第10話 CM

 水沢舞子は中学生になった。小学校の先生からは難関の私立中学受験を勧められたが、お金のない貧乏芸能事務所の其田はそれを辞退した。何せ、舞子には仕事のオファーがないのだ。竹沢に特訓を受けている間、仕事はゼロ。世間からも忘れられて「ただの人」になってしまっていた。それでは、高額な入学金と少なからず支払わなければいけない寄付金を用意することはできない。舞子は仕方なく、区立の中学校に通うことになった。


 中学校で、舞子はとても目立っていた。身長165センチを超える長身。透き通った肌に、黒目がちの憂いを持った瞳。そして優雅な所作。男子生徒は色めきだった。けれど、舞子はそれを無視した。神秘性が漂う。

 身長を生かしてバレーボール部や、バスケットボール部が執拗に勧誘したが、それも断った。

「夕方は女優の仕事があるから」

 舞子は言ってのけたが、仕事などない。ただランニングをして、ヨガや竹刀振り、日本舞踊の稽古。寮の先輩女優に借りた芝居の台本読みに時間を費やしていた。

 舞子の自由にやらせていた其田だが、これだけは強く言って聞かせた。

「牛乳は飲むな」

 これ以上、身長が伸びると、女優の仕事がなくなると思ったからだ。もう十分だ。大きすぎるくらいだ。其田は心配した。


 その其田とて、舞子の売り出しをサボっていたわけではない。各テレビ会社や映画会社のプロデューサーに「端役でいいですから」と舞子をプッシュしていたのだが、そこは弱小プロダクションの悲しさ、全く相手にされない。

「本人を一目見てくださいよ」

 と言ってもなしのつぶて。仕事の獲得はできないでいた。

「もう舞子はダメかもしれないな」

 其田は諦めかけていた。

 そこに吉報が舞い降りてきた。けれどもそれは女優の仕事ではなかった。


「洗濯機のCMだ」

 寮の食堂のテーブルで其田は舞子に仕事内容を告げた。

「洗濯機……CM……」

 舞子が戸惑いの表情を見せる。

「出演予定していた女の子が足を骨折したらしい」

「でも、私は女優に……」

「話は最後まで聞きなさい。このCMはテレビサンライズの『大家族狂騒曲』という新ドラマとのタイアップだ。だから、ドラマで主演を務める大海優姫おおうみ・ゆうきが出演する。お前はその娘役だ。どういう意味かわかるか? CMが成功したら、お前はドラマにも出演できるかもしれないんだ。これも全て、お前の実力にかかっている」

「ドラマ……」

「そうだ。CM製作はドラマに先駆けて行われる。お前にとってはオーディションみたいなものだ。本気を出せ。水沢舞子の実力を見せ付けるんだ」

「はい」

「舞子。とにかく笑顔の練習をしろ。洗濯物が綺麗になって、大喜びするんだ。いつものむっつり顔は捨てるんだな」

「はい」

「よし、話はそれまでだ」

「はい」

 舞子は部屋に戻って行った。


 CMの撮影は都内のスタジオで行われた。

 舞子は其田に付き添われて、大海優姫の控え室を訪れる。

「どうぞ」

 ドアをノックすると明るい声が返って来た。

「今日ご一緒させていただく、其田事務所の水沢舞子でございます」

 其田が腰を低くして言う。

「水沢舞子です」

 化粧台でヘアメイクしていた大海が振り返る。そして一言。

「あら、大きいわね」

 と感嘆した。大海も大きい。

「ちょうどいい親娘かもね。前の子は小ちゃかったから」

 陽気に話す。気さくな女優だ。いい雰囲気になる。しかし、舞子は例の緊張のせいで一言も話さない。

「では、これで失礼します」

 ボロが出ないうちに、其田は退散した。

「その緊張症、なんとかならんかな?」

 其田はぼやいた。


 スタジオ内は全体が緑色のクロマキーで覆われていた。あとで爽やかな青空でも合成するのだろう。其田が思っていると、舞子が、

「社長、台本は?」

と聞いて来た。

「そうだな」

 と其田が監督の元へ行くと、

「台本? 何を偉そうに。ガキの台詞は『お母さん、キレイね』の一言だ。とっとと暗記させろよ」

と喧嘩腰に言って来た。其田は頭に来たが、

(ドラマ、ドラマ)

と考えて堪えた。全ては舞子のドラマ出演のためである。辛抱しなくては。


 リハーサルは入念に行われる。製造メーカーでドラマのスポンサーである四菱電気のお偉いさんが視察に訪れているからである。現場には緊迫した空気が流れる。大海優姫はNGを連発した。監督の罵声が飛ぶ。と言っても大海にではなく、カメラマンが標的にされた。

 舞子の出番である。

「ヨーイ」

 スタートとカチンコが鳴る。

 舞子は無難にこなした。


 そして本番。

 リハーサルではダメダメだった大海が、スラスラと洗濯機の機能を説明する。さあ、舞子の出番だ。

「お母さん、キレイね!」

 目を輝かせて微笑む、舞子。

(なんて綺麗なんだ)

 其田はじめ、監督、スタッフ、四菱のお偉いさんがまぶたを大きく見開いた。

「カット!」

 一発OKだ。現場からは拍手が起こった。


 帰りの車で、其田は饒舌に言った。

「これで、舞子のドラマ出演は間違いないね」

 それに対し舞子はこう切り返した。

「まだ、何が起こるかわかりません」

「まさか」


 そのまさかが起きた。『大家族狂騒曲』の主演俳優が覚醒剤所持で逮捕されたのだ。サンライズテレビは代役を立てることなく、放送の中止を決定。バラエティ番組で穴を埋めると発表した。


 洗濯機のCMも二週間放送されただけで打ち切りになった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る