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◆ ◆ ◆ ◆



 雅が寝た。くぅくぅと可愛く小さな寝息すら聞こえてくる。



「寝たか?」

「ねた。まちがい、ない」



 寝た者特有の身体の弛緩しかん具合、心拍数の低下、体温の高さ。

 どれをとっても、雅が眠りについたことに疑いの余地はない。



「おい、瑠衣。お前、何を言おうとしてた?」

「……別に? ただ、雅ちゃんをうちに」

「危ない目にあうこともない、だ? それは何か? 俺らと一緒だと危ない目にあうと?」



 夏生さんが聞き捨てならないとばかりにその点を追及し始めた。


 彼女が暗に言おうとしていたのは、東の者との生活の別離を意味していた。


 だが、追及している夏生さんにだって、本当は分かっているはずだ。

 雅のように小さな幼子は本来殺伐とした生活をしている自分達とソレを共にしてはいけないのだ、と。

 現に、その顔はいつものように自信に満ちあふれた東の大将のソレではなく、何ともいえない感情が表面に浮き出ている。

 それは海斗さんや、薫さんに至っても同じこと。今はここにはいない巳鶴さんに関しても、きっと同じ反応を見せるだろうということは容易に想像がつく。



「……」



 分からないのは、こんな状況でも何を考えているか悟らせない綾芽さんだけ。

 彼の考えていることが分かるのは、それこそ長く一緒にいる夏生さんや海斗さん達だけだろう。


 そんな綾芽さんでさえ、この状況を面白く思っていないことは先程の行動で明らかだ。


 考えていることが駄々漏れな雅によると、幽霊の仕業かもしれない突然の頭が上がらない事件だが、雅の背後に立った綾芽さんが彼女の頭に手を乗せていただけに過ぎない。


 綾芽さんの、瑠衣さんに対するなかば八つ当たりにも似たものの矛先ほこさきにされたのだ、雅は。


 知らぬは雅、ただ一人だけ。



「こんなに小さな子を、戦場に出ることもある貴方達の側にいつまでもいさせるわけにはいかないわ。いつこの子が敵にねらわれるか分からないのに。そもそも、親はどうしたのよ」

「その親から俺達は預かってんだ」

「ホントどうかしてるわよ、その親は!」



 瑠衣さんの美しいまゆがぎゅっと寄せられた。

 雅に悟らせないように上手く話を別のもの、単なる勧誘話にすり替えてくれた南の料理人の桐生さんですら、腕を組み、思うところありとばかりに目を閉じている。


 先程まで恐らくこの会場一清浄な空気が流れていたのに、雅が眠った途端コレだ。


 彼女が来てからの彼ら幹部の変わりように、俺も含め、下の者達は驚きながらも受け入れ、雅の存在を喜んだ。

 殺伐さつばつとした雰囲気の中、毎日あくせく働くよりも、雅という存在を愛でつつ成長を見守りながら働く方が楽しいと、口をそろえて言っている。たまに悪戯いたずらされたり、おじさん呼ばわりされてほんの少し傷ついているのもご愛敬あいきょうだ。



「そや。夏生さん、瑠衣さんと一緒に例のおばあさんとこ行ってもらえます? この子、眠ってしもて、今日は無理ですて」

「なんで俺が。保護者が行くべきだろ」

「夏生さんかて保護者みたいなもんやろ? それに東の大将やし。まだ正式には挨拶あいさつしてへんから、瑠衣さんに間に入ってもらえればええんとちゃいます?」

「お前なぁ。こんな時ばっかり俺をかつぎ上げやがって」

「気のせいですやろ。自分、この子抱っこしとかなあかんもんで」



 綾芽さんはそう言うと、雅の身体を俺の腕から上手くすくい取っていった。

 俺達二人の体温の違いからか、最初わず かに身動みじろぎした雅もしっくり来る場所を見つけたらしく、目を開けることはなかった。



「俺も瑠衣の意見に賛成だ。俺達の職務を忘れたわけではあるまい? いつ敵に人質にとられるやもしれん。そうなると、この子供はたとえ助け出されたとしても、自分を責めるだろう」

「お前さん達、この子のひとみが自責の念にかられるのなんて、見たくねぇだろ? ちびっこなんてのはな、たまに成長を見に行くくらいがちょうどいいのさ」



 一歩引いた視点から見る鳳さんや、この中で一番年嵩としかさである桐生さんの言葉は、俺達の胸中に確かなしこりのようなものを生み出した。


 考えないようにしても、ふとした瞬間、考えてしまうだろう。そんな予感。



「とにかく! 私はこの子が首を縦に振るまであきらめないからね!」



 どこかの三文芝居の悪役が言い放つようなセリフを見事に言い切った瑠衣さんは、夏生さんの腕をとり、足早に去って行った。



「この子は救い出されるのを待つような、そんな殊勝しゅしょうな性格してへん。自分の失態は自分でケリをつける。そんな子です」

「……確かにな。親が親だし、万に一つも命の心配はねぇ」



 そう言いつつも、綾芽さんと海斗さんの言葉にいつもの覇気はきがないのを、この場にいる全員が知っていた。



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