタイリストさんもいて、おしゃべりするのも楽しかった。そこにメイク兼マネージャの馬場正子のスマホに電話がかかる。

「はい、そうですか!」

 電話をかけて来たのは、其田である。彼は舞子に代わって、日本芸術大学の合格発表を見に来ていたのだ。

——1869、一発無泣。合格だ。

「わあすごい。舞子ちゃん、大学合格よ」

 正子が喜んで報告する。

「まあ、おめでとう」

「やったね」

 スタイリストたちが口々に褒める。

 しかし、舞子は無表情のままだ。

 そこに社長兼メインデザイナーの門田が現れ、

「今夜は食事でも奢らなくちゃいけないな」

と話す。舞子は、それを聞いて初めて笑った。

「ありがとうございます。でも、寮でおばちゃんが夕食を作ってくれているので、今日は遠慮いたします」

 あくまでも、寮のおばちゃんの料理に執着する舞子であった。


『東京ギャルズコレクション』は代々木第一体育館で行われた。初出演の時は緊張でハイヒールを履いて歩けなかった舞子も出演数を重ねるごとに場の雰囲気に慣れ、軽快にランウェイを歩く。役者としては『ライバルを探せ!』での怪演が話題になった舞子だが、軽快にランウェイを歩く姿は美しい。客席からは、ため息が聞こえる。関係者席でそれを見ていた其田に門田は、

「舞子くんは、モデルとして超一流です。TVで奇怪な役を演じるよりモデルの仕事一本に絞ればいいのに」

と言った。

「それがダメなんです。舞子は女優という仕事に命を懸けているんです」

 其田は舞子の気持ちを代弁した。


 春四月、桜吹雪が舞い散る中を、舞子は大学へと続く坂道を歩いていた。今日は日本芸術大学の入学式である。気の進まない進学であったが、やる以上は何かしらの収穫を得なければもったいない。其田の期待が身にしみてわかる。

「頑張らなければ」

 舞子は気合を入れて校門をくぐり抜けた。

「舞子ちゃん」

 突然、後ろから声をかけられた。舞子が振り返るとそこには黒上純子が笑顔で立っていた。

「純子ちゃん、どうして?」

 純子は受験会場にいなかった。舞子は不思議に思った。

「わたし、推薦でこの大学に入学したの」

「そうなんだ」

「舞子ちゃんがここに合格したことは風の便りで知っていたの。だから入学式で驚かせようと思って黙っていたの」

「ええ、驚いたわ」

「ねえ、一緒の課程を取りましょうよ。ノートの貸し借りができるでしょ。私たち、全ての授業に休まずに出席することができないじゃない?」

「うん、いいよ」

「やったあ」

 舞子と純子はじゃれあった。それを他の新入生が遠巻きに眺めている。二人は有名人だ。そんな二人と同じ学び舎で勉強できるのかと多くの学生が楽しみに考えていた。特に演劇コースの学生はそんな思いが強かった。


 舞子、純子の二人とも、春期クールは仕事を入れなかった。事務所の配慮である。それは学生生活を満喫してもらいたいという思いがあったからだ。だが講義は舞子らにとって退屈なものだった。知らなくても何の問題にならない演劇史、小手先の演劇理論、学芸会のような実践演劇。期待はしていなかったが全く女優業には役に立たない。純子も同じ考えのようで、二人で講義をサボって、喫茶店でいろいろと話をした。その方がずっと演技の勉強になった。結論として女優業は現場で様々なことを経験して、先輩方や演出家に厳しく指導されることが高みを目指すには最良の道だということで、二人の意見が一致した。舞子は退学も考えたが、其田の残念がる顔が思い浮かんでしまうので、ギリギリのところで踏みとどまった。純子も「舞子ちゃんが頑張るなら、わたしもやるわ」と言って残留した。純子にとっては、舞子が一番、演技を含めた人生のお手本だったのだ。

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