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彼女は今年一一になる。親は既に亡い。貧しくも穏やかに日々を営む光人の隠れ里で、里の人々の暖かい庇護を受けながら、兄妹ふたりで暮らしている。
みすぼらしい木造の家が、軒を寄せ合うように立ち並ぶ里に学校はなく、十を過ぎればもう働き手と見なされる。生きるための日々の仕事───里全員で取り組む農作業や、炊事洗濯薪割り水くみといった日常の他に、コーキは武道場を、ルカは薬師の仕事を手伝っていた。
すなわち今も、ルカの小脇には、薬草集めに使う小籠があって、寝転がるコーキの傍らには木刀が放り置かれている。ルカはその木刀に目を留めて言った。
「今日は道場で剣術の稽古じゃなかったっけ?」
「……裏のチビ泣かせたら追い出された」
「またぁ? ……なんで五歳相手に本気になるかな」
ほ、とルカは大きく息をついて背筋を伸ばした。
「そんなんじゃ、今年も交易隊に選んでもらえないよ?」
光人が里の外に出るチャンスは、年に一度だけだ。山麓の町へ向かう交易隊に選ばれなければならない。常人でもきつい山道は脆弱な光人にはなお辛く、とりわけ健康で武芸に長じた者だけが選出される。
光点の位置と、そこから放たれる光の最大照度は、その者の強みを示すという。手が光り、そのまぶしさが里の中でも随一のコーキは、腕力があると見なされ、実際、光人にしては腕っぷしが強かった。体質も運動神経も並外れていて、剣技にかけては師範の大人ですらかなわなかった。
交易隊の一員にもすぐ選ばれるだろうと、ここ何年か言われ続けていた。しかし。
「選ばれたければ精神を鍛えろって、長老様から口すっぱくして言われてるんじゃない」
「……うるせぇよ」コーキは舌を打ったが、
「ほら今、手が光った」自分の弱みを率直に突かれて動揺したのを、妹には簡単に見抜かれてしまった。
光人の発光は精神状態に依存する。通常は意識しなければ光らないが、動揺したり興奮したりすると、無意識でも光ってしまう。逆に、疲労したり集中できないときは、意識しても光らない。
光人にとって、発光の有無や、照度、色合いの移り変わりは、心理状態を表すプライベートな記号で、積極的に他人に見せるものではなかった。普段は光点を隠し、他者には見せないのが光人の習慣だ。不機嫌な顔で、コーキは指出しの手袋をはめようとした。
だが、それをルカは見咎めた。
「手袋しないほうがいいんじゃない?」
「なんでだよ?」
「精神修養! お兄ちゃんてばカッとなるとすぐ光るんだから。コントロールを身につけるには見えてないとダメよ」
「だからるせぇって……」反駁しかけた途端に右手が薄赤く光った。まったく図星だ。
「しっかりしてよね」
───よくできた妹である。実際、兄よりよほど大人だと里の評判だ。器量もいい。ぜひ嫁にという気の早い申し込みがいくつも来ているのを、コーキは本人に言っていない。
ルカの光点は心臓のあたりにあった。しかもその光は、コーキよりも強くまぶしく、澄み渡る純白の輝きだった。だから彼女は心が強いのだと言われている。彼女はその心の強さゆえに、不用意に光を発することはなかった───春夏に着る袖無しの貫頭衣は、生地が薄いし、袖ぐりから胸のあたりがはだけて見えるので、発光すればすぐにわかるのに。
そう、光ればすぐにわかるのだ。袖口からはだけて見える胸の、最近やけにふくらみが目立つあたり───。またちょっと光ってしまったのを、コーキは手袋をはめて隠した。生意気な妹の言うことなんか無視、という風を装って。
心は強いのかもしれないが、体はひどく弱い妹をコーキはいつも案じていた。並の光人と比べてもさらに弱く、風邪をこじらせては死線をさまようことが、これまでに何度もあったのだ。発熱や咳のたびに世話を焼かされた妹に、今では逆に生意気にも世話を焼かれているのは、むしろ感慨深くあった。
……などと思っていると、その風邪を引いただけで死線をさまようような妹が、麻の服の裾を縛り、籠を抱え直し、土手を下りてざぶざぶと川へ入っていくではないか。
「おいルカ、何してんだ?!」
「仕事。藻を取るの」
川に自生する藻は、干すとよい薬になるので重宝されている。ただ、川を流れる水は、いつも身を切るほどに冷たい。北にそびえる万年雪覆う高山からの雪解け水だ。
コーキは慌てふためいた。
「そりゃ
「今日は腰がひどく痛むんだって。かがむとよけいに悪くするから」
「濡れて風邪引いたらどうすんだ!」
「これくらい大丈夫よ、心配性だなぁ」
加えていえば、流れも速い。里の上流は、巨岩の間を縫って流れ下る激流だ。里の中でこそ川幅が広がり多少は緩やかになるが、十分に急流といっていい。さらに、里の下流では巨大な滝となって流れ落ちる。流され防止の網は張ってあるが、数年に一度はそれさえ破って滝つぼに落ちる者が出る。むろん、生きては戻れない。
「俺がやる、上がってろ」追って川に入ると、有無を言わせず妹の体を抱え上げて岸に戻した。
「……ンもぅ」ルカは口をとがらせた。彼女からすれば、いつまでもひ弱扱いしてほしくないのが本音だった。とはいえ、兄の性格は重々承知している。「しかたないなぁ、ちゃんと採ってよ?」「まかせとけ!」袖と裾をまくり上げ、水をざぶざぶかき分けていく兄の背中をあきれながら見送った。───と、目の端に、ふっと何かが映った。
「で、ルカ、どこらへんで採ればいい?」
「ちょっと待って、お兄ちゃん───なんか流れてくるよ?」
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