上月も、いっしょに泊めるんだった - 第134話

 上月が風呂から上がってきた後は、弓坂をなんとか説得して風呂に入れさせた。風呂に入らないわけにはいかないからな。


 最後に俺が風呂に入って短い入浴を終えると、弓坂の姿がリビングに見えなかった。


「弓坂は?」

「未玖なら寝ちゃったよ。あんたのベッドで」


 そうだったのか。夜中までずっと起こしてるくらいだったら、寝かせちまった方がいいだろうな。


 上月がオレンジジュースを注いでわたしてくれる。俺はコップを受け取ってジュースを一口で飲み干した。


 上月はテレビを茫然と眺めている。画面に映っているのは深夜のトーク番組だった。


 モデルだか俳優だかわからない若い芸能人がゲストで呼ばれてるみたいだけど、こんな顏も名前もよく知らない人の武勇伝なんて聞いても面白くないよな。


 上月もなんとなくテレビをつけただけなのだろう。力の抜けた表情から真剣に観ている印象は感じられなかった。


 つまらないのでチャンネルを変えると、裏番組でアイドルグループのバラエティー番組がやっていた。別段興味はないけど、俺はテレビのリモコンをテーブルへ戻した。


 壁掛け時計を見上げると、時針が十一時を差していた。明日も文化祭の模擬店で忙しくなるだろうから、もうじき寝た方がよさそうだ。


「もう遅いし、そろそろ寝た方がいいんじゃないか?」


 すると上月がなぜか怒り顏になって口をとがらせた。


「うるさいな。あんたんちに泊まるの、その……初めてなんだから、落ち着いて寝られないでしょ」


 上月は頬を少し染めてむっとしている。そんな姿を見たらドキっとしちまうじゃないか。


「べ、別に、普通に寝ればいいじゃねえか。変な意識すんなよ」

「意識なんて、してないわよ。未玖のことが気になるから、寝られないだけよ」


 それなら別にいいけどよ。お前が変なことを言うから、またドキドキして心臓の鼓動回数を減らしちゃったじゃないか。


 上月は赤面したままパジャマの裾を触っている。クリーム色の細かい水玉模様の入ったパジャマだ。


 半袖とショートパンツを組み合わせた夏用のパジャマはとても似合っていて、つい視線が向いてしまう。


 でもあんまりじろじろ見ていると気持ち悪がられてしまうので、俺は我慢してテレビを見つめた。


 少し気まずい空気が流れる。上月がうちでパジャマを着ているのなんて初めて見るから、どんな言葉を残せばいいのかわからない。


「あ、あのさ」


 そんなとき、上月が突然口を開いた。


「あのとき、さ。その……可愛いって、言ったのって」


 上月がいつになくもじもじして、パジャマの裾を触って――って! いや、ちょっと待てっ。


 こいつが恥ずかしがりながら言っていることって、こいつにコスプレ衣装を着せるときに俺が口走ってしまった言葉じゃないかっ。


 とてつもなく恥ずかしいひと言を、俺は言っちまったんだ。あの言葉を思い返すと、俺の顔から本当に火が出るんじゃないかっていうくらい熱くなってしまう。


 や、やめてくれ。あのときの記憶にはどうか触れないでくれ。


 上月も相当恥ずかしいのか、次の言葉が出てこないようだ。耳まで赤くして言葉をつまらせている。


 でもそんな姿がいたいけで、むちゃくちゃにしたくなってしまうくらいに、可愛い。こいつはあの上月なのに、俺はなんて血迷ったことを考えてるんだ。


 言葉が出ない上月が身体をわなわなとふるわせる。そして手もとにあったクッションをつかんで、突然放り投げやがった。


「いってえな! 何すんだよ!?」

「うるさいわね! あんたがっ、変なこと言うから悪いのよ!」


 なぜかいきなりヒステリックに怒り出したが……助かった。


 あの気まずすぎる雰囲気にはとても耐えられないから、雰囲気を変えてくれてよかった。


 しかし胸がドキドキするのは全然止まらない。こいつはあの上月なのに、何をやってるんだ俺はっ。


 上月はむすっと機嫌を悪くして、口を固く閉ざしている。気まずい沈黙がリビングに流れる。


 なんでもいいから、何か話題を振らないといけないのに、こういうときに限って言葉が浮かんでこない。


 身体中がむずむずして、今すぐに立ち上がって叫びたくなってくるな。でもそんなことをしたら相当頭のいかれた未成年者になってしまう。


 なので興奮する気持ちを抑えて我慢していると、


「未玖は、だいじょうぶかな」


 上月がぽつりとつぶやいた。


「未玖は、本当にあいつのことが好きなんだね。びっくりしちゃった」

「そうだな」


 弓坂は山野のことが好きだ。気持ちを抑えられなくなるほどに。


 でも山野の気持ちは、あいつに向いていない。それを嫌というほどに見せられてしまった。


「あんた、あいつから全部聞いたって言ってたよね。あの女の人はあいつの彼女なの?」

「いや、中学のときに付き合ってたらしい。今は、彼女がドイツに留学しているから別れてるらしいけど」

「そこよ。よくわからないのは」


 上月が顔を上げて俺を見つめる。


「桂が言ってたよね。フランスだかどこかに行ったって。それなのに、どうしてこの間からうちの学校のまわりに出てくるの? 意味がわからないわよ」


 お前も俺と同じところでつまずいてるんだな。俺は頬を掻いた。


「先に言っておくが、桂の言っていることはデタラメだ。あいつと山野と元カノの雪村さんは同中だけど、桂は詳しい事情なんて知らないんだろうからな。あいつは噂で聞いた内容をそのまま流してるだけだ」

「そうなの?」

「ああ。あの雪村さんは、どうやら絵の天才らしくて、中三のときにドイツ人の画家にスカウトされたらしい。それでドイツに留学するから、山野と別れたんだってよ」


 山野から聞き出した内容を伝えると、上月は呆気にとられて絶句した。


「なによ、それ。ドイツ人にスカウトされたって、マジ?」

「ああ。マジだよ」

「マジって、そんなわけのわからない話、信じられるわけないじゃない。絵がうまくて、ヨーロッパに留学できるの? そんな話、聞いたことないわよ」

「聞いたことなくても、事実としてそうらしいんだから、信じるしかないだろ? 俺だって、聞いたときは信じられなかったよ。でも山野の同中のやつらまでおんなじことを言ってるんだから、疑いようがないじゃんか」


 俺だって未だに信じ切れていないんだ。けど、やはり信じるしかないだろう。桂をはじめとした第三者に人知れずに証言されちまったんだから。


 俺の反論に納得したのか、上月は悄然と肩を落とした。


「そう、だよね。普通じゃないけど、事実としてそうなんだもんね。だから、あたしたちは、未玖の替わりに呑み込まないといけないんだよね」

「そうだな」

「だからあんたは、あたしに教えてくれなかったんだ。話したって信じてもらえないって思ったから」


 それもあるけど、弓坂に知られたくなかったというのが一番の理由だ。それに山野の触れられたくない過去をペラペラと他言したくなかったという理由もある。


 俺の配慮は結果として意味をなさなかったけど、それでもやはり話さなくてよかったんじゃないかと思う。


「あんたは、未玖の気持ちも知ってたの? あいつが好きだって」

「ああ。知ってたよ。夏休みに旅行したときに聞いたからな。弓坂から、直接にな」

「そうだったんだ」


 テレビのスピーカーから大げさな笑い声が聞こえて鬱陶しい。俺はリモコンをとってテレビの電源を切った。


「お前だって、知ってたんだろ。弓坂の気持ちは」

「まあね。見てればわかるもん。そのくらい」

「妹原だってきっと、とっくに気づいてるはずだ。何も知らないのは、山野だけなんだよな」


 俺は手を床につけて天井を見上げた。


「皮肉だよな。まわりはみんな知ってるのに、想いを寄せられているやつだけが知らないなんてな」

「そうね」

「あいつ、弓坂の気持ちを知ったら、どうなるんだろうな」

「っていうか、もう気づいてるんじゃないの? あれだけ泣かれたんだもん。鈍感な人だってさすがに気づくわよ」

「そうだといいけどな」


 柄のない白い天井を見上げながら思う。弓坂の気持ちを知って、山野はなんと答えるのだろうか。


 山野はまだ雪村のことが好きだ。別れたのにふたりでデートしてるんだから、やはり諦め切れていないんだと思う。


 そして、雪村も、きっと……。


 俺のベッドで寝ている弓坂の気持ちを想うと、やるせない思いが心に広がっていくような気がした。

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