第10話 三種の牛乳

「ただいまです……」


 千波医院の古めかしいドアを開ける。

 そこでは彩友香が俺の寝ていた診察台の上に立ち、何かのポーズを取っていた。


「忍法トンファーの術!!」


 と言いつつ、空に蹴りを繰り出している。

 ……まるでリリスたんのように。


 蹴りを繰り出した格好のまま、彩友香は俺たちに気づいたのか、一気に顔を真っ赤に染めてバランスを崩し――――



「転げ落ちたっ!!」


 どすん! という音をたてて診察台から向こう側へ落ちる彩友香。

 いった――い……と小さく声が聞こえてくる。

 どうやら尻もちをついたようで、しばらくしてからお尻を抑えた状態で、涙目の彩友香が立ち上がって俺たちを見る。


「ええっと…………見た?」

「ウウン、ミテナイヨ?」


 即答する俺。だけどカタカナ語になるのはしょうがないよね。

 うう――!! と顔を手で覆い、彩友香はしゃがみ込む。その頭からプシューという音をたてて湯気が出ている。

 ものすごく恥ずかしいらしい。


 そのまま3分。

 きっちりとカップ麺が出来上がる時間まで彩友香はプシューしていたが、何かに気づいたようで顔をキリリッと作り直し、さらに咳払いをして俺たちに言う。


「あの……じいちゃんが温泉につれてけって。泊まりもうちでいいでしょって話だから、泊まっていってください」


 俺とミカゲは顔をあわせて、頷く。

 彩友香とじいちゃんのところに泊まることが決定した瞬間であった。



 カコーン!


 響き渡る桶の音。立ち上る硫黄の香り。

 俺たちは今、温泉に浸かっている。しかも貸し切りだ。


「あぁ~いい湯だなっと」

「おっさんくせーな、和哉」


 彩友香から村の人たちが利用している、ちょっと狭い共同浴場へと案内された俺たち。彩友香は俺たちとは別に女風呂に入っている。


 男湯は俺たち2人だったのだが、からだを洗い温泉に浸かっているときに、妙な男が入ってきた。顔はわりと甘めのイケメンだが、仕草がどことなく……クネクネしている。薄い茶色の髪の毛が儚い感じをイメージさせているが、いちいち複数ある鏡の前でその男は全裸でポーズを取っている。


「あっ、すみませーん。自分につい見とれてしまって……他に人がいるのがわかりませんでした」

「はぁ……」


 挨拶は返したものの、ナルシストさんだったか……。

 俺はなんとなく気持ち悪いので、そそくさと目線を窓から見える景色のほうへ移す。ミカゲはそんな男を用心深く観察していた。まさか。


 と、男が髪の毛を洗い出したときにコソッとミカゲに聞いてみる。


「なんであいつのこと見てんの?」

「いや……キモさを全面に出してやがるが、目的はなにか別にありそうでな。動きがおかしいっていうか…………まあ全体的にキモい」


 よかった。

 まさかのBL的な感じなのかと思ってヒヤヒヤしましたよ、ミカゲさん。

 男がサッと頭を洗い終え、俺たちより離れた女湯側の風呂に浸かる。それをきっかけに俺たちは風呂からあがることにした。


「お先です」

「…………」


 が、その男は俺たちの退出に気づかないようで、かるく無視されてしまった。

 脱衣所に行き着替えている間、ミカゲはバスタオルを腰に巻き、自販機の前に立っていた。


「くそー! なんでタフマンがねーんだよ!! 普通さ、風呂からあがったらタフマンだろうよ!」


 と大きな声で文句を言いながら、フルーツ牛乳を買っていた。


 脱衣所から出て休憩室みたいなところで、俺はコーヒー牛乳を飲みながら2年前のジャンプを読んでいた。ミカゲはパンツ一丁のまま休憩室に来て、俺の前でマガジンを読み始める。

 そのマガジンは3年前で、俺たちの読んでいる2冊とも年代物である。



「しかし、女の風呂はおせぇな」


 ほとんどジャンプを読み終わるぐらいの時間を休憩室で過ごした。その間にミカゲは湯冷めしそうだったのか、普通に作業服を着ていた。


 彩友香は頬を桜色に染めて、温泉からやっと出てきた。


「ふい~、いいお湯だったべ……」


 手には牛乳を持っている。

 ペリッと牛乳瓶のフタを剥がし、テーブルの上に置く。


「あの、そのフタもらってもいい?」


 そうなのだ、あの冒険から俺は牛乳瓶のフタを収集することが趣味になっていた。


「いいよ、変なの集めてるね――」


 と言われながら貰ったけど。……フタは奥が深いのだ。


 そのとき、男湯のドアが少しだけ開いた。どうやら先程のキモいイケメンが風呂からあがったらしい。が、5cmぐらいドアを開けて、そのままキープである。


「おい、出て来るなら出てこいよ。気持ち悪いな」


 ミカゲが苛ついたようにその男に声をかける。彩友香はなにがなんだかわからないという顔をしていたが、その男がしぶしぶ男湯から出てきた時点で、忍者っぽい戦闘ポーズを取る。


「きさま――!! こ、ここまでストーキングしてくるなんて、すけべだべ!!」


 ああ、なるほど。

 この男が彩友香のストーキング相手か。つまり……もう1人の役場職員だな。

 ううむ、役場から寮を紹介してもらわなくてよかった。と心の底から思った。だってあの3人の一味にはなりたくなかったし。


 そう思っている間に、彩友香は戦闘ポーズをやめ、俺の影に隠れる。


「あ、あいつをこてんぱんにして!!」

「いやそう言われましても……」



 初顔合わせな相手だし、いきなり手荒な真似をするのはよくないぞ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る