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◆ ◆ ◆ ◆



 首の荒らぶりようからしてそろそろじゃないかとは思っていたが、ようやく寝落ちたらしい。鼻がまっているせいで、口で呼吸する寝息が聞こえだした。



「なぁ、今こいつ、お母さんって言ったよな? もしかして……いてっ! 巳鶴さん、なにすんだよ! 叩くことないだろ!?」

「いいから。お黙りなさい」



 そうだぞ、海斗。お前もう黙っとけ。お前は昔っから一言というか余計なこと言い過ぎなんだよ。

 ……まぁ、一応のフォローをいれるとするならば、この場にいる皆が同じこと思ってる。断言してもいい。


 “あぁ、間違えたんだな”


 とはいえ、眠気に負けそうになりつつ、あいつなりに何か考えていたようだからなぁ。その上で離れなかったってことは、天秤てんびん勝負に神さんが勝ったってことだろ。


 なら、俺達が口出すべきじゃねぇ。



「それにしても、あの野郎に簡単に入り込まれたのはいただけねぇな」

「そうですね。今度青龍社に行って、もう少し結界を強めていただくようにお願いしなければ」

「それには及ばん。もうしておいてやったぞ?」

「……っ!」



 いっ、きなり出てくるんじゃねぇよ!


 うわさをすればなんとやら。

 その言葉と共に俺のすぐ隣に顕現けんげんしたのは、濃紺の狩衣を着た青龍社の神さんだった。いつもほけほけとしているが、今日もそれは継続中のようで、雅の父親の分の茶を見て、自分の分はと目でうったえてくる。


 しかも、気づけば綾芽に海斗という常習犯に続き、薫までいなくなっている。


 ……自分達だけとっとと逃げやがった奴ら、絶対許すまじ。

 特に綾芽。そんなに素早く行動できんなら、やれ。日頃から。

 

 脱兎だっとのごとく逃げ出した部下達に報復せんがため、どこまでが職権乱用に当たらないか職務規定を頭の中で反芻はんすうしつつ、気に入りの湯呑ゆのみをしまっているたなへ手を伸ばす。その中の一つを手に取り、横に置いていた急須きゅうすから神さんの分の茶をそそいでやった。



「……春道にまたどやされるぞ?」

「なに。ちゃんとふみを書いておいたからな。今日は安心だ」

「……ちなみに、なんと?」



 あぁ、巳鶴さん。そんな研究者にありがちな好奇心で聞くんじゃねぇよ。

 どうせ、こいつのことだ。ろくな内容じゃ……



「ん? あぁ。夕餉ゆうげは魚がよい、と書いてきた」

「……」

「昨日は全て野菜だったからな。我は知っておるぞ? 人間はこういうのを、ろーてーしょん、というのであろう?」

「……」



 ……そらみろ。


 神さんは何か知らんが、やけにご満悦まんえつだ。そして、多少イラっと来るほどのドヤ顔を披露ひろうしてくださりやがる。

 まるで、小さな子供が初めて覚えたことを親に披露する時に似ている気がする。もちろん、ソースは雅で間違いない。


 それとな、巳鶴さん。視線だけこちらに向けて、聞いて悪かったと謝らんでくれ。俺は何も聞いちゃいない……そういうことになってるんだから。


 神は神饌しんせんだけを食しているとは言わんが、これはない。どこに神官に夕餉メニューのリクエストして出かける神さんやつがいる。厳格な北の社の神さんが聞いたら激怒もんだぞ。


 

「雅は寝ておるし、いやはや、残念残念。まぁ、抱きかかえるくらいはできような」

「……やらん」

「なんと。そういうのを何というか、お主、知っておるか? けち、というのだぞ?」

「けちなどではなく、当然の主張だ」

「ふん。まぁよい。雅と我は一緒に散歩した仲だからな」

「我は、抱っこと言われたぞ。見よ」

「おい」



 あ、しまった。つい。


 雅の父神に対しては、口調は好きにしていいと言われたから普段通りのもんだが、一定の礼節だけは持つようにしてたっていうのに。


 しかし、なにが悲しくて、こんな中身が低レベルすぎる会話を聞かされにゃならんのだ……。


 あんたら、その話はここじゃなくて、どっちかのいえでやってくれ。

 そう声を大にして言いたかった気持ちが漏れちまった。


 これじゃあ、雅のこと言えた義理じゃねぇなぁ。



「お二方とも、お互いに御存知だったのですか?」



 がくりと肩を落とす俺の代わりに、先程迷惑をかけたびとばかりに巳鶴さんが神さん達の会話に割り込んでくれた。



「そりゃあ、年に一度は神はかりがあるゆえな。元とはいえど、冥府の主宰神はどこでも有名よ」

「なるほど」



 まぁ、雅が暮らしていたのは違う世界だろっつったって、神さん達にそういうのは関係ないんだろうな。


 そもそもの話、神さん達が長い年月を過ごしている場自体が、この人間が暮らす場とは違う。

 

 

「で、そこな童がくだんの御子か」

「あぁ。我が娘・・・があと二週間で戻すことになっている」

「ふむ。難儀よなぁ」

「まったくだ」



 どうでもいいが、神さん。あんた、我が娘を強調しすぎだ。

 そういう必死なところが雅に嫌われる原因の一つだと俺は思うぞ?


 すると、そうだ、と。

 青龍社の神さんが何かを思い出したのか、雅の父神の方へ視線を戻した。



「我の庭にすももった。前、嫁に食べさせたいから分けてくれと言っていただろう? いつでも取りにくるがよい」

「……後で行く」



 あぁ、嫁大好きの神さんのことだ。

 いますぐ行きたい。だが、今動けば雅が起きちまうかもしれん。せっかく自分から来たんだ。もう少し堪能たんのうしていたい。


 大体こんなところだろう。


 まったく。親子揃って天秤にかけなきゃならんようなことがあるようでなにより。しかも、天秤の片方は必ず同じ、雅にとっては母親、神さんにとっては嫁。


 ……ほんと、あんたらは。仲いいのか悪いのか、まったく分かんねぇなぁ。



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