山野と雪村の関係 - 第115話
山野とならんで校門を抜ける。今日もワイシャツを一枚着ているだけで蒸し暑さを感じるほど天気がいい。
教室を出たのが遅かったから、通学路を歩く生徒は俺たち以外にいない。花の散った桜の道は木陰ができていて少しだけ涼しい。
「そういえばお前、上月に何かしゃべったか?」
ポケットに手を突っ込みながら歩いていると、山野が突然話を切り出してきた。十中八九、雪村さんのことだな。
「話って、何をだ?」
「昨日のことだ。今日は上月がにやにやしながら、やたらと俺にからんできたからな。俺のことをあいつにしゃべったんじゃないかと思ってな」
さすがはクラス一の分析家である山野だ。上月が変な動きをしただけで、俺がからんでいると看破したのか。
とはいえ、俺は昨日の出来事をありのままに話しただけだし、あれはそもそもあいつにしつこくねだられたから、仕方なく話をしたのだ。だから俺は何も悪くないはずだ。
俺は首の汗をハンカチで拭った。
「ああ。すまねえな。かなりうざかっただろ」
「上月のことは何も気にしていないが、今日は朝からしつこかったから妙だと思っていたんだ。昨日は帰りが遅かったから、あいつに根掘り葉掘り聞かれたのか?」
お前は俺たちのことをなんでもお見通しなんだな。友人として感謝しておくよ。
「ああ、そうだよ。川辺にいたあの女はだれってな。俺だって何も知らねえっていうのに、いい迷惑だよ」
「女は浮かれた話が好きだからな。そういうことなら、お前に非はないな」
山野はろくに反論せずに状況を理解した。
お前の考え方がとても大人で俺はいつも助かっているが、こうもあっさりしすぎていると、なんだか物足りないな。もうちょっと怒られたりするのかと思っていたけど、まあいいか。
しかし、雪村さんのことが気になっているのは上月だけじゃない。俺だって友人として気になっているんだ。
弓坂のこともあるし、やっぱりふたりの関係が気になるから、こいつから聞けるだけ話を聞いておいた方がいいと思う。
「なあ、山野。これから時間あるか?」
「いや、姉貴と買い物に行くから、時間はないぞ」
そういえば、これから姉貴と買い物に行くんだったな。
けれど、できれば早く聞いておきたい。っていうか今すぐ俺に教えてくれ。
「時間なら、とらせない。なあ、ちょっとだけ、いいだろう?」
「お前も雪村のことがそんなに知りたいのか?」
「ああ、そうだよ。っていうか、あの人はただの同中の同級生じゃないだろ。俺にちゃんと説明しろよ」
「まったくお前らは、どうして俺のことが気になるんだかな。聞いたって楽しいことなんてひとつもないんだが」
山野は「やれやれ」と息を吐いた。
「お前のたっての願いじゃ、断れないな。だが本当に時間がないから、二十分だけだぞ。それでもいいな?」
* * *
妹原や上月たちとよく行く駅前のカフェに立ち寄って、俺は山野から話を聞き出すことに成功した。
雪村さんと山野の関係は、俺が考えていた通りだった。
「じゃあお前、中二のときから二年間も付き合っていたのか?」
俺が驚いて質問すると、山野は無表情のままこくりとうなずいた。
「もとはただのクラスメイトで、出席番号順が俺の後ろだったから、席が近くてたまたま仲良くなったんだ」
となりがけで座るカウンターに肘をついて、山野がカフェラテを少し口に含める。
「付き合う気なんて、最初はさらさらなかったんだがな。雪村はあがり症だし、俺のことも相当怖がってたからな。だけど、あいつのすごさを知っていくうちに、あいつのことがだんだん好きになっていってな。それで俺から告白したんだ」
そうだったのか。やけに親密だったから、もしやと思っていたが、あの人が山野の元カノだったなんて。
山野はコーヒーカップを置くと、俺の顔を見て、
「なあ、八神。お前に聞いてみたいことがあるんだが」
今までの反撃とばかりに質問してきた。
「ああ。なんだ?」
「お前、昨日あいつを見て、どう思った?」
どう思ったって言われてもな。お前の元カノはあんな挙動不審の変態だったんだな、なんて言えないだろ。
「ありのままを正直に言ってくれてかまわない。お前の感じ方は、俺の初期の感じ方とほぼ変わらないはずだからな。お前のあいつに対する率直な感想を聞いてみたいんだ」
こいつは俺の気持ちが手に取るようにわかるんだな。すごいというか、なんていうか。
しかし自分の前に付き合っていた彼女を悪く言われても傷ついたりしないのだろうか。
「まあその、変わった人だなって思ったよ。すごい度の強いメガネをかけてるし、しゃべるのも下手だし。……悪い人じゃないとは思ったけど」
俺の雪村さんの印象なんて、こんなものだ。山野には悪いが、昨日少ししゃべっただけでは、いい印象はとても持てそうにない。
山野はメガネの縁をさすって、「そうだろうな」とつぶやいた。
「あいつの外見や第一印象なんて、そんなものだからな。お前がそう思うのは普通だ。俺も最初はそうだったからな」
じゃあなんであんな人と二年も付き合ってたんだよ。お前だったら、もっと可愛い彼女を山ほどつくれただろ。
「あいつの絵、見たか?」
「ああ。すごいうまいな。よく知らねえけど、今すぐ画家になれるレベルなんじゃないか?」
「そうだ。あいつは天才なんだ。絵にかけて右に出る者がいないほどのな」
そうなのか。彼女の絵のうまさだけは俺も認めるよ。
「だからあいつは、画家になるためにドイツに留学してるんだ」
「――は?」
ド、ドイツに留学しているだって!?
まったく予期していない言葉に、飲んでいたアメリカンコーヒーを吹き出すところだったぞ。
「中学のときに出した絵画のコンクールで賞をとって、それが偶然来日していたドイツの画家の目に留まったみたいでな。直々にスカウトされたんだ。プロから」
マジかよ。プロのしかも外人に絶賛されるって、すごすぎないか。レンズの分厚いメガネをかけた変人だと思っていたのに、とんでもない才能の持ち主なんだな。
「雪村は、出会ったときからすごかった。勉強や運動はできないし、人と話すのも苦手だったが、絵の才能だけは群を抜いていた。絵を描くために生まれた申し子だ」
「それはすごいな」
「あいつはまわりのやつらになんと言われようと、自分の意思は曲げずに、絵を描くことだけに没頭していた。外見だけでは決してわからないが、あいつはまわりの意見や批判に屈しない鋼の心を持つ女だった」
「そいつのそんなところに、お前は惹かれたということか」
ふたりの関係と山野の考えをやっと理解することができた。俺はコーヒーカップをとって、残りのコーヒーを一気に飲み干す。
「八神だったら、俺の考えをわかってくれると思ったんだ。まあ、結局は別れてしまったわけだが」
そこだ。俺がまだよくわかっていないのは。
お前たちは別れてしまったのに、なんであんなにも親しげに話すことができたんだ? 喧嘩別れしたけど、偶然にも再会したから無理して話を合わせている感じでもなかったし。
「っていうか、ドイツに留学してるんだったら、なんで昨日あんなところにいたんだ? ドイツにいるはずなのに、おかしいだろ」
「ああ、それは俺も聞いたんだが、どうやら向こうでは今が夏休みなのだそうだ。それで帰郷してきたらしい」
ああ、そういうことか。話のつじつまがぴたりと一致した。
夏休みに帰郷して、前に付き合っていた彼氏とばったり再会したら、気分が高まって話もしたくなるよな。
「なあ山野。言いづらいことを聞いちまうんだが、お前たちが別れたのは、あの人がドイツに留学することになっちまったからなのか?」
山野はコーヒーカップの取ってをにぎりしめたまま、じっと口を噤んだ。そして、意を決したように顔をあげて、
「ああ、そうだ。あいつもプロにスカウトされて、行くかどうか迷っていた。しかし、俺のせいであいつの類い稀な才能をつぶしてしまうのが嫌だったんだ。だから俺があいつの背中を後押ししたんだ。俺から別れを切り出してな」
そうだったのか。お前にそんな壮絶な過去があったなんて、知る由もなかった。
そうか。だからこいつは過去の恋愛を言い渋っていたのか。こんなつらい恋愛をしたんじゃ、話なんてとてもできないもんな。
ということは、今でもこいつは雪村さんのことが好きなのか……?
「お前は、それでよかったのか? 喧嘩して別れたわけじゃないんだろ。それなのに、それじゃお前はまんま犠牲者じゃんか」
すると山野はまたしばらく口を噤んだ。
「俺は、あいつの絵の天性の才能と、自分の道を突き進むあの強い心を愛しているんだ。だから、俺は犠牲者じゃない。これでよかったんだ」
決然と振り上げた山野の顔は、今日もいつに増して表情がなかった。過去のつらい失恋を話しているのに、眉間が曇ってすらいない。
けれど、俺は思うんだ。こいつも雪村さんと同じように、外見だけでは決してわからない、熱い想いややり切れない感情を秘めていることを。
こいつはきっと、今でも雪村さんのことが好きなんだ。あの人の才能を伸ばしたいという気持ちにうそはないんだろうけど、それでもきっと別れたくなかったんだと思う。
「そういうわけで、話は終わりだ。そろそろ帰らないとマジで姉貴との約束に間に合わなくなるから、そろそろ帰るぞ」
山野が鞄を持って立ち上がる。
山野は、強いやつだな。心の底からそう思うよ。
俺がもし妹原と付き合っていて、あいつがヨーロッパに留学するなんて言い出したら、あいつを笑顔で送り出すことはできるのだろうか。
いや、それはつらい。つらすぎるぜ。だって好きなのに、遠くはなれてしまうから、恋人と別れないといけないんだぞ。そんなのつらすぎるじゃんか。
ああ、昨日の川辺での出来事に、そんな複雑でつらい想いが交錯していたなんて、わからなかった。それなのに俺は、見た目がどうとか、少し口下手なだけで山野の元カノを酷評して、外見でしか相手を判断できない大バカ野郎だ。
「どうした、八神? 早く帰るぞ」
「ああ、すまねえ」
山野が困っているので、俺も空のコーヒーカップをとって立ち上がった。
それにしても、さらに厄介なことがこの問題にはからんでくる。弓坂の気持ちだ。
あいつは山野のことが好きだ。それはもう、山野が異性と会話しているだけでもハラハラと不安になってしまうほどにだ。
そんなあいつが、もし山野の今の気持ちを知ったら、どうなってしまうのだろうか。
弓坂にだけは絶対に言えない。雪村さんに会わせてもいけない。あいつは俺の友人であり、協力者なのだから、あいつを泣かせるようなことをしてはいけないんだ。
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