夜降ちに飛ぶ 2

 城塞都市セウスベルグに夕闇が迫る。

 本性である巨大な鳥の姿になったラウラの背に、アダルベルトはまたがっていた。

「ラウラ、準備はいいか?」

『もちろんです』

 彼女の力強い応えに、アダルベルトは笑みをこぼした。

「こちらアダルベルト。準備できました」

《了解。ふたりとも気をつけて行けよ》

 耳飾り型の交信装具こうしんそうぐ――霄鉱石しょうこうせきと呼ばれる青い石を加工して作られたものだ――から通信班の声が返ってくる。

 ――あ、今日は良い人のほうだ、と内心ほっとする。

 飛獣騎兵部隊に正式に配属されてから、自分たちのことをよく思わない人に当たる時は本当にいたたまれない。文句はあっても仕事だからと割り切って対応してくれる人はまだいいが……いや、これ以上考えるのはやめよう。

 今は任務に集中しなくてはいけない。

 雑念を振り払い、ラウラの背をぽんぽんと叩く。彼女はちらりとこちらを見上げて、一声鳴いた。

「アダルベルト、行きます!」

 直後、ラウラがその巨大な翼を広げた。ばさり、と力強い羽ばたきとともに体が宙に浮く。風が巻き起こり、ラウラは急上昇した。

 高く高く空へと昇っていく。ある程度の高度まで上がると、ラウラは南西の方向へ向き直った。

『アダルベルト、念のために〈遠見〉と〈暗視〉をお願いできますか』

 飛獣の身体を強化する霄術しょうじゅつというものがある。〈遠見〉は遠くまで見通せる眼を、〈暗視〉は暗闇の中でも普段と変わらないように見える眼にする術だ。

 この暗闇の下、その術を使うことが効率的なのだと頭では理解している。

 けれども、アダルベルトは頷くことはできなかった。

「ラウラ。いきなりそのふたつを掛け合わせて大丈夫か?」

 霄術は飛獣の身体能力を上げるが、その反動で飛獣自身に負担がかかる。

 二つとも眼の力を最大限に引き出すものだ。

 術の効力が切れた後に、彼女の身体にどれだけの負担がかかるのか、アダルベルトには分からない。

 できれば、彼女に負担かかかるのだけは避けたい。

『…………長い時間は、無理かもしれません』

 少しだけ口を噤んだかと思ったら、ラウラはそう言ってきた。やっぱりか、と思わずため息を吐きたくなるのをこらえて、彼女のふわふわとした羽毛の背中をぽんとなでた。

「無理しなくていい。とりあえず〈暗視〉だけにしておこう」

 アダルベルトの提案に、しかしラウラは黙り込んだ。

 ――こういう時、彼女は本当に強情だなぁ、と思う。それがなんだか微笑ましく思えて、思わず顔がほころんでしまいそうになった。

『……アダルベルト?』

 急に黙り込んだのを不審に思ったのかラウラが声をかけてきた。アダルベルトはごほん、とひとつ咳払いをして気持ちを切り替える。

「〈暗視〉だけでいいよな」

 そう問いかけるものの、それ以外の霄術をかけるつもりはない。そんなアダルベルトの意思表示は、彼女にも通じたらしい。

『……わかりました』

 渋々といった風に、彼女は同意した。

「うん、わかればよろしい」

 〈暗視〉の術をかけると、淡い青色の光が彼女の体を包み込んだ。その光も一瞬で消えると、彼女の瞳が、淡い青色に染まっているのが見える。無事に術がかかったのを確認して、アダルベルトは前を見据えた。

「どうだ?」

 ラウラは視線を前に向けて、遠くを見渡す。

 夜の空の下ではいつも見える風景も真っ暗闇に染まっている。だが、〈暗視〉をかけられたラウラは、きっと昼間と同じように見えているはずだ。

『……今のところ目視では魔獣の姿は見えません。特に気配も感じませんね』

「そうか」

 ――このまま、何事もなく夜間飛行が終わればいい。


 それからしばらく空を飛び続けていたが、特に魔獣と遭遇することもなく時間が過ぎていった。欠伸が出てきてしまいそうになるのを堪えて、空を仰ぎ見る。

 今日の月は三日月よりも少しだけふくらんだ形をしていた。その周りを、目映いばかりの星々がきらきらと輝いている。

 こんな星空を見るのはいつ振りだろうか。地上よりも空に近い場所から見る星は、手を伸ばせば届いてしまうんじゃないかと錯覚する。

「なあ、ラウラ」

 星空の下を優雅に飛びながら、アダルベルトはラウラに声をかける。

 彼女はちらりと目線だけをこちらに向けた。

『なんですか?』

 彼女の瞳は猛禽類の鋭い眼孔なのに、どこか温かみを感じる。

「なんでラウラは俺の呼びかけにこたえてくれたんだ?」

 突拍子もないアダルベルトの問いかけに、彼女は目をぱちくりとさせた。しばらく彼の顔を見つめていたが、前に視線を戻して考え込むように口を閉ざす。

 少しの間、ただ風を切る音だけが耳に届いていた。

『…………アダルベルトの空がとても綺麗だったから、ですかね』

 しばらくして、彼女ははっきりとそう答えた。

 だが、彼女の言葉の意味がわからずに、アダルベルトは首を傾ける。

「……俺の空?」

『はい。アダルベルトの空です』

 ――彼女の言う、『俺の空』というのはどういう意味なのだろうか。

「俺の空って?」

 思わず聞き返せば、ラウラはこちらを見上げて微笑んだ。本性である鳥の姿をとっている今では、その表情が本当に微笑んでいるものなのかは断定できない。

 それでも、その時は彼女が微笑んでいるような気がしたのだ。

『アダルベルトの瞳の中に、とても綺麗な空が見えたんです』

 その言葉に、アダルベルトはきょとんとする。

 ――瞳の中に空がある。それはなんとも不思議な例えだ。

 アダルベルトの瞳は青い色をしている。彼女から見て、その青色が空に見えたのだろうと、漠然とそう思った。

『あの世界で私はずっと同じ空を飛んでいました。でも、ある日突然、いつもと違う空を見つけたんです』

 ばさり、と羽を打ち鳴らす音が耳に届く。

『空の向こうにあった青くて広い空。そこだけが、あの世界の空とは違ったんです』

 歌うように、彼女は言葉を続ける。

『とても綺麗な空でした。私は、そこを飛びたいと思いました』

 風が頬をなでた。穏やかで静かな夜の風は、少しだけ肌寒く感じる。

 ラウラはゆっくりと速度を落として、その場でぐるりと旋回した。魔獣の姿も気配もない。ラウラとともにアダルベルトは陸地を確認しながら、彼女の次の言葉を待つ。

『そしたら、あなたの声が聞こえたんです』

「俺の声?」

 記憶を思い返してみても、アダルベルトがあの世界で声を発したのは、ラウラに呼びかけられた時だけのはずだ。

 ――私の名前を呼んで、と。

 突然頭に浮かんできた言葉を声に出した時――その言葉こそ彼女の名前だったのだが――ラウラが目の前に現れたのだ。

『はい。こっちへ来て、ここだよ、って』

「俺、君に話しかけてたのか?」

『どうなのでしょう。私にもよくわかりませんが……私には、そう聞こえていたんです』

「へぇ」

 本当に不思議なことだ。

『誰でもないあなたが呼んでいたから、私はここに来たんですよ』

「っ!?」

 ラウラの突然の告白に、アダルベルトはぼっと顔が赤くなった気がした。じわじわと首まで熱くなっていく感覚に、片手で顔を覆い隠す。

『ふふ。照れてますね』

 こちらを見ていないはずなのに、ラウラはおかしそうに笑った。

「こら。茶化すんじゃない」

 動揺からか声が震えてしまう。それを悟られないように息を整えていたからか、

『……本当のことなんですけどねぇ』

 ラウラがそんなことを呟いていたことを、アダルベルトは気付かなかった。

『そういうわけで、私がこの世界に来た理由はおわかりいただけましたか?』

「……充分にな」

 それからしばらくは、眠気覚ましも兼ねてラウラと雑談をしていた。

『……あ』

 唐突に、ラウラが声をこぼす。

「どうした」

『ここより北西の方向に魔獣の気配が』

 一瞬でふたりの間に緊張が走る。

『少し遠いですが……ただ、段々こちらに近づいてきます』

 このままこちらに近づいてくるということは、城塞都市に向かってきているということだが、果たして、このまま魔獣はやってくるだろうか。

 ――無駄な戦闘は避けたい。

『アダルベルト、〈遠見〉を』

 ラウラの要求に、しかし、アダルベルトはすぐに応えることはできなかった。

 彼女の顔をのぞき込むように、前のめりになる。

「……大丈夫なのか?」

 そう問いかければ、彼女は小さく頷いた。

『長い時間使わなければ大丈夫ですよ』

 仕方がない、とアダルベルトは〈遠見〉の術を唱える。青い光が彼女の身体を包み込むと、ラウラは少しだけ上昇した。

 遠くを睨みつけているラウラが口を開くのを待つ。

『…………小さい栗毛の馬のような姿。頭上に数本の歪んだ黒い角と白いたてがみ

 彼女が魔獣の特徴を告げる。魔獣の数は多いので全部を把握しているわけではないが、その特徴を持つ魔獣には覚えがあった。

「〈駆ける蹄レーガル〉だな」

 小型の魔獣だ。臆病な性格をしているこの魔獣は群れで行動し、あまり人のいるところへは近づいてこないはずなのだが。

「数は?」

『全部で十二ですね』

「……こっちは単騎だからなぁ」

 小型の、しかも臆病な性格をしていても魔獣であることにかわりない。数で攻められたら圧倒的に不利だ。

 夜間で出ている他の者に応援を求めるべきか、それとも城塞都市に応援を求めるべきか。

 アダルベルトが悩んでいるところに、ラウラが声をかける。

『迎え撃ちますか? いけますよ』

「おいちょっとまてやめろ」

 なぜか自信満々に告げて臨戦態勢に入るラウラに、即座に突っ込みを入れる。本当に、彼女のこの自信はどこからやってくるのだろうか。

「……向こうはただこっちに向かってきてるだけなんだよな?」

『そうですね』

「こっちには気付いていない?」

『ええ』

 ――それならば。

「戦わずにすむ方法を探そう」

 ここで戦闘になり、たとえ勝利することができたとしても、この後にまた魔獣と出会う可能性だってある。

 できれば体力は温存しておきたい。

『……威嚇攻撃でもしてみますか? 私たちの方が強いとわかれば、進路を変えるかも』

「そうだな。……いけるか?」

 彼女は頷くかわりに力強く羽を打ちならした。ビリビリと威圧を感じて肌が総毛立つ。

『いきますよ!』

 鋭い鳴き声とともに空気が揺れた。鋭い風が塊となって、まだ遠くにいる魔獣の群れへと飛んでいく。

 少しの間を置いて、どん、という重い衝撃音が耳に届いた。魔獣の声は、聞こえない。ここまで届いていないだけなのか、それとも。

 ここからではアダルベルトの肉眼で確認することができない。〈遠見〉をかけているラウラだけが頼りだ。

『――……よし、成功しました。群れが方向を変えていきます』

 彼女が安堵を滲ませた声で言う。

「よかった。ラウラは大丈夫か?」

『心配性ですね。私は大丈夫ですよ』

 もう大丈夫です、とラウラが言うので、アダルベルトは瞬時に〈遠見〉の術を解いた。自然と効力は薄れていく霄術だが、早く解けるにこしたことはない。

「ふあぁぁ……眠い」

 緊張が解けたからか、一気に体が脱力する。

 ぐっと腕を伸ばして体をほぐしていると、ラウラがくすりと微笑んだ。

『ベルトで固定してるとはいえ、落ちないでくださいね』

「大丈夫だ。……たぶん」

『落ちないでくださいね』

 アダルベルトの曖昧な返答が不安になったのかラウラが語調を強めた。彼女からただならぬ気配を感じて我知らず肩をびくりと震わせる。――やばい。怒ってるかも。

 右へ左へ落ち着き無く視線を移しながら、今の状況を変えようと別な話題を探す。どうしようかと頭を抱えそうになった時、ふと、視界に飛び込んできた光景に息を止めた。

「……お、ラウラ。もうすぐ夜が明けるぞ」

 いつの間にか空が白んできていた。星空は姿を隠し、地平線の向こうからもうすぐ太陽が顔を覗かせるだろう。

 そろそろ夜間飛行も終わりだろうかと考えていた時、交信装具から声が届いた。

《――――こちら通信班。アダルベルト、聞こえるか?》

 交信装具に手を添えて口を開く。

「こちらアダルベルト。聞こえています。何かありましたか?」

《こちらでは問題は起こっていない。おまえたちの方はどうだ? 何かあったか?》

 ……問題は起こっていないが、一応、先ほどのことは報告はしておいた方がいいだろう。

「城塞都市に接近していた魔獣がいましたが、とりあえず威嚇攻撃で追いやりました。それ以外は特に問題は起こってません」

《は?》

 胡乱げな声を上げた通信班に、アダルベルトは顔が引きつりそうになった。

 ――やはりラウラの戦闘能力は規格外なのだろう。普段一緒にいるから忘れてしまうのだが、ラウラは飛獣の中でもかなり強い部類になるらしい。

 今回のように単騎で複数の魔獣と対峙できる飛獣はそう多くないだろう。

 だからこそ、通信班のあの反応も頷ける。

《……まあいい》

 どこか疲れたような声が落ちる。アダルベルトは心の中でごめんなさいと詫びた。

 それにしても、通信班の後ろが何やら騒がしい。バタバタとした足音と、人の声が入り混じっている。

《そろそろ戻ってこい。鯨も上がる準備をしている》

「了解しました」

《飛獣の上で居眠りして落ちるなよ?》

 からかうような声に、アダルベルトは先ほどまで感じていた眠気が一気に吹っ飛んだ。

「!? お、落ちません!」

 交信装具の向こうから笑い声が聞こえてくる。恥ずかしさのあまり顔に熱が集まってくる。

《ま、無理はせずに帰ってこいよ》

 そこで交信が途切れた。

 アダルベルトはあーっと無意味に声を出しながらラウラの背中に寄りかかった。ふんわりとした羽毛に埋もれると、疲労と眠気が混ざって頭の中がぐちゃぐちゃになっていく。

 このまま眠ってしまいたい衝動をどうにか堪えて、上体を起こした。

「……ラウラ、帰るか」

『はい』

 ラウラはゆっくりと羽ばたいて旋回すると、城塞都市に向けて進路を変えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

セウスベルグの飛獣騎兵 飛瀬貴遥 @tobizero

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ