第20話 ステップアップ

 舞子は鏡を見ない。


 舞子は自分の顔が嫌いだった。それは、舞子の顔が父親に瓜二つだったからだ。父親は美しい顔をしていた。だが、性格はひねくれていた。朝からパチンコに興じ、競馬、競輪に金を注ぎ込み、酒を食らった。酔うと性格が凶暴になり、母親や舞子を殴った。舞子の心にまで傷をつけた。母親はそんな生活に耐えられなくなり、家を出た。

(どうしてあたしを連れて行ってくれなかったんだろう)

 と舞子は思う。母親が消えてターゲットは舞子一人になった。暴力が激しくなる。結局、隣室のおばちゃんが気づいて警察に通報してくれるまで暴力は続いた。

 その男の血を継いでいる。鏡を見るたびに思い出してしまう。だから鏡を見ることが苦痛なのだ。自分が出演している『綿菓子を食べる鬼』の放送も見ない。自分の顔を見ることになるからだ。梅野ほのかが、

「自分の演技を見るのも勉強のうちよ」

と言うが、頑なに拒否した。


 舞子は普段、化粧をしない。鏡を見なくてはならないからだ。しかし、テレビドラマに出る以上、最低限ドーランを塗らなくてはならない。それは舞子にとってとても辛い作業だった。なので、なるべく鏡を見ないようにして塗った。とても出来が悪かった。『綿鬼』で共演した和泉ワク子が、

「あんた、酷い塗り方ね、メイクさんにやり直してもらいなさいよ」

と呆れて言った。しかし、其田事務所にメイクさんはいない。そう言うとワク子は、

「じゃあ、わたしのとこのメイクさんを貸してあげるわよ」

とメイクの馬場正子ばば・しょうこを舞子につけてくれた。正子はまだ若く、メイクさんの卵くらいの腕前しかなかったが、舞子が自分でメイクするよりずっと綺麗にドーランを塗った。そして、いつのまにか舞子専任のメイクさんになった。この関係は、舞子の女優生活の最後まで続くことになる。


『綿菓子を食べる鬼』は通常のドラマより長い、2クールに渡って放送された。秋期クールはテレビサンライズの『ドクターZ』に惜敗したが、冬期クールはテレビサンライズのドラマがずっこけ、他局のドラマも、めぼしいものがなかったため、圧勝に終わった。もともといる中高年層の視聴者に加え、舞子観たさの若年層が積み重なっての結果だった。このドラマに出たおかげで、舞子の知名度は格段に上がった。


 其田事務所には連日、四月からの春期クールに向けての舞子への出演オファーの電話が鳴りっぱなしであった。其田はこんなこと雅美が生きていた時以来だなと思った。

 オファーはドラマだけには限らない。映画、舞台、CMと多岐にわたる。どれも魅力的なものだった。

「さて、どれにしよう。いずれにしても舞子にとって、そして我が社にとっても勝負どころだな」

 其田は独り言をつぶやいた。


 その夜、其田は舞子と馬場正子を寮の食堂に呼び出した。正子は元の所属であるアリス企画を辞めて、舞子専属のメイクさん兼マネージャーとして其田事務所に転職していたのだ。それほど舞子に心酔していたのである。

「さて、春に向けて仕事を選ぶぞ。忙しくなるな」

 其田が口を開いた。

「はい」

「そうですね」

 と舞子と正子がうなずく。

「まず、映画、舞台はやめておこう」

「はい」

「どうしてですか?」

 正子が尋ねる。

「映画、舞台は時間を拘束されるし、今回来たのは主演のオファーではない」

「するとドラマは主演のオファーがあるんですか?」

「ある」

「どこの局ですか?」

「まずはジャパンテレビだ。学園ラブコメディの主役にと言って来ている。もう一つは……」

「なんですか?」

「国営放送から、朝ドラ主演のオーディションを受けませんかというお誘いだ」

「まあ素敵。国営放送の朝ドラに出れば、知名度が全国的にアップしますよねえ」

 舞子を差し置いて正子が一人で喋る。

「だがなあ。朝ドラは拘束時間が長いし、ギャラも安い。それに、オーディションだから落ちる可能性がある」

「そうですね」

「だから、ジャパンテレビのオファーを受けようと思うのだが。いいか、舞子?」

「はい」

「朝ドラはもう少し、大人になってからの方がいい」

「はい」

 舞子はうなずいた。

「あとはCMだ」

「どんな企業がオファーして来ているんですか?」

 また正子が聞く。

「花菱東洋UFO銀行。キャルピス飲料。農協。バスキン。ハードバンクだ。全部広告代理店の博物堂からの依頼だ」

「まあ、一流どころばっかり」

「この中から二つくらい選ぶのがちょうどいいと思う。舞子はどれがいい?」

「社長にお任せします」

「そうか。ならば一つはキャルピス飲料だな。清純派を守れる」

「もう一つは?」

 正子が尋ねる。

「ううん。悩みどころだな」

 其田が腕を組む。そして言った。

「ハードバンクかな。例の白いねこと共演だ。舞子、いいか?」

「はい」

「じゃあ、決まりだ」

 其田は立ち上がった。


 深夜。

 舞子は大嫌いな鏡の前に立っていた。照明は消しているので顔は輪郭しか見えない。

「あたしは女優。あたしは女優」

 舞子はつぶやいていた。すると雲間から月が顔を出し、舞子の部屋を照らした。鏡に映る、舞子の姿が鮮明になる。

「ああ」

 舞子は目を伏せた。


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