ここがお化け屋敷になるまで

アルミキャット

用意された沈黙

1.

祖母がこの世を去ってから2週間が経ったある日のこと、私は風邪で寝込み、学校を休んだ。リビングから聞こえてくる朝の忙しげな喧騒を他所に、ベッドの上で惚けた頭のまま横になっていられるのは少し嬉しくもあったが、両親や姉が仕事へ出てしまうなり、家の中はどうしようもない静けさに支配されていた。

午前10時、手持無沙汰な私は横になったままの姿勢で窓際に置いてある体温計へ手を伸ばし、熱を測る。ぎゅっと脇を絞め、目を閉じる。聞こえてくるのは時計の音、雀の鳴き声、外を走るトラックのガラガラとしたエンジン音。少しの後、ピピピという電子音と共に38℃という私の体温が示された。まだ熱は高いが、薬が効いてきたのか関節の痛みは和らぎ、頭も冴えている。リビングで紅茶でも飲もう、そう思った私はベッドから身を起こし、右足からゆっくりと床の上へと降り立った。風邪のせいなのか、寝てばかりのせいなのか、足の筋肉は少しの強張りを感じさせ、一歩、また一歩と自室からリビングへ向けて歩みを進める度、太ももに鋭い痛みが走る。そして心なしかベッドの上にいるときよりも視界がふらつく。ただなんとなく、明日にはすっかりと元気になり、学校へ行けそうな気がした。

ケトルでお湯を沸かし、トワイニングのティーバッグを落とし込んだマグカップへと注ぐ。コポコポという音、揺らめく湯気。私はじっとコップの中を見つめる。透明なお湯が茶色く染まってゆく様子はどこか爆発の炎に似ていると思う。1分後、少し迷ったが砂糖はいれずに飲むことにした。

2.

これはもうずっと昔のこと、まだ小学生だった私は今日のように風邪で学校を休んでいた。熱も下がり、すっかり元気になっていたが、念のためにと母が学校を休ませてくれていた。『10時になったら食べなさい』母はそう言いながら林檎やグレープフルーツ、キウイなのどの果物を切り分けると、無地の真っ白なお皿の上に盛り付け、ラップを掛けて冷蔵庫へと放りこみ、仕事へと出かけて行った。

その後、誰もいないというのに、私は布団の中でこっそり漫画を読み始める。しかし、いまいち集中しきれず、すぐに漫画を棚へと戻した。普段ならもう教室にいる時間、時間はゆっくりと進むように感じられた。

二度寝でもしよう、そう思い再び目を閉じたが、それも叶わず時刻は9時30分。母が出かけて1時間ほどが経過していた。私はリビングへと向かうなり先ほどの果物を冷蔵庫から引っ張り出すと、手づかみで頬張りながらリビングでテレビを見始める。放送されていたのは退屈な朝の情報番組。しかし私の目に留まったのはテレビ台の中にある、見知らぬVHSであった。

VHSは既に巻き戻されていたので、テレビのチャンネルをデッキに合わせ、再生ボタンを押す。テレビに映し出されたのは、私が楽しみにしていたものの風邪で寝込み見ることのできなかった心霊特集番組であった。平日の朝にそんなものを観るなど、今考えるとなんとも滑稽なものだが、まだ幼かった当時の私にそのようなことを察する感慨などある訳も無く、興味の赴くままに視聴を開始した。ただ、なんだが少しだけ悪いことをしているような気分だけが先走っていた。

映し出されているのは真夜中の廃墟。1人の霊能者と3人の芸能人が恐る恐る廃墟の奥へと歩みを進めていた。彼らは水の溜まった地下通路を進みながら、怖い怖い、そんなことを言いつつも探索を続ける。すると霊能者が『あそこの角です、あの角に女性の霊がいますよ。かなり強い警戒心を発しています。もうこれ以上は...』そう言って怪訝な顔をカメラに向けた途端、ガチャン!なにか鉄のようなものが崩れ落ちる音がして、彼らは悲鳴をあげながら逃げ惑う。

『ガチャリ』玄関の扉が閉まる音がした。私は背筋を凍らせ慌てふためきながら立ち上がる。すると祖母が無表情のまま、リビングに入ってきた。

「あら、あんた寝てたんじゃないの。」

「いや、なんか眠れなくって。ていうかもう元気だし。ねぇおばあちゃん、このことママには言わないで、お願い。」

「別に言いやしないよ。」

3.

祖母の仏壇がある和室からは、まだほんの少し線香の香りが漂っていた。襖で締め切られたその部屋は陽の光が届くこともなく、ツンとするカビ臭さと枯れ草のような畳の匂い、そして線香の芳香に満ちている。妙な緊張感を孕んだ静寂が私を包み、曰く言い難い、不安のような、罪悪感のような思いが頭をよぎる。祖父亡き後、祖母は毎日こんな静かな家の中で何をしていたのだろう、何を想い暮らしていたのだろう。厳しい静寂は私を跳ね除けようとしている。空間というのは、そこに誰かがいてこそ意味を成すものなのだろうか、ただただ不在を示す空間には何があるのだろう、そこはなにを待ち侘びているのだろう。

4.

棺に収まった祖母はまるで、持ち主のいない寂しげな空き家のようであった。少し空いた口は虚空を醸し、もう二度と光を見ることのないその目は固く閉じられていた。『まるで蝋人形のようだよ、お婆ちゃん、そんな顔、私に見せないでよ。』

5.

そして今日まで季節は巡り、月日は流れる。日本中を震撼させたあの日の地震も、ヨーロッパ、そして中東を混乱に陥れたあのテロすらも彼女は知らない。当然だ、この世にいなくては知る由もない。そのことは激しい切なさをもたらす不在の証明。

時刻は昼の12時を回っていた。日は高く昇り、強い日差しが窓に差し込んでいる。窓から覗く庭の草木は日々緑の深さを増し、私の目に優しく映る。さっきまでの緊張感は鳴りを潜め、家の中は穏やかな空気に変わっていた。私はリビングのソファに座るとテレビをつける。ふと、あの日の廃墟は今もそこにあるのだろうか、そんな事が頭をよぎる。こんな穏やかな日でも、真昼間でも、誰も見ていなくても、幽霊はそこに現れ不気味な存在を示しているのだろうか。そして私がここにいなくても、この家はあの緊張感と不在を醸し出しているのだろうか。なんだか、また頭が痛くなってきた。

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