上月が、泣いてる? - 第141話
河川敷で弓坂と黄昏れていると、ズボンのポケットから振動が伝わってきた。どうやら電話がかかってきたみたいだ。
まさか、あいつがまた性懲りもなく電話してきやがったのか? それだったら電話になんて出ないぞ。
スマートフォンをとって電話先の相手を念のために確認してみる。画面に表示されているのは、上月の名前だった。
「どうしたのぉ?」
「上月から電話がかかってきた」
時間から察すると学校が終わって帰ってきたんだな。俺は通話ボタンを押して電話に出た。
「もしもし」
『あんた、今どこにいるのよ』
スマートフォンの受話口から聞こえてくる声は低い。模擬店で忙しかったから疲れているんだろうな。
「今は裏の河川敷にいる。弓坂もいっしょだ」
『未玖も……?』
弓坂がいると思っていなかったのか、上月が言葉を詰まらせているのがわかった。
『あんたの鞄を持ってるから、駅まで来て』
そう告げられて通話が切られた。俺の鞄を拾ってくれてたんだな。
弓坂が小首をかしげて俺を見やる。
「麻友ちゃん、なんて言ってたの?」
「俺の鞄を持って駅にいるらしい。今から来いってよ」
「ヤガミンの鞄を持っててくれたんだぁ。麻友ちゃん、優しいねぇ」
弓坂が人のよさそうな笑顔で微笑んだ。
上月が俺の鞄を持っていてくれたなんて、思いもしなかったな。駅には行きたくないけど、取りに行かないといけないよな。
俺は弓坂を連れて駅へと向かった。時間は午後五時をすぎている。
上月は駅の入り口で待っていた。ふたつの鞄を足で挟んで、柱の前で腕組みしている。
念のためにバスの待合所を見やるが、親父の姿はそこになかった。
俺たちが向かうと上月はむっと口を閉じたまま俺を見上げた。
「すまねえな。余計な手間をかけちまって」
「いいわよ、別に」
上月がうつむいて視線を逸らす。「ほんと超余計な手間よ」くらいは言われると思っていたが、なんかおとなしいな。
「そんなことより、ふたりで何してたの?」
「いや、何っていうこともしてないけど。デパートに弓坂がいたから、その辺をぶらぶらしてただけだ」
弓坂に同意を求めると弓坂がこくりとうなずく。上月が「そう」と短く返答した。
――今日は本当に元気がないな。模擬店がそんなに繁盛していたのだろうか。
「あたしたち、変なことはしてないからっ。だから、心配しないでねっ」
弓坂がしどろもどろになって言葉をつづけるけど、
「心配なんて、別にしてないわよ」
上月は不機嫌そうにそっぽ向いた。弓坂に対して悪態をつくなんて、めずらしい。
今日は三人で学校をさぼるつもりだったけど、自分だけ学校に行かされたから拗ねてるのかな。
上月が俺の鞄を差し出す。俺が受け取ると、上月はすたすたと歩いていってしまった。
このままあいつを放置するのはまずい気がする。俺は上月を追いつつ弓坂に振り返った。
「じゃ、俺もこれでっ」
「う、うんっ」
「明日はちゃんと学校に来いよ!」
弓坂のことはまだ不安が残るけど、弓坂ならきっと立ち直ってくれるはずだ。俺は忙しく挨拶して上月を追った。
上月はコンビニに寄らずにひた歩いている。足取りは落ち着いているが、やはりどこか元気がない。どうしたんだよ、マジで。
「待てよっ!」
俺が叫ぶと上月は足を止めた。――背を向けたまま。
「どうしたんだよ、一体。弓坂も困ってたぞ」
若干の気まずさを感じながら口を切るけど、上月は何も答えてくれない。
喧嘩腰で文句を言われれば、俺もムキになって反論できるけど、言葉を返されないと気まずいじゃないか。次はなんて言えばいいんだ。
「よくわかんねえけど、怒ってるのか? 今朝の件はお前に悪いことをしたと思ってるけど、俺だって、その……いろいろと事情があるんだ」
謝っているはずなのに、なぜか自分に言い訳をしてしまう。そんなつもりはないのに、口があらぬ方へと動いてしまった。
「急に切れちまったのは、その、悪かったと思うけど、あのときはどうしようもなかったんだ。あいつがいきなりあらわれて、頭がパニックになっちまったから。……だから、怒るなよ」
そうだ。元はと言えば、あいつがいきなり俺の前にあらわれたから悪いんだ。そうじゃなければ俺だって学校へ行って、こいつと模擬店でいっしょにはたらいていたんだ。
でもそんなことを考えたって、すぎてしまった時間は元に戻らないんだ。だから許してくれ――とまでは言えなかった。
駅からそよ風が吹いて上月の後ろ髪が揺れる。茶色く染まった毛先が夕日に照らされて光を発していた。
「あんたのお父さん。早月駅のビジネスホテルに戻るって」
上月が背中を向けたまま口を開いた。
「今日は出直すけど、日を改めてあんたんちに行くって言ってたわ。伝言を頼まれたから、伝えておくわ」
上月が淡々とした口調で親父の伝言を伝える。いつもは感情を剥き出して責めてくるくらいだから、そのあまりのギャップに胸が締め付けられるような気がした。
それにしても、あいつは往生際の悪いやつだぜ。日を改めたって、俺はあいつを許したりしない。
「日なんて改めたって、無駄だ。俺はあんなやつに会うつもりはねえ。家に来たって、入れてやったりしねえからな」
あいつの愚痴を上月に言ったって意味はないけど、話の流れでつい言ってしまった。それでも上月は俺に振り返らなかった。
上月が右足を動かして行こうとする。俺は焦って上月の手をつかんだ。
「お、おい! 待てって――」
「離してっ!」
そのときに初めて上月の感情があらわになった。
振り返った上月の目には、涙が溜まっていた。涙目で怒り、小さな唇を我慢でふるわせている。
――なんで泣いてるんだよ。俺はお前にひどいことなんてしてないじゃないか。
上月がなんで泣いているのか、俺にはわからなかった。今朝はあんなに怒り狂ってしまったから、きっと失望されると思っていたけど。
それなのに、なんで……?
唖然とする俺を上月が睨みつける。何かを訴えようとしているけど、怒りで唇がうまく動かないのか、上月は何も言わない。いつもだったら山ほど文句をつけてくるのに。
上月はやがて踵を返して、走っていってしまった。
走り去っていくあいつの背中を、俺は見ていることしかできなかった。足は地面に縫い付けられたように固定されて、喉は水分がなくなって渇いている。
俺は知らずに何か重大な間違いを犯してしまったのだろうか。仲間だと思っていた上月に見限られるなんて、ショックで言葉が出てこない。
俺の肩にかかっていた鞄がするりと手もとに落ちた。
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