【第十八話後半】旅の終わり
豪華絢爛な照明に、煌びやかな装飾が施された家具。そして野球が出来そうな程に広い空間。すべてに見覚えがあった。それもそのはず。ここは俺の屋敷のリビング。気づけば、俺は自分の屋敷に帰ってきていた。
「なるほど。君たちも聖剣を追っていた、そういうわけだったのか」
机を挟んだ対面には剣聖アレッタが、しきりに頷いている。彼女は現在、代名詞といっても過言ではないカラフルレインボーを装備している様子はなく鎧も外していた。初めて見る軽装のアレッタ。鎧の上からではわからなかったけど、こいつも相当の乳力の持ち主だった。セレフほどの大きさはないけど、形がいい。俗にいうロケット乳というやつだろう。剣聖アレッタ、中々けしからんやつじゃのう。
そんなアレッタの乳力に、邪な感情を見せていたのが俺以外にもう一人。彼女の横に座っている騎士団メンバーの一人、ロバートだった。彼は目線をアレッタの見えそうで見えない胸の辺りに動かしたかと思うと、首を左右に振って用意されたティーカップへと伸ばす。男としての自分と騎士としての自分。彼の中では壮大なせめぎ合いが繰り広げられている様子だった。
しかし、そんな彼の聖戦もすぐに終わりを迎えることになったご様子。ロバートは湯気がたったティーカップに口をつけると、むっつりスケベな彼の表情が一変。美味しそうに大好きなハンバーグを貪る少年のようなものへと変化した。おそらくそれは飲んだのが、セレフが入れてくれた紅茶だったからだろう。もちろんウチの屋敷では最高級の茶葉を使っているのだが、そんなのはセレフが入れてくれたという事実の前では些細なことだ。セレフが紅茶を入れてくれるとそれはまるで魔法のように美味しさが増すのだ。容姿端麗の家事万能。おまけに紅茶入れのスキルまで高いとか、ウチのメイドはどれだけ有能なんだよ。主人ながらにウチのメイドの有能っぷりが怖いぜ。
「そうです。剣聖アレッタ様」
そんなウチの有能メイドは、俺の隣にてアレッタの言葉に応じている。俺が惚けていると見て、アレッタの話し相手を買って出てくれたのだろう。俺が指示をしたわけではないというのに。うぅ……うちのメイドが有能な上に献身的すぎて、僕ちゃん泣きそうだよ。
そんな言われずともやる子セレフは、ここでもアレッタに促されるまでもなく、俺たちが持っている情報、聖剣を追ってきた道程を報告した。
「なるほど。魔王エリアルの手に聖剣は渡ってしまった、そういうことだな?」
「はい。申し訳ありませんでした」
確認するアレッタに対し、セレフが深く頭を下げて謝罪をする。
「頭を垂れることはない。向こうは魔王エリアルに加えて、聖剣まで所持している。一旦退いて正解だ。むしろこうしてその情報を持ち帰ってきてくれただけでも、立派な戦果だ」
「ありがとうございます。ありがときお言葉です」
どこに出しても恥ずかしくない立派なメイドであるセレフ。彼女は如何にして街の外に出たか、まだ日のある頃にリザードマン及びリザードクイーンに苦戦を強いられているアレッタたちを見捨てたことなどをうまく誤魔化して、アレッタへの報告を終えてくれていた。
「美味っ! この紅茶美味すぎるんですけど!?」
ちなみにセレフがそんな大仕事をこなしてくれている間、アストレアといえば俺たちからは少し距離のある部屋の隅の方で、ロバート同様にセレフが入れたくれた紅茶の美味さに驚きを隠せないようだった。彼女はセレフの用意した紅茶を飲んでは注ぎ飲んでは注ぎを一人、繰り返していた。アストレアには前科があるからお腹を痛めたり、ゲロらないか心配だ。
そんな能天気なアストレアを余所に、こちらのテーブルには重い空気が流れていた。
「しかしアレッタ様。聖剣がすでに魔王の手に渡っているとなると……」
ロバートが神妙な面持ちで、アレッタの顔を見やっている。深刻な眼差しを向けられたアレッタは腕を組んで、しばし瞑目した後、ゆっくりと目を開けた。
「うむ。現状、確かに魔王の手に聖剣が渡ってしまったことは、あまりに脅威だ」
アレッタが断言する。
リザードクイーン、キングスライム。彼らでもかなりの脅威だった。
となれば彼ら魔物を統べるもの、魔王ともなればその強さは想像だに難くない。ましてや魔王の手には聖剣が渡っている。もはやその脅威は計り知れないものだろう。
いくら剣聖といえど、この状況は……。
俺はそんなふうに思っていたのだが、当の本人はそう思ってないらしい。
「ニヒト君」
不意に向けられた彼女の瞳の、炎はまだ消えてはいなかった。
「魔王エリアルから聖剣を奪還する。そのために私たちに協力してほしい」
アレッタは俺に向かって、そんなことを言ってきた。
彼女の顔を見るに、どうやらその言葉を本気のようだった。
「あ、アレッタ様。いくらなんでもそれは……」
ロバートがうろたえるがアレッタはそれを制し、協力を依頼した理由を口にする。
「わかっている。ニヒト君たちは言ってしまえば、ただの一般人。王国の平和のために命を捧げる覚悟の我々、騎士とは違う。だが私はニヒト君は騎士ではないが騎士に匹敵、いやそれ以上の騎士道精神の持ち主だと思っている。考えてみろ。いくら聖剣が奪われたことを知ったとはいえ、ただの冒険者がそれだけで聖剣を追おうと思うだろうか」
「……確かにそうかもしれません。正直、私でもそうすると断言することはできません」
「そうだろう? それにニヒト君にはキングスライムを一人で倒したという実績がある。先程は不意を突かれてしまって、危ういところだったかもしれないが、それだけの実績があれば実力は私と同等、もしくは私以上の力を持っているはずだ」
「キングスライムをお一人で!? それは凄い。確かにお連れの方の実力も素晴らしいものだった。あの拳撃に支援魔法。あれは騎士の中でも相当なレベルでした。ということはそのパーティーのリーダーであるニヒト君は――」
「――すみません」
これまで黙っていた俺は、二人の会話を遮るように言い放つ。
「すまんニヒト君。あまりこういうのは好きではなかったな」
アレッタは軽い謝罪を口にしながら、俺の方へ向き直った。
「ニヒト君。改めて、力を貸してくれるか?」
アレッタが笑顔を伴って、手を差し伸べてきた。ふと彼女の手に目を向けると、手のひらには歴戦の戦いを思わせる傷やカラフルレインボーを振り回した際にできるのであろうマメの潰れた痕なんか目立っている。間違いなく人類最強の騎士、剣聖アレッタの手のひらだった。
「すみません。俺はアレッタさんの思っているようなの奴じゃないんです」
そんな彼女の手とは対照的な綺麗すぎる手を、俺は彼女へ伸ばすことはしなかった。
「俺はアレッタさんの思っているような勇敢な奴なんかじゃありません。俺が聖剣を追うのは、アレッタさんが想像していたであろう平和のためにとか王国のためになんてものじゃないんです。もっち自己本位的なもので、仕方なしにやっていることなんです」
「に、ニヒト様……!」
隣に座っているセレフが、俺のことを案じて声をかけてくれる。
しかし、俺は彼女を制して、言葉を続ける。
「俺の実力にしてもそうです。俺にはキングスライムを一人で倒す力なんてありません。アレッタさんも見たはずです。俺がキングスライムに殺されそうになっているところを。あれは不意を突かれたとか運が悪かったとか調子が悪かったとか、そういうのじゃないんです。俺の単純な実力不足が招いた結果でした。アレッタさんが助けに来てくれなかったら、俺は間違いなく殺されていました」
アレッタとロバートは俺の言葉にあっけを取られたような顔をしている。
「に、ニヒト君はどこまでも謙虚だな……少しくらいは自分に優しくしてもいいと思うぞ?」
だが、俺と目があったアレッタは、取り繕うように笑ってみせた。
「アレッタさん! 本当に俺はそんな奴じゃないんです!」
そんなアレッタに対して、俺は思わず大きな声を上げてしまった。
俺たちの只ならぬ雰囲気を察したのであろうアストレアが、紅茶を飲んでいた手を止め、何事かとこちらの様子を伺っていたが、関係ない。もう全部、言ってしまった方がいいんだ。
すべてを観念した俺はアレッタに向かって、決定的な言葉を吐き出した。
「俺が、あの武器商人に聖剣エクスカリバーを売ってしまったんです」
「な、なん……だと」
俺の言葉を受けたアレッタは動揺を隠しきれないようで、凛々しいその顔を大きく歪めていた。ロバートに関しては絶句している様子だ。その他の騎士団の人々も、俺の言葉に反応を見せることはない。しかし俺は構わずに続けた。
「キングスライムを一人で倒すことができたのも聖剣のおかげ。この屋敷を手にすることもできたのも聖剣のおかげなんです。俺には何の力もない。俺がアレッタさんたちの役に立つはありえません。そして俺が聖剣を追っているのも――」
その時、遠くの方からカップが割れる音が聞こえた。
ちらりと見やれば、どうやらアストレアがティーカップを落としてしまった様子。
彼女はそんなにも目もくれず、俺の方へ猛スピードで駆け寄ってくる。
近寄ってきたアストレアに胸ぐらを掴まれ、俺は強制的に起立させられる。
アストレアは俺の額に自分の額をぶつけて、大量の唾を飛ばしながら、俺を問い詰めた。
「ニヒト! あなた何を言ってるのよ! それを言ってしまったらここまで頑張ってきたことがすべてが無駄になるじゃない!」
「アストレア。これをここで口にしたとしてもお前には何の被害もない。俺が国家転覆罪で死刑になるだけだ。お前の女神追放には何の影響もない。そうだろう?」
彼女の言葉に、俺は努めて冷静に返したが、アストレアの激情を収まりそうになかった。
アストレアは、さらに声のボリュームを大きくして、感情を剥き出しにしてきた。
「私が言ってんのはそんなことじゃないのよ! あなたそれでいいの!?」
「……アストレア、痛いから離してくれ」
「あなた、答えなさいよ!!!」
「あ、アストレア様。一旦、落ち着いてください」
力自慢のファイターというだけあってアストレアを引き剥がすのは難航したが、セレフが成し遂げてくれる。その後もセレフが激昂のアストレアをなんとか宥めてくれた。
しかし、アストレアの感情を完全に沈めることはできなかったようで、彼女は自分の荷物を手早くまとめ、足音を鳴らして屋敷を去っていこうとした。そして去り際、アストレアはこんな捨てゼリフをしていった。
「あなたの情熱。ニートという向けるべきところは間違っていたかもしれないけれど、それだけは私はあなたを評価していたというのに。それが実はこんな途中で何もかもを投げ出してしまうような奴なら転生させるべきではなかったわ。こんな奴には何も成し遂げることはできない。ましてや魔王の討伐とあれば考えるまでもないわ!」
バタンと大きな音を立てて、玄関の扉が閉められた。
残された俺たちには、沈黙が訪れる。事情を詳しく話していないアレッタたちは居心地が悪そうにしていた。
「アレッタさん。そんなわけですから、俺はこれ以上聖剣奪還に協力することはできません。俺が蒔いた種だというのに、すみません。俺は自分自身では何もすることはできません」
俺のその言葉を最後に、アレッタたちもこの屋敷を最後にした。
色々と気遣うような言葉を投げかけてくれていたが、これもいまいち覚えてない。
覚えているのは、ただ一つ。
俺の旅はここで終わり、異世界で再びニートになった。
その事実だけだった。
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