第8話 クランクアップ
三ヶ月に渡ったドラマの撮影も今日でクランクアップである。最終日は主要全キャストの前で、荒木結衣演じる瞳が、いかに菅野正樹演じる丹羽公平を愛しているかを告白し、純子の愛菜、舞子の香奈を納得させるというクライマックスである。荒木結衣は可愛さを残しつつ、迫真の演技をした。その荒木結衣に純子と舞子が抱きつく。二人は本物の涙を出した。それだけ感情移入しているのであろう。つられて、荒木結衣の瞳からも涙が溢れる。その他のキャスト、スタッフももらい泣きしてしまっていた。芝居としては最高の出来である。
「カット!」
演出の桜井の声が轟く。これで、全て終わりだ。桜井は荒木結衣を労うと、続いて舞子の元にやってきた。
「よく辛抱したな」
「はい」
桜井は舞子の頭をもみくちゃにした。その行為が、舞子に対する最高の賛辞だと言うことをここにいる全員が知っていた。二山はクランクアップだからというのでスタジオに来ていた。その目には、軽く唇を噛む、純子の姿が見えた。世間的には純子の方が舞子より評価が高い。しかし、桜井は舞子を熱心に指導して、純子は好きなようにやらせていた。一見、純子の演技力が素晴らしいので口を出す必要がないからそうしているように思われる。だが、桜井は素質のある役者にしか演技指導をしない。それを知った純子は一種の挫折感を感じていた。自分よりも演技で劣ると思われた舞子に、台本のふりがなを教えてあげた舞子に、自分が劣っている? これが純子が舞子に嫉妬心を持った最初だった。
(舞子には負けない)
純子は人知れず、心に誓った。
テレビ界は五月には夏の改編に向けた動きが活発になる。二山はテレビ界を離れ、二本の舞台の脚本にかかりきりになった。一つは歌舞伎役者、
電話をかけて来たのは、其田社長だった。早急に相談したいことがあるという。二山は新宿のホテルのラウンジで会う約束をした。
二山がラウンジに着いた時、其田はもうやって来ていた。事務所が新宿だから当然であろう。其田は二山を見つけると、大きく手を振って来た。気恥ずかしい。
「わざわざお呼びだてして申しわけございません」
其田はこうべを垂れた。
「一体なんなんです?」
二山が尋ねる。
「それがですね。夏のクールのドラマ、舞子にオファーが一件もないんですよ」
「ほう」
そう言いながら、二山は少し驚いていた。『お兄ちゃんをとらないで』の最終回の視聴率は25.8パーセント。大いに世間の話題になった。二人の子役も大評判だった。この業界は「鉄は熱いうちに囲い込め」が常識だ。二山は舞子にドラマ出演の依頼があると思っていた。そうか、なかったのか。ため息が出る。
「純子はどうなんです?」
二山は思わず聞いた。
「噂ですけど、首都テレビの“火10”に出演することが決まったみたいですよ」
其田は答えた。
「先生、後見人としての意見をうかがわせてください。これからでも無理強いしてどこかの番組にねじり込んだ方がいいでしょうか? 今、チャンスを逃したら、あっという間に消えてしまうでしょう」
二山はこめかみに右の人差し指を当てた。それが、思考するときの彼の癖である。しばらくして考えがまとまったようだ。
「其田さん。焦るのはやめましょう」
「どういうことです?」
「舞子は大きな才能をうちに秘めている。でも原石であって宝石ではない。これから役者としての修行をしなくてはいけない。思い切って舞子を然るべき俳優養成所に入れるべきではないだろうか?」
「俳優養成所!」
「そう。そこで基本から学びなおすんだ。舞子は幼い。吸収力も早いだろう」
「でも、どこの俳優養成所に入れるんですか。舞子は緊張しいです。下手なスパルタ養成所に入れたら、萎縮して、才能を枯らしてしまいます」
「それは、僕に任せてください」
「どこかいいところがあるんですか?」
「一人、候補者がいる。ただし、まだ養成所を続けていたらだけどね」
「なんだか、心配ですね」
「まあ、任せてください」
二山は阿佐ヶ谷の雑居ビルに来ていた。一人の男に会うためである。
そしてある日、竹沢は喀血し、床に倒れた。誰もいない養成所。死のお迎えを静かに待っていた竹沢を救ったのが二山だった。竹沢の悲惨な状態を知らず、舞台の出演交渉をしに来たのだ。床に倒れた竹沢を見た二山は冷静だった。すぐに救急車を呼び、付き添った。幸い大事には至らず、竹沢はすぐに退院した。竹沢は思いの丈を二山にぶつけた。罵声を浴びせたこともある。二山は黙って聞いていた。聞いてやることが心のケアになると知っていたからだ。そして二山は最後にこう言った。
「芝居をやりなさい。芝居こそ、君の人生」
竹沢の目に大粒の涙が浮かんだ。
竹沢は俳優養成所を再び開いたが、悪評がついたために生徒は集まらなかった。その竹沢に二山は舞子を託す決心をした。それは一種のギャンブルだった。二山もそれは理解している。けれど一度、挫折を味わった人間にはある種の強さがあると二山は考えていた。その考えが正解なのかを二山自身もわかっていなかった。だから、ギャンブルなのである。
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