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 お客様を迎える時に使う御座敷に腰をえたのは、私と綾芽、夏生さんと変人さんの四人。一緒に来た海斗さんは座敷の障子を開け、縁側の柱に背を預けて座っている。薫くんはお茶を用意した後、食事の仕込みがあるからと厨房ちゅうぼうに戻ってしまった。


 夏生さんや綾芽の顔を交互に見ていると、変人さんの手が私の方にぬっと伸びてくる。その気配を察知するや、さっと身体をかわした。

 さっきから何度か繰り返しているというのに、変人さんはあきらめるということを全くしない。

 なんとも困ったことに、変人さんはすきあらば私をひざの上に乗せようとしてくるのだ。その手から逃れようと、座っている座布団ごとザザッと綾芽の方へにじり寄った。



「それで、そちらさんがこの子の、その、パパさん、やって?」



 綾芽は普段は傍観者役にてっすることが多い。だけど、今回一番最初に口を開いたのは、ここのボスである夏生さんではなく綾芽だった。私の世話係である綾芽がまずは話を聞くってことなのかもしれない。

 一方の夏生さんは、なんだかさっきからあきれ、てる? そんな顔をして黙りこくっている。


 ――それにしても。


 綾芽ってば、ずっと声が震えてる。まったく。どうせ退屈せんでえぇとか思っちゃってるんでしょ。その口元を隠している手の下、絶対こらえきれなかった笑みが浮かんでる。


 変人さんも変人さんで、どこからか取り出したおうぎをぱさりと優雅に開いた。



「うむ。そなたらには世話になった」

「うーん。こっちも、この子が違う言うてはるし。はい、そうですかって渡すわけにはいかんのですわ」

「……我から娘をさらおうと言うのか?」



 変人さんのまとう空気が重くなった、気がする。本人の表情が変わらないからこんなことでしか感情を図れないけれど、どうやらだいぶ機嫌を損ねているらしい。


 しかも、相手は人間の姿をした人間ではない何か・・だ。それを綾芽達は知らない。

 ただ、知らないまでも、この場にいる綾芽に夏生さん、海斗さんなら相手の次の出方くらいは読めるはず。なにせ、私にすら怒っているだろうことが分かるくらいなのだ。大人で人生経験豊富に違いない三人なら朝飯前だろう。


 なのに、あえて読まないのが綾芽だった。



「娘、ねぇ。この子のお母さんの名前、言えます?」

「我が妻の名を何故明かさねばならぬ」

「はぁーっ。まったく話になんねぇな」



 さらにあおるような綾芽の言葉を一蹴いっしゅうした変人さんの言葉に、夏生さんは深い溜息をついた。そのまま足を崩し、胡坐あぐらをかいた膝の上に手をつく。長期戦になることを覚悟したらしい。


 本当なら綾芽達からお仕事の報告を聞かなきゃならない貴重な時間だろうに。


 ……仕方ない。連れてきてしまったのは私だ。ここは私が一肌ひとはだごう。あまり長引いて夏生さんの苛々いらいらが増したら、それこそ事だ。


 座布団の上から立ち上がり、変人さんの座る座布団の横へ立った。



「おかーしゃんのおなまえ、わたしにだけおしえて?」



 右耳を両手で囲い、ひそひそ話のスタンバイ、オッケーです。


 いつでも来いや!



「母の名前を忘れるとは、仕方のないやつだ。特別だぞ?」



 変人さんが嬉しそうにしてる気がしなくもない。相変わらず無表情だから分からないけど、声のトーンが若干上がったような?


 夏生さんと綾芽、それに海斗さんは私達を黙って見守ってくれた。



「お前の母の名は、優姫ゆき、だ」



 ……え? どういうこと? 


 どうせ人違いだろうって単純に考えてた。教えてもらって、あぁやっぱり違うよって。

 でも、この人が口にした名前はお母さんの名前で間違いない。


 どうなってるの? 同じ名前っていうだけ?



「ど、して? どうしてしってるの!?」

「おい、落ち着け」

「このひと、おかーしゃんのおなまえ、しってましゅ!」



 夏生さんは綾芽と顔を見合わせた。綾芽が軽く肩をすくめると、夏生さんは今度は私の方をじっと見てくる。


 私、どうなっちゃうの? ここ、出てくの?



「それじゃあ、この子のパパさんいうのは間違いないわけや」

「先程からそのように言っていたであろう? くどい」

「そら堪忍。ほんで、君はどうしたいん?」

「え?」



 どうしたいって……選ばせてくれるの? ここにいてもいいの?

 


「何を言っておる。一緒に」

「わたし、ずぅーっとここにいる! あやめたちとずぅーっといっしょ!」

「なっ」



 綾芽に駆け寄り、ぎゅーっとしがみついた。それを見て、変人さん、もとい自称“私のお父さん”は絶句している。


 今まで想像したことはあっても、実際に会ったことはなかった存在。きっと、病気か事故で死んじゃったのかと思って触れなかった存在。


 お母さんはこの人の分まで私を精一杯愛し育ててくれた。私が悪かった時以外、どんな時でも私の一番の理解者でいてくれた。マザコンと言われてもいい。私はそんなお母さんが大好きだ。これまでも、そしてこれからも。

 でも、本当はお母さんだってこの人が一緒にいた方が良かったと思ってる。だって、ふとした時、誰かを探すようにきょろきょろしてた。きっとこの人のこと探してたんだ。それなのに、一度だって姿を見せたりしなかった。


 この人は、お母さんを置いてけぼりにしたんだ。

 

 ――絶対にゆるさない。


 そう思ったら、言葉が口をついていた。



「あなたのこと、だいっきらい! かえって!」

「あっ、おい!」



 海斗さんの静止も振り切り、脱兎のごとく御座敷を飛び出した。向かう先は綾芽の部屋。といっても、今は私の部屋でもある。

 いや、本当は場所なんてどこでも良かった。とにかくあの人と一緒の空気を吸っていたくなかっただけ。一秒でも早く遠くに行きたかったのだ。


 ただ、それがいけなかったのかもしれない。

 下ばかりを向いて走っていたせいで、曲がり角で何かにドンッとぶつかった。



「みやび?」

「……りゅー」



 顔を上げると、劉さんが目を丸くしてこちらを見下ろしていた。唇をきゅっと引き結んだ私を見て、軽く首を傾げている。



「どうした?」

「なんでもにゃい」

「うそ、だめ。なんでもない、ちがう。どうした?」



 たどたどしくも、私を心配していることが分かる言葉たち。それを聞いていると、ささくれ立っていた心がゆっくりといでくるのが分かる。


 それでも、一度表面化した負の感情はすぐには消えたりなどしない。



「りゅー、ぎゅーかだっこ、して」



 劉さんに向けて両腕を差し出す。

 そんな私を、劉さんは嫌な顔一つせず抱き上げてくれた。いつもそうだ。綾芽を母親代わりとするなら、彼はさしずめ年の離れた兄代わりだろう。それも、格別仲が良い兄妹の。



「りょうほう、する。だいじょうぶ」



 頭撫で撫でのオプションまでついてきた。


 なんか、自分でお願いしたくせにこそばゆい。けど……あったかいなぁ。



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