第25話 トップダウン

 今日は私が、娘を保育園へと迎えに行く当番日である。

 そう、妻と共働きの我が家では、週に1~2度ほど妻に代わって、私がこの役割りを分担しているというわけである。

 もちろん、その為には幾分か会社を早めに退出しなければならず、そういう私は三十半ばにして、いまだ係長にもなれない有様だ。


 「小山さん、この書類のコピーを午後の会議までに取っておいてください」

 入社が四年も後輩の係長に、仕事を頼まれる。


 なるほど言葉は優しいが、私に任される仕事いえばコピーを取ることやダイレクトメールの切手を貼ることぐらいである。

 たまに課長より下される会社にとっては重要な指示は、優秀な同僚かまたは将来が嘱望しょくぼうされる若手社員へと振り分けられるわけである。

  

 つまりは、我が社の社長が下すであろう最重要な指示などは、とても私のところにまで回ってくることもないわけである。



 そんな折、社内の掲示板に一枚の指示書が張り出された。その内容とはこう書かれていた。

 『来月に行われる、花見の会のメンバーを募集する』というものである。なるほど、指示書の右上、主催者の欄には社長の名前が大きく記載されている。

 まあ、メンバー募集と言えば聞こえは良いが、つまりは朝早くから、花見の会を開催するための場所取りを行うというものなのだ。

 当然それを知っている若手らも、自ら率先して手を上げる者などいないわけである。


 いつもは言葉など交わすことない田所課長が、私の肩をひとつ叩く。

 「小山君、来月の花見の会なんだが・・・」

 ここまで言うと、チラリと私の卓上カレンダーに目を落とす。


 「金曜日その日は娘さんの送り迎えの日か。では朝から出張というわけにもいかんかな・・・」

 (席取りが出張だって・・・)


 けっして命令するわけではないのだが、もはや私には断れることなど絶対にできない状況なのである。

 「社長直々の指示書なんだが・・・」

 (トップダウンじゃないか・・・)

 

 「そ、その日は妻と変われそうなので、喜んで参加させていただきます」

 心にも無い愛想笑いを浮かべながら、私は課長の手を握った。

 (しょせんは、縦社会である会社組織の一員なんだから、これも仕方がないこと・・・)

 課長は何事も無かったかのようにと、私のデスクから離れていく。



 車を保育園の近くにと駐車させると、私は娘を迎えにその園の入り口へと足を進める。

 まだ少し時間が早かったのだろうか、外で遊ぶ園児たちがちょうど片付けをしているところであった。

 

 娘は小さな滑り台の上にいた。そこで何やら周りの園児たちに声を掛けているようである。

 「としおくんは、そのしゃべるをかたづけてね」

 「みくちゃんは、フラフープをせんせいにわたして」

 「たくちゃんとゆうすけは、ふたりでいちりんしゃをならべてね」

 振り向きざま、今度は別の園児たちに声を掛ける。


 「ねんしょうさんは、もうおかえりのじかんよ。ちゃんとてをあらってからわすれもののないようにね・・・」

 「ねんちゅうさんは、つくえをもとにもどしておいて・・・」


 (まさに、トップダウン・・・)

 そこには、テキパキと園児たちに指示を与える私の娘が、少しだけ誇らしげに映っていた。



【トップダウン】

会社や組織は、その構成員をピラミッド型に見立て、社長など、組織の長をその頂点に、所属人員をそれぞれ底辺に向けた配置で構成されている。そのうえで、組織の長が意思決定を行い、直属の構成人員に指示をする。指示を受けた構成人員は、さらに下の構成人員へと、指示がシャワーのように流れていくことをいう。

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