15


◆ ◆ ◆ ◆



「なつきしゃんのけちんぼ」



 あの子が夏生さんに怒られて、口をとがらせてこちらに戻ってきた。


 余程酒に興味があったのか、ぷっくりと頬を膨らませて眉をしかめる姿は、彼女には申し訳ないけどとても可愛い。


 ……はっ! いけない、いけない。


 つい彼女の頬へ伸ばしそうになった手を、寸でのところで止めることができた。


 そのまま周囲をさりげなく見渡すと、隠密の先輩達が一般部隊の人達に紛れて宴会を楽しむ風に見せて、さも恨めしそうにこちらを、いや、俺をにらんでいる。中には殺気に近いものすら感じる視線さえあった。


 リスのような頬をつついてみたいという欲がムクムクと沸き起こるけれど、それをしてしまえば最後だというのは誰に言われずとも理解できる。


 そんなにこの子が気になるなら素直に話しかければいいのにと思っていた時期が俺にもあったけれど、前に先輩達の言い分を聞いてみたら、確かにそれも一理あった。


 “諜報・暗殺を役目としている俺達隠密が、あの天使みたいに天真爛漫てんしんらんまんな子と触れ合えるわけがない”


 だから、先輩達は今日も俺を目のかたきにするのだ。

 まだココへ来て日が浅く、しかも早々にやらかしたにも関わらず、この子とジュースを分け合って、あまつさえ団子まで食べさせてもらっている俺を。


 今日の夜は暗器が飛び交う部屋で寝る間もなく朝を迎えることになるだろう。

 まだまだひよっこの俺が先輩達を相手に朝まで生き延びられるのか、大いに不安だ。



「るいおねーちゃまは?」

「瑠衣さんなら、つまみが足らん言うて厨房に行かはったわ」

「どこいくのー?」

かわやや厠。良い子で待っといてや」



 ヒラヒラと手を振る綾芽さんを見送り、彼女はお盆の上においておいたグラスを一息にあおった。



「……ん? んんー?」



 何かおかしな点でもあったのか、首を傾げながらも、唇をペロリとめて何かを確かめるようなそぶりを見せている。

 それに対して妙な違和感を感じた俺は、お盆の上に残るもう一つのグラスの液体の匂いをいだ。


 えも言われぬ芳醇ほうじゅんな香りの中に混じる……アルコールの匂い!



「兄弟!」



 少し離れた所で盃を交わしていた兄者を呼び、彼女の方へ向き直った。目がとろーんとしており、完全に酔いが回っている。

 瑠衣さんがワインを入れたグラスが普通のグラスだったから、今まで飲んでいたブドウジュースと取り違えたらしい。



「あれれぇー? しえーさんがだぶってみえるー! おもしろーい!」



 全然面白くない!


 俺が兄者を大声で呼んだから、周りに続々と人が集まってきた。



「んふふー。みんなくるくるしてるねー。たのしぃー。りゅーさぁーん、だっこー」

「どういうことだ? これは」

「みやび、これ、のむ」

「……ワインじゃねーか」



 夏生さんの眉間にみるみるうちに皺が寄っていく。



「つぎ、なつきしゃんだっこー」

「だっこじゃねぇ。ほら、水飲め!」

「いらないよー。しえーしゃん、だっこー」



 まるで木から木へと飛び移る小猿のように飛んできた。



「おい、チビ、俺は?」

「ん? やっ」

「なんでだよっ! このヤロ、水飲め!」



 これ以上動き回られたらたまらない。


 クルリと彼女の身体を反転させ、背中から抱き込んだ。

 これで皆が彼女に水を飲ませやすくなっただろう。



「なんで俺は嫌なんだよ!」

「海斗さん、今大事なのはそこじゃないですよ。ほら、水をお飲みなさい」

「……あー」

「そんな大口開けてたら逆に飲みにくいでしょう?」



 こういう行事に珍しく参加しているという巳鶴さんが彼女に水を飲ませようとするも、最早完全に酔いが回ってしまっていて頓珍漢とんちんかんな行動すら起こし始めた。



「……なにやってはるん?」



 彼女を俺が背後から羽交い締めにし、それを皆で取り囲む。

 綾芽さんの目にはいたく奇妙に映ったことだろう。



「あやめママン! おかえりー」

「……」



 彼女の言う綾芽ママンに、彼女はこの後、見事な鉄拳制裁を食らい、水をがぶ飲みさせられて寝かしつけられたことは言うまでもない。


 もちろん、ちゃんと見てなかった俺も、翌日の稽古けいこでめちゃくちゃシゴかれることは当然のこと、予想できないはずがないことであった。




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