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「大変大変大変大変!」



 息を切らして襖を開けた私を、皆はびっくりして見上げてくる。


 どうしたんですか?と巳鶴さんが眉を寄せて聞いてきた。



「大女将さんがいなくなってる! もしかしたら、その人柱の人をどうにかするつもりなのかも!」

「なんですって?」



 巳鶴さんはスマホをタンタンとタップして、誰かに電話をかけ始めた。



「そちらに誰かこの土地の人間が行くかもしれません。……いえ、彼女はきちんとやってくれましたが、この土地の人間がさらに上を行くごうの深さだっただけです」

「ちょっと貸して」

「あっ! ちょっと!」



 後ろから追いかけてきたお兄さんが、巳鶴さんからスマホを奪い、耳に当てた。

 急に出てきたお兄さんに皆は警戒けいかいするけれど、今はそれよりも優先させるべきことがある。



「この土地はもう終わりだよ。ここの土地神はち、ここは土砂に沈む」

「……なんですと」

「人柱を見つけたんならさっさと逃すことだね。ま、一度この土地の人間以外に目をつけたんなら、しばらくしたらまた同じことを繰り返すに決まってる。君達のしていることはいたちごっこにしかならないと思うけど」

「……どうしたらいいの? なんでお兄さんがそれを教えてくれるの? なんで? どうして?」



 お兄さんにめ寄ると、お兄さんはすごく嫌そうに眉をしかめ、私の顔を片手で押しのけた。



「あーもう、近いっ! ……ちょっと、おたくの娘、めちゃくちゃ質問攻めにしてくるんだけど。どういう育て方してるのさ」



 とにかく、とお兄さんは言葉を区切った。



「僕としては、僕達が計画していたもの以外で奏お姉ちゃんをこの世界に呼んで欲しくはないわけ。神堕ちなんてものされたら、こっちが忙しくて僕達に全然構ってくれなくなるでしょ。だから、なんとかしてよね? じゃ」



 一方的に話を切り、巳鶴さんにスマホをポンと投げ返した。

 そしてそのまま立ち去るかに見えたけど、お兄さんは襖の前で立ち止まった。



桜花おうか? 行くよ?」



 んん。桜花って、この猫のこと?


 猫は大人しく私の前にちょこんと座ったままだ。動こうとする気配は……ないね。


 猫ちゃん、どうしたの?


 手を伸ばして頭をでると、自分から身体をり寄せてくる。


 か、かわっ!



「なっ! 桜花っ!?」

「お兄さん、この子、すっごく可愛い!」

「当たり前でしょ!? 僕が目一杯愛情そそいで世話をしてるんだから!」



 お兄さんが引き返してきて、またさっきと同じように猫を抱き上げた。

 いつもと違ってねたような仕草は見た目よりうんと子供っぽい。



「あのコは敵なの。分かった? 僕達のてーき。仲良くしちゃダメだから」



 すっごい言い聞かせてるけど、通じるのかなぁ? ニャアっと返事はされてるみたいだけど。



「……その猫、何か首に巻いてます?」

「は? 鈴だけど」

「いえ、何か紙が」



 目ざとい巳鶴さんは、頭を撫でていた私や飼い主のお兄さんですら気づかなかった所に目を向けている。


 お兄さんが片手で猫を抱き直し、首の鈴紐に巻かれた紙を器用に取りあげた。



「……ちょっと。ここまでしてあげるの?」



 中身を見たお兄さんは眉をひそめ、その紙を机の上に放り投げた。



「これは……土石流の発生する場所?」

「まったく。奏お姉ちゃんといい、アイツといい。鬼の一族は気に入った奴に甘い。……これだけ情報やったんだから、何とかしてよね」



 お兄さんはフンと鼻を鳴らし、私達に背を向けた。スタスタと襖へ歩き、こちらを振り向くことはない。



「あのっ! あ、ありがとっ!」



 開けられた襖はすぐに閉じられ、やっぱりお兄さんが振り向くことはなかった。猫がつけていた鈴の音だけが別れをげていた。



「これがわなという可能性もあるんじゃない?」

「そうですね。しかし、罠とはいえ、わざわざ忠告に来てまで私達を助けるような真似まねをするとも思えませんが」



 薫くんが言うことも最もだ。

 巳鶴さんの言う通り、お兄さん、そしてあの紙を猫の鈴紐に結んだだろう皇彼方がそんな自分達になんのメリットもないことをするとも思えない。

 罠にしろ、そうでないにしろ、何かしら裏はあるんだと思う。


 でも、今、私達がやるべきことは一つ。誰もそこを間違えることはなかった。



「なんにしても、この土地が土砂に沈むというのはけなければなりません。この規模では、被害は甚大じんだいなものになってしまうでしょう」

「とりあえず、僕はこれを夏生さん達に送るよ」

「お願いします」



 薫くんがスマホを素早く操作して手早く済ませた。



「お二人共、今回はとんだ温泉旅行になってしまいましたね。すみません」

「あら、いいのよ。雅ちゃんだって頑張ってるのに、私はなんの文句もないわ。黒木がいることを黙ってて呼ばれことにはちょっと物申したいけどね」

「瑠衣さん、ごめんなさい」

「雅ちゃんにじゃないのよ? 黒木、あんたよ、あんた。呼ばれてるんなら言いなさいよね」

「無理を言いますね。話しかけようとしても全て無視、近寄れさえしなかったのに」

「……そこは頑張りなさいよ」



 瑠衣さんは自分の行動を理由にされ、なんとも苦しい言い訳をした。

 黒木さんもあきれたように目を細めて瑠衣さんを見ている。



「はいはい。いちゃつくのはこの件が片付くか、この土地を出てからにしてよね」



 薫くんがウンザリした顔でパンパンっと手を打った。



「……て」



 ……え? 何か言った?


 背後にいるアノ人に目を向けても、何かを言ったような気はしない。


 空耳かな。



「空耳ではない。ここの土地神がそなたに気付いたのだろう」

「え? じゃあ、その神様が何か言ってるってこと?」

「あぁ。助けてと言っているな」



 事実のみを言っていますと言わんばかりに淡々たんたんとしているアノ人。


 あ、今、私、顔が引きつってる。



「……その土地神様が?」

「あぁ」

「聞こえてたの?」

「あぁ」

「いつから?」

「そなたに呼ばれてここに来た時からだな」

「……なんでもっと早く教えてくれないの!?」



 すると、アノ人は「聞かれなかったから」と頓珍漢とんちんかんなことを言いだした。


 いや、分かってた。こういう性格だって。



「巳鶴さん! 例の神様が助けてって言ってる! 私、行ってみる!」

「あっ! お待ちなさい!」



 部屋から飛び出した私を巳鶴さんが呼び止めようと腰を浮かせたのが分かった。


 でも、立ち止まれなかった。


 だって、神様が助けを求めるくらいなんだ。きっと本当にもう限界が近いんだと思う。

 もしかすると、祭りの日どころじゃなく、今にでも堕ちそうなのかもしれない。



「……けて」



 さっきよりほんの僅かに大きくなった声がする方に、私は一目散いちもくさんけだした。



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