70話 「人形の思い」


 俺は病院で腕の治療を終えて帰って来た。

 

 くんくん。

 

 両肩の匂いを嗅いだ。

 

 何故こんなことをするのかと言うと、帰り道で心春さんに抱きつかれたからだ。

 

 ヤバイ……めちゃくちゃ甘い香水の香りがする。

 

 俺は今回あることを学んだ、それは女性は匂いに敏感だ。

 

 このまま俺が甘い香りを漂わせていると繭さんに心春さんとの事がバレる。

 

 俺は背中に嫌な汗を感じた。

 

 「お父様ぁ、ただいま帰りましたわぁ」

 

 そんな俺の気も知らずに心春さんは屋敷の玄関の扉を開けながら元気よく帰って来た報告をした。

 

 「お帰り心春、それと久我君」

 

 玄関でこの屋敷の主人である古家さんが出迎えてくれた。

 

 「お、お父様ぁ!? わざわざ出迎えてくれるなんて、どうしたんですかぁ!?」

 「ふふふ、それはだね……君達二人に説教をするためだよ」

 「「へぇっ!?」」

 

 俺と心春さんは同時に変な声を出して驚いた。

 

 「二人ともそこに座りなさい」

 

 有無を言わせぬ圧力を出した古家さんに逆らうことはできずに靴を脱いで玄関の少し入ったところで二人して正座して並んで古家さんに説教をされた。

 

 「き、君達はいったい何をしてるんだ! 駄菓子屋さんから電話があったんだよ、久我君が外で心春にイヤらし乱暴をしているとね……しかも小学生達の前で!」

 「はぁ!? 古家さん俺は心春さんに乱暴なんかしてないですよ!」

 「そうですよぉ父様ぁ! お兄様はわたくしに乱暴なんかしてないですぅ!」

 「ちょっ、心春さん、お兄様って言ったら古家さんが余計に誤解を……」

 「……お兄様……だと?」

 

 ポク、ポク、ポク、チーン。

 

 古家さんの呟きの後俺の頭の中にお坊さんが木魚をリズムよく鳴らして最後に鉢を鳴らすのを想像した。

 

 「ああああっ!! 心春! 僕の大事な娘の心春! 包容力があって美人でグラマーなスタイルのお姉さん系の心春が久我君に外で妹プレイをする変態にされたぁー!」

 

 古家さんはスイッチが入ったように泣き喚いた。

 

 「おい、親父うるせぇぞ」 

 「ぐえっ」

 

 胡蝶が騒ぎを聞きつけて来たようで古家さんの頭を強く叩いて黙らせた。

 

 「胡蝶!」

 「よぉ、大我怪我はもう大丈夫なのか?」

 

 胡蝶が不敵な笑みを浮かべて気軽に俺に話かける。

 

 まるで最初に俺の家へ来た時……付き合う前の胡蝶に戻ったみたいだ。

 

 胡蝶の変化はそれだけではなかった。

 

 服はいつもの赤い着物から洋服に変わり、上は襟に黒いリボンが着いた白い長袖のブラウスで下は黒いミニスカートと太ももまであるニーハイソックスを履いていた。

 

 「親父、大我は今両腕を怪我していて動きが制限される、だから大我は心春を襲えない」

 

 「うんうん」

 

 胡蝶の推理を古家さんは頷きながら真剣に聞いていた。

 

 「ということはだ、乱暴されたのは実は大我のほうで心春はきっと大我が動けない事をいいことにあんなことやこんなことをしやがったんだ……この卑怯者の淫乱巨乳雌豚女ぁ!!」

 

 胡蝶は最後にとんでもない悪口を言うと、心春さんに向って指を指した。

 

 「わたくしが……卑怯者の淫乱巨乳雌豚女? ぐすっ、そんな酷いですぅ……あっ、でもいい事を聞きましたぁ、確かに今お兄様は動けないですぅ、だから夜に忍び込んで無理矢理ぃ……ぐへへ」

 「ごほんっ……心春」

 「……あっ」

 「ちょっと僕の部屋へ来て話そうか、久我君すまなかった、どうやら僕の娘の方が悪かったみたいだ、きちんとしつけておくよ……さぁ行こうか心春」

 「あぁん! お父様ぁ許してくださいぃ!」

 

 心春さんは古家さんに連れて行かれた。

 

 「ありがとう胡蝶、お前の推理? のお陰で誤解が解けた」

 「くくく、別にこのぐらい構わねぇよ、それにしてもお前は本当によくいろんな出来事に巻き込まれるな、一度お祓いでもしてもらったらいいんじゃねぇか? ははは」

 

 胡蝶は笑いながら俺の肩を優しく叩いた。

 

 なんだろう、なんかこのやり取りが懐かしく感じる。

 

 今の俺と胡蝶の関係ってなんだろう、元カノ? 確かにそうだけど距離的には仲のいい相棒ってところか。


 俺は新たに胡蝶との関係が見いだせた。

 

 「あ、そうだ……胡蝶、その服はどうしたんだ? まぁ、そのなんだ、かわいいし似合ってるぞ」

 

 俺の言葉に胡蝶は目を見開いて驚き、そして恥ずかしそうにそっぽを向いた。

 

 「親父に貰った服だ……ふん、そういうことは彼女の繭に言えよ」

 

 胡蝶はそう言うとそそくさと去って行こうとした。

 

 おそらく行き先は俺の部屋だ。俺も一先ず胡蝶と一緒に部屋へ行くことにした。

 

 ……。

 

 部屋に入るとお互いに背を向けて座った。

 

 何となくこうしていないと落ち着かないからだ。

 

 気を紛らわせようとして部屋に何かないか探っていると、机の上に俺が胡蝶にプレゼントした紅い蝶の髪飾りが置かれたままになっていた。

 

 胡蝶が俺と繭さんに気を使って外して置いていた物だ。

 

 「あ、わりぃ、その髪飾りを片付けるのを忘れてたよ……あはは、どうしようなこれ、私がこれをつけてたらきっと繭が不安な気持ちになるかもしれないからな、うーん、誰か他の姉貴にでもあげるよ、済まねえな大我、せっかくプレゼントしてくれたのに」

 

 胡蝶は申し訳なさそうな顔をして髪飾りを持って行こうとした。

 

 「待てよ、あげなくていいから持っていてくれ」

 

 俺は持っていてくれと言ったが着けては良いとは言わなかった。

 

 ごめん胡蝶、本当はお前がその髪飾りを着けたがってるのは分かる、でも我慢してくれ、じゃないとお前が言うように繭さんが不安に思ってしまうんだ。

 

 胡蝶が可愛そうだと思って言ったがきっと言われた本人には残酷な仕打ちだと思われているだろう。

 

 胡蝶は無言で髪飾りをスカートのポケットにしまった。

 

 「なぁ、大我ここにはいつまでいるつもりなんだ?」 

 「え、そうだな……いつまでも古家さんにお世話になる訳にはいかないから明日の朝に帰ろうと思う」 

 「そうか、だったら今からもう少しだけ家族交流をしてくる」

 

 胡蝶は部屋を出て行った。

 

 「あの、大我さん私です……お部屋に入ってもいいですか?」

 「繭さん? ええ、いいですよ」

 

 胡蝶が出て行った後直ぐに繭さんがやって来た。

 

 「……お邪魔します」

 

 繭さんはもじもじしながら部屋へ入って来るとその場にあたふたと立ち尽くした。

 

 「繭さん座っていいですよ」

 「あ、はい」

 

 眉さんは俺の横にちょこんと正座した。

 

 隣の繭さんからいい匂いがする、どうやったらこんな匂いが出るんだろう? あとやっぱりちっちゃいな。

 

 俺は身体が大きくて繭さんは少し小さいので見比べて見るとまるで大人と子供が隣合って座っているみたいだ。

 

 「えっと、大我さん腕の怪我は大丈夫ですか? 私気になって大我さんの部屋まで来ちゃいました」

 「もう大丈夫ですよ! ほらこんなに動かせますし、痛てて」

 

 調子に乗って腕を動かしたら傷口が引っ張られて痛んだ。

 

 「もう、大我さんったら、まだ動かしたらダメですよ」

 

 繭さんが心配して俺にさらに身体を近づけた。

 

 「……あれ? くんくん、大我さん香水してましたっけ? 何だろう、とても甘い香りがします」

 

 ヤッベェ!

 

 俺は少し繭さんから離れた。

 

 すると繭さんは不思議そうな顔をしながら俺に再び近づく。

 

 「あ、そうだ夢見鳥ちゃんは大丈夫ですか? ひどく取り乱してたみたいですけど」 

 

 俺はさり気なく繭さんとの距離を少し開けた。

 

 「夢見鳥は私が部屋で抱っこして落ち着かせていたら眠っちゃたんで布団をひいて寝かせてます」

 

 繭さんは俺が距離を開けた分だけ近づく。

 

 「あの、大我さん……さっきから私と離れようとしてますか?」

 

 繭さんが泣きそうになりながら震える声で俺に質問する。

 

 もうダメだ、正直に言おう。

 

 俺が心春さんとの事を話すとやはり繭さんは泣き出した。

 

 「大我さん、ひっく……浮気、ぐすっ、しないでください」

 

 ああああああっ!!

 

 俺は思わず心の中で叫んだ。

 

 「繭さんっ!」

 「きゃっ!?」

 

 俺は繭さんをいきなり抱きしめた。

 

 「嫌、離してください」

 「離しません」

 

 俺の腕の中で繭さんがもがくが俺は構わず、怪我しないように抑える。

 

 「繭さん聞いてください、俺は自分でもなんでか分からないですけど女の子関係のトラブルがよく起こります、けど俺は絶対に浮気はしないし繭さんを大切にして守ります!」

 「……大我さん」

 

 繭さんは大人しくなった。

 

 「分かりました、私大我さんを信じます」 

 

 涙を拭き繭さんは俺に抱きついた。

 

 良かった、けどこれからは絶対繭さんを泣かせないようにしよう。

 

 ……。

 

 暫くお互いに抱きしめあったが、流石に身体熱くなって汗をかいてきたので俺は離れようとしたが繭さんは俺を離してくれなかった。

 

 「あの、繭さん?」

 「……大我さん、私随分と嫉妬深い女の子みたいです」

 「えっ?」

 「す、好きな人に別の女の人の匂いが着いてるのがとても嫌です……だから! ……んっ」

 

 繭さんは俺に抱きついて身体を密着して擦り付けるようにモゾモゾと動き始めた。

 

 おいおいおいおい! 何だよこれ!?

 

 俺はあまりの衝撃に何も言えなかった。

 

 「……ふぅ、大我さん、これで私の匂いが着きましたか?」

 

 繭さんは顔を真っ赤にして恥ずかしそうに下に俯きながら俺に尋ねた。

 

 ええ、もちろん着きましたとも。

 

 俺はそう口に出そうにも出せなかった。

 

 童貞の俺には刺激が強すぎたようでそのうち頭に血が登ってきて、意識が朦朧としてきた。

 

 「きゃっ、大我さんっ!? 大丈夫ですか? 大我さん起きてください」

 

 繭さんの心配する声を最後に俺は意識を失った。

 

 ___

 

 「くくく……大我の奴私にかわいいとか言ったくせに……薄情だな」

 

 私は大我の部屋から少し離れた廊下で壁に持たれながら座っていた。

 

 「あら? 胡蝶あなた廊下で座り込んだりしてどうしたの?」

 「……ボタンか」

 

 偶然通りかかったボタンが私に話しかけて来た。

 

 「そんなところで座り込んでたら邪魔でしょ、早くどきなさいよ」

 「……確かにそうだな」

 

 私は身体に力を込めるが立ち上がる事ができなかった。

 

 「あなた何やってるのよ?」

 「……くくく、本当に何をやってるだ私は、済まないボタン、肩を貸してくれ、一人じゃ起き上がれないんだ」

 

 私の発言でボタンは何かを察したようでみるみる怒った顔になって私の肩を掴む。

 

 「胡蝶、いつから力が入らないの!?」

 「今日の朝くらいからかな、実は私と大我はもう恋人同士じゃないんだ」

 「バカ! なんで大我様を引き留めないのよ、けど別れたのが今日ならまだ関係を修復できるはず、どうせあなたが嫉妬して大我様と喧嘩別れしたんでしょ? 早く仲直りして愛してもらいなさいよ」

 

 ボタンは私を肩に担ぐと大我の部屋まで連れて行ってくれようとした。

 

 「ボタン、それは無理だ、だってもう大我は繭と恋人になったんだから……くくく」

 「えっ、何ですって?」

 

 自嘲気味に笑う私をボタンはギョッとした表情で見た。

 

 「……胡蝶、私が言った事を覚えてるでしよ?」

 「あぁ、覚えてるよ、私達人形は所有者の愛情で生きている」

 「そうよ、だったらわかるでしょ? あなたの場合大我様からの愛情が無くなれば……」

 「……私は死ぬな」

 「そこまで分かってるならいいわ、早く大我様の所へ行って愛情をもらうわよ」

 

 ボタンが歩き出そうとするのを私は止めた。

 

 「ボタン、大我の部屋に連れてかないでくれ、出来れば姉貴達全員がいる所へ行きたい」

 「そんな事をしている暇なんてないわよ! いいから行くわよ!」

 「行きたくないっ! 今大我の部屋には繭がいるんだ、大我と繭が仲良くしている所を見たくない!」

 「……胡蝶!」

 

 ボタンは私を下ろすと前から抱きしめてくれた。

 

 「胡蝶、辛いのは分かる、けれど今から繭お姉様から大我様を取り戻さないとあなた死んじゃうのよ? だからお願い、大我様の所へ行きましょう」

 

 泣きそうになりながら私を抱きしめるボタンの頭を撫でながら私は古谷家の家宝の温泉でボタンが私に言った事を思い出した。

 

 ___

 

 『繭お姉様は人間だから赤ちゃんを産むことができる、けど私達はそれをできないわ』

 

 ___

 

 「……ボタン、お前が言っていた言葉の意味が分かったよ、人間は子供を産んで家族を作る、けど私達人形は子供を産めないから家族を作れない、そういいたかったんだろ?」

 

 ボタンは私の話を聞いて嫌々するように頭を降った。

 

 「違うの! あの時は意地悪で言っただけなの、私達人形でも家族が作れるわ、だってお父様は私達を娘だと言ってくれてるし家族よ!」

 「確かにそうだ私達人形にも家族はいる、けれど……もし私と大我が一緒になれば、大我は本当に孤独になってしまう」

 「どういうこと?」

 

 私は仮に大我と一緒になれた時の事を想像した。

 

 きっと二人だけで楽しく、寂しさを感じることの無いまま一生を終えるだろう。

 

 大我が寿命を迎える時に私の所有権が無くなるので二人同時に死ねる。

 

 しかし、その後が問題だ。

 

 「……もし大我と私が死んだ後、大我のことを覚えている人はいるのか?」

 

 私の問いかけにボタンは衝撃をうけて答えられないようだ。

 

 「私はこう思ったんだ、大我はいいやつだ、なんせ人形を愛してくれる良い人間だ、こんな良いやつがいる事を世の中の皆に知ってほしい、そしてそれを伝えれるのは大我が生きた証で今後生まれて来るかもしれない息子だったり娘だったり……要は家族だ」

 

 大我は繭ときっとうまくいって結婚して家族を作るはず。

 

 「繭も同じ人形で妹の夢見鳥を愛してかわいがってくれてる、こんな素晴らしい人間二人が家族を作っ手くれたらきっと人形好きの子供ができるはずだ、私はそうなったらとても嬉しい」

 

 私の思いを聞いてボタンは泣き顔を隠すようにして頭を私に押し付けた。

 

 「この、バカ妹……ぐすっ、偉そうな事を言って生意気よ、ひっく……せっかく戻って来たのに、もう会えないじゃないのよ……うわぁぁん」

 

 「……ゴメンな、ボタン……お姉様」

 

 動けない私はその場でボタンが泣き止むまで抱き合った。

 

 ___

 

 「ひっく、ひっく、ぐすっ……うわぁぁん、繭ぅ」

 

 別の部屋で胡蝶と同じように身体が思うように動かない人形がいた。

 

 「やだっ、やだっ、またあの時の感じだ、夢見鳥の中から何か抜けてく……繭、助けてよぉ!」 

 

 人形はうつ伏せに布団に倒れた状態で泣いている。

 

 部屋の主は不在で誰も人形を助ける事ができない。

 

 「ぐすっ……死にたくない、夢見鳥は繭とずっと一緒にいるんだもん、だから繭、帰って来てよぉ……うわぁぁん!」

 

 暫く部屋に人形の泣き声が響いた。

 

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