残酷な邂逅 - 第128話

「あちこちから噂で聞こえてきたが、かなりの盛況ぶりだな」


 多くの客で満席となった教室を山野が一瞥いちべつする。手馴れた動作でメガネのブリッジを押し上げる。


 自分たちの登場によって教室が静まり返ってしまったことを、今さっきあらわれた山野は気づいていない。


「柊二くん。そこのウェイターさん、お皿を落としちゃったみたいだけど」


 雪村旺花は山野の腕を両手でつかんでいる。エプロン姿の弓坂を見て首をかしげた。


 山野のとなりにいると、あんたは言葉を噛まないんだな。


「む、床にお茶がこぼれているぞ。弓坂、何してるんだ? 雑巾で早く拭いた方がいいんじゃないか?」


 山野の無感情な言葉が教室に響く。俺は凍りついた。


 絶対に会わせてはいけないふたりを、会わせてしまった。


 こうなることがわかっていたから、俺はこいつらの裏で手をまわして、危殆をひそかに阻止していた。いや俺だけじゃない。上月だってきっと、うすうす気づいていたはずだ。


 弓坂に好かれていることを、山野は知らない。そして弓坂も、雪村の存在を知らなかった。


 ――ひそかに阻止していただなんて、嘘ばっかりだな。ひそかに心配しながら俺は、弓坂と雪村が巡り会うことなんて絶対にあり得ないと高を括っていたんだ。


 だから山野が俺の裏でどんなことをしていたのか、詮索しようとしなかった。それが友人としての気遣いだと勘違いして。


 少し考えれば、簡単に気づけたはずなんだ。それなのに俺は――とりかえしのつかない過ちを犯してしまった。


「あんれえ!? もしかしてお前、雪村じゃねっ?」


 桂の間抜けな奇声が聞こえて、俺はわれに返った。


「あ、あ、あなたはっ、もしかして、桂くんっ!?」


 緊張して声が裏返る雪村を見て桂が爆笑する。


「イギリスから帰ってきたって、山田が言ってたけど、マジで帰ってきてたん!? すごくね、すごくね!?」

「や、あの、イッ、イギリス、じゃ――」

「っていうかお前ら、いつの間により戻したわけ!? すごくね、すごくね!? 文化祭で涙の再会とか、マジでミラクルじゃん!」


 空気の読めない桂が弓坂の前ですべてを暴露してくれやがった。


「あの人、この前に見かけた人だよね」


 妹原がトレイを抱えて俺の方へ歩いてくる。


「あの人、山野くんの恋人だったんだ。そうなのかなって、ちょっと思ってたけど」


 妹原が共通の話題で話しかけてくれるけど、その話に返答する気はちっとも起きなかった。


 弓坂は、動かない。山野と雪村が仲良く腕を組んでいるのを、虚ろなまなこで、茫然と眺めていた。


 そして突然、床にへたり込んだ。床にこぼれたお茶が制服のスカートに染み込んでいく。


「弓坂っ!」


 俺は右手に持っていたコーヒーカップを置いて、駆け出した。上月が動き出したのも同じタイミングだった。


「弓坂っ、しっかり――」


 弓坂の顔を覗き込んで、俺は二の言葉が喉で止まってしまった。


 弓坂は声もなく泣いていた。怒って喚き散らすのではなく、目の前の現実を否定するわけでもなく、ただひたすら、とめどなく。


 弓坂のつぶらな両目から涙がこぼれ落ちる。透明な雫は白い頬を伝って、床に散らばった皿の破片へと落ちてゆく。


「お、おい。何、何? 何が起きちゃったのぉ!?」


 しんと静まり返る教室に桂の悲鳴が飛ぶ。弓坂と彼女に抱きつく上月を見落として苦悶していた。


 涙の訳に気づけなかったのはきっと、桂だけではなかったはずだ。俺は拳をふるわせて親友の顔を見上げた。


「弓、坂……?」



  * * *



 松原がその場を納めて、カフェの営業は無事に再開された。


 一時はどうなるかと思ったが、お昼時ということもあり、客の入りが引く気配はなく、目がまわるような忙しさに変化はおとずれなかった。


 店の営業には、さしたる影響は出ていない。けど……。


「未玖ちゃん、泣かないで」


 弓坂は裏の休憩室で泣きつづけている。今はかすかな声を出して、しくしくと。


 妹原につきっきりで看てもらっているが、妹原ももらい泣きしているのか、目には涙が溜まっていた。


 こんなことになってしまうのなら、上月や妹原にすべてを話せばよかった。ふたりに協力してもらえば、未然に防ぐことができたかもしれないのに。


 でも、もう手遅れだ。俺は弓坂を支えてやることができなかったんだ。


「透矢っ!」


 近くでいきなり叫ばれたので驚くと、キッチンをはさんだ向こうに上月がいた。


「もう、何してんのよ。待ってるんだから早く提供してよ」

「あ、ああ。すまん」


 桂に用意させていたカフェラテをふたつトレイに乗せる。


 上月はトレイを受け取りつつ弓坂をちらっと見て、


「あんたが落ち込んでも、しょうがないんだからねっ。未玖や雫の分まであたしたちがしっかりやらなきゃ!」


 いつになく真面目な面持ちで言った。お前は強いんだな。


 山野は教室に留まらずに雪村の手を引いていった。弓坂の痛ましい様子を見ていられなかったのだろう。


 教室を出るときに弓坂を心配そうに見ていたが、あの表情のない顔から焦りや困惑を俺は感じ取った。


 あいつは何も悪くない。だがなぜなんだ。あいつに対して、俺の心の内側が激しく怒り狂っている。


 友人に対してこんなにも複雑な感情が沸き上がるのは初めてだ。俺の感情はどうしてこんなに怒っているのだろうか。


 子連れの母親を送り出した上月がすたすたとこちらに歩いてくる。そして弓坂を見て言った。


「一時になったら午前の部が終わるから、お昼でも食べに行こうよっ。未玖と雫を連れて」

「そうだな」


 上月の健気な提案が俺のざわついた心を落ち着かせてくれる。こいつがこんなに友達想いだったなんて、知らなかったな。


 上月の気丈な振る舞いに胸が少しときめいてしまった。

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