セウスベルグの飛獣騎兵 5
やっかみや嫉妬、羨望といった様々な思惑を感じながらも、緩やかに日々は過ぎていく。
長かった訓練も今日で終わりだ。ラウラを喚び出した後から色々なことがあったが、今日が終われば一段落するだろう。
――その時は、そう思っていた。
アダルベルトは巨鳥ラウラの背に乗って、大空を優雅に滑空していた。風も穏やかで天気が荒れる気配もない。
絶好の飛行日和。
《――こちら通信班。アダルベルト、聞こえてるか?》
それでも、一言一句聞き逃さないように耳をそばだてる。
「こちらアダルベルト。聞こえてます」
《よし、では哨戒任務に移れ。……訓練だからって気を抜くんじゃないぞ》
この哨戒任務が終われば訓練は終了だ。
――そしたら、晴れて飛獣騎兵部隊の一員になれる。
「了解です」
アダルベルトは、逸る気持ちを抑えて応じた。
交信装具からの通信が途絶えて、変わりに、背後から何かが近づいてくる。
「あんまり難しく考えんでいいぞ。哨戒任務とはいえ、早々に魔獣が出てくるわけでもないからな」
そう声をかけてきたのは、この訓練で同行を命じられた戦闘隊のひとり――キヴァリ・ノケライネンだ。赤茶色の髪に、つり上がった鋭い緑青の瞳。武官らしい体格の彼は、ラウラよりもやや小さい飛獣に跨っていた。
彼の飛獣は大きな猫のような体躯をしていた。濃い黄色のぱっちりとした丸い瞳。白い体躯に雲母模様の背中には翼。しなやかな四肢の先は、もこもこした雲のような柔らかい毛に覆われていた。
凛々しい、というよりも可愛い雰囲気の飛獣は、彼と一緒にいると何ともいえないアンバランスさを感じた。
「はぁ……しかし、緊張します」
「しっかりしろ新人。あんまり不安を感じてっと、相棒にも不安が移っちまうぜ?」
なあ、と彼は相棒の飛獣の首筋をなでる。くるる、と応じるように飛獣が鳴いた。――彼の飛獣は下位種で、ラウラのように喋ることができないのだ。
『大丈夫ですよ』
下で、ラウラが声を上げた。
「ラウラ?」
『私がついてます。アダルベルトにはかすり傷ひとつつけさせません』
朗らかに彼女がそう断言するものだから、アダルベルトは開いた口が塞がらなかった。
そこに豪快な笑い声が響く。
「あっはっは! おいおいアダルベルト、心強い娘っ子じゃないか! お前がそれでも安心だな!」
……なんだか、いたたまれない気分になった。
任務開始時点で色々とあったものの、哨戒飛行は順調だ。
現時点で魔獣の姿はゼロ。このまま何事もなく西の大森林手前まで行けば、任務は終了だ。
アダルベルトは交信装具に手をかける。
「こちらアダルベルト。今のところ異常はありません」
《――こちら通信班。了解だ。そのままの進路を保ち、任務を続行しろ》
「了解で……」
『アダルベルト』
応じようとした声は、不自然に途切れた。
アダルベルトの声を遮るように、ラウラが声を発したからだ。
《――どうした?》
交信装具の向こうから怪訝そうな声が上がる。
だが、アダルベルトはそれに答えることができなかった。
「ラウラ、どうした?」
『遠くに魔獣の気配を感じます』
彼女は鋭い視線を前に向けたままだ。
『数までは分かりませんが……』
言い淀むラウラに、アダルベルトはキヴァリを見やる。彼は表情を引き締めて頷いた。
「こちらアダルベルト。ラウラが魔獣の気配を察知した」
《――――こちら通信班。それは本当か?》
「目視ではまだ確認できていない」
一瞬の間。向こうから悩ましげな声が聞こえる。
《……信憑性に欠けるな》
それは、そうだろう。まだ実際には確認できていないのだから。――そう思っているのに、これまでのこととまだ新人なことで、ラウラも自分も信用されていないのではないのかと邪推してしまう。
《――しかし、飛獣は我ら人よりもそういった能力に長けている。場所は分かるか?》
そこで、アダルベルトはほっと胸をなで下ろした。
「城塞都市から北北西の方角です」
《少し待て》
通信班からの声が遠ざかる。
《――――こちらドミニク・ブレイハだ。アダルベルト、キヴァリの両名は先行して魔獣の確認、必要であれば討伐せよ》
部隊長の登場と共に命令が下る。突然のことに、アダルベルトは動揺を隠しきれなかった。
「え、しかし……!?」
もごもごと口ごもっていると、向こうから「落ち着け」と強い口調で制された。
《戦闘隊はすぐ出撃する。だが、お前たちが先に行き、魔獣の存在を確認するだけでもこちらは助かる》
部隊長から檄が飛ぶ。
《やれるな?》
「……了解、です」
有無を言わせぬ問いかけに、アダルベルトは頷くしかなかった。
交信装具から声が聞こえなくなると、後ろを振り返る。
「いやはや、こんなことになるとはな」
やりとりを静かに聞いていたキヴァリが声を漏らす。
「キヴァリさん」
「大丈夫だ。俺もいるし、お前んとこの飛獣は強いだろうが」
そう言われて視線を下に向ける。白金色の羽毛が目に入った。
そこに手を添えて、彼女の名前を呼ぶ。
「…………ラウラ」
彼女は彼の言いたいことが分かっているとばかりに、強く一声鳴いた。
それを聞いて、アダルベルトも覚悟を決める。
「――行くぞ!」
その言葉を合図に、ラウラは翼を強くはためかせた。がくん、と体が後ろに持っていかれそうになるのを、足に力を込めて堪える。
《アダルベルト、霄術は慣れたか?》
ラウラの少し後ろを飛ぶキヴァリから、交信装具を通して声がかかる。
素早く飛行する飛獣の背中では、近くにいても風に阻まれて声が届かないのだ。交信装具は、遠くとの連絡をする他に、こんな時にも必要になってくる。
「いえ……あまり」
《そうか。まあ、こればかりは数をこなすしかない》
それだけ言うと、一呼吸の間が空いた。
《――〈索敵〉》
短く呪文が紡がれた瞬間、青い風が巻き起こった。
アダルベルトは横目で後ろを見ると、キヴァリの眼前には文字の羅列で描かれた白い円陣が広がっていた。
《――――……ここから正面の方角に四、やや左の方角に三。どれも小型……いや、正面にいるひとつに中型が紛れ込んでんな》
霄術〈索敵〉は、魔獣の位置を把握する術だ。
「中型……群の頭ですか?」
《さあな。まあ、全員潰せば問題ないさ》
その言葉を最後に、ふたりは無言で魔獣がいる方向へ飛んでいく。
空は相変わらずの晴天だ。魔獣さえいなければ、優雅に観光飛行でもできたのに。
風の流れに乗って羽ばたいていると、ラウラが「見つけました」と言って下降しはじめた。アダルベルトは身を乗り出して眼下を見やる。
《……〈
キヴァリが呻くように呟く。
以前いた部隊でも何度か見かけた魔獣だ。狼のような姿をした、巨大な四足歩行の獣。額に小さい角があり、太い四肢の先には鋭く伸びた黒い爪を持つ。力は普通だが、魔獣の中でも特に身軽ですばしっこい。撃退することはおろか、捕らえることも難しい獣。
『私の敵ではありません』
《……なんつー自信だよ、おい》
ラウラの力強い言葉に、キヴァリは苦笑混じりの声で言った。
『自信ではありません、事実です。それだけの力を私は持っています』
アダルベルトは彼女を見る。
ラウラはちらりと彼を一瞥して、前を向いた。
『私はロワ・フォーゲラオルですから』
巨鳥の力強い肯定に、口の端をつり上げて頷いた。
《よし! そんなに言うんだったら、お前はこのまま真っ直ぐ魔獣どもに突っ込め》
「はい!?」
思わず、ここが空の上というのも忘れて大きく振り返った。体が傾いで、危うく落ちそうになる。慌ててがしりと羽毛を掴んでしまって、ラウラが小さく悲鳴を上げた。――すまん。
《囮だ囮。お前が突っ込んでる間に色々と仕込むからよ》
「……はあ」
《いいか? いいな? よし、任せたぞ》
アダルベルトが何かを言う前に、キヴァリと彼の飛獣は離れていった。仕込む、とは言っていたが、何か罠でも仕掛けるつもりなのだろうか。
しかし、ここで呆けていても仕方がない。
「……ラウラ。そういうことで、とりあえず魔獣の群に突っ込むことになった」
『ふふ、大丈夫ですよ』
なんて心強い。ぽんぽんと彼女の体をなでて、手綱を強く握りしめた。
『アダルベルト、念のために補助をお願いできますか?』
ラウラの問いかけに、二つ返事で答える。
「いいぞ。どうする?」
『〈加速〉と〈捕捉〉を』
「あいよ」
〈加速〉と〈捕捉〉。それぞれ飛獣の力を底上げする霄術だ。〈加速〉は飛獣の持つ運動速度を上げ、〈捕捉〉は敵を捕らえるための探知能力を上げる。
手早く術を紡げば、淡い青色の光がラウラの全身を覆った。
『気を付けますが……しっかり捕まっていてくださいね』
その言葉の直後、ラウラが加速した。先ほどよりも速い。胃がひっくり返りそうになるのを我慢する。
そうこうしている内に、魔獣との距離が縮まっていった。
魔獣は、まだこちらに気付いていない。
『一撃目、放ちます!』
ぴぃぃぃん、と鋭い鳴き声が空を貫いた。ラウラが生み出した風の塊が魔獣の群へと撃ち込まれる。
どん、という重い衝撃と共に一体が倒れた。
「よし!」
『二撃目、三撃目、放ちます!』
鋭い鳴き声が再び上がる。それと同時に生み出される風の塊が魔獣の群れへ向かっていく。その頃には、魔獣にもこちらの存在に気付かれていた。
二撃目は群のど真ん中に落ちたが当たらなかった。三撃目は一頭に当たる寸前にするりとかわされてしまった。
魔獣も一筋縄ではいかないのだと改めて認識する。
『アダルベルト、〈追尾〉を!』
「――〈追尾〉!」
ラウラの要求に、アダルベルトは素早く霄術を唱えることで応えた。青い光がラウラの身体を包み込んだ瞬間、彼女は鋭い鳴き声を上げた。
『いけ!』
ラウラの眼前に複数の風の塊が生じた。間を置かずして彼女が翼を大きく打ち鳴らすと、塊が矢のように飛んでいく。
魔獣の一体がそれを避ける――が、風の塊はすぐに方向転換し、背後から魔獣を襲った。
〈追尾〉の術をかけられた鋭利な風は、どこまでも敵を追いかける。次々に魔獣が倒れ伏していくが、まだ数体が残り、群の頭とおぼしき魔獣もいまだ健在だ。〈追尾〉で強化された風でも追いつくことができずに霧散している。
その時、背筋を氷解が滑り落ちた。
「ラウラ!」
反射的に彼女の名前を叫んだが、間に合わなかった。高い悲鳴が聞こえ、衝撃が全身を襲う。振り落とされぬように必死に彼女の体にしがみつく。
『っ! アダルベルト!』
体勢を立て直したラウラが悲痛な声を上げた。
「俺は大丈夫だ。ラウラは? 怪我は?」
『ないです。……すみません、不覚をとりました』
アダルベルトはしがみついていた体を離し、彼女の体を見やる。大きな怪我がないことにほっと胸をなで下ろすと、そのまま下に視線を移した。
いつの間に近づいてきていたのか、一体の魔獣がこちらに牙を向けていた。あの魔獣が攻撃を仕掛けてきたのだろう。
「気を付けろ。あいつも風の攻撃を仕掛けてくる」
『はい。次は当たりません!』
そう言って、彼女は魔獣から距離をとった。攻撃の当たらない範囲へ逃れたのだろうと推測する。
だが、魔獣はこちらへ突進してきた。遠くにいたはずの姿が、目の前にある。瞬間移動でもしたのかと錯覚しそうなほどの瞬発力に目を剥いた。
『させません!』
魔獣の体が当たる寸前、不可視の壁ができあがった。鈍い音と共に魔獣が悲鳴を上げ崩れ落ちる。
その隙を逃さず、ラウラは追撃を放った。
「……ラウラ、あまり無理するなよ」
連続して風を生み出しているラウラには負担が掛かっているはずだ。しかも魔獣から攻撃を受けている。飛獣といえど、体力が無限にあるわけではない。
『ふふ、心配性ですね』
戦いの場にいるとは思えないほどの穏やかな声に、アダルベルトは思わず唇を尖らせた。
「……当たり前だろうが」
『大丈夫ですよ』
それに、と彼女は言葉を区切る。
なんだろうか、と言葉の続きを待っていると、急に彼女は上昇した。
「どうした?」
疑問の声は、しかしすぐに感嘆に変わった。
眼下で、飛獣が縦横無尽に翔け抜けていく。その後には白い光の筋が残されていた。
ラウラはその白い光の中へ魔獣を追い込むように、風の塊を放つ。
《――――〈捕縛〉だ!》
光の軌跡は複数の丸が組み合わさってできた紋様となり、その終着点となる場所に飛獣が勢いよく着地する。
キヴァリがその背中から飛び降りると同時に、だん、と力強く地面を踏みつけた。
――刹那、地面から白くて細長い縄のようなものが浮かび上がった。ゆらゆらりと宙を漂っていたそれは、すさまじい動きで魔獣たちを束縛していく。
どれだけ素早く動こうとも、足を絡めとられ、身体に巻き付き、ついには動かなくなった。
《よし、一丁上がりだ!》
こうして、魔獣の捕縛劇は終了したのであった。
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