ひそかな同盟 - 第86話

 麦茶を飲んだらすぐに部屋へ戻ろうと思っていたけど、弓坂と学校の会話をしていたら微妙に盛り上がってしまった。


 弓坂は話し好きだから、相手が俺みたいなやつでも話していると楽しいようだ。俺は微妙に眠たいから、部屋に戻りたいんだけどな。


「ヤガミンはぁ、カツラくんとぅ、キダくんと、仲いいよねぇ」


 弓坂がにこにこしながら話をつづける。


「仲いいっていうほどでもないけどな。たまたま席が近かったから、話してるだけだし」

「そうなんだぁ」

「木田は同中おなちゅうだから、前から仲はよかったんだけどな。まあ腐れ縁だよ」


 木田の話をしつつ、あいつが何気に弓坂のことを好きになっていることを思い出した。


 木田が言うには、弓坂のほんわかとした性格がたまらないらしい。木田の気持ちはよくわかるぞ。


 俺は弓坂と普通に会話できるから、あいつは俺を仇敵みたいに恨んでくるけど、なら積極的に話してくれよ。俺は一度も妨害していないんだぞ。


 だが、びびりの木田が弓坂に話しかけることはできないから、またきっと卒業前にいきなり告白して、弓坂にあっさりふられるんだろうな。友人ながら哀れなやつだ。


 あいつが今のこのシチュエーションを見たら、どんな顔をするんだろうな。顔面蒼白になって吐血したりするのだろうか。


 弓坂がコップの縁を人さし指で触る。弓坂の指は細長くて芸術品みたいに精巧だ。


「ヤガミンはぁ、学校で、仲のいいお友達が多いよね。羨ましいなぁ」

「そんなことはないだろ。弓坂だって、妹原や上月と仲いいじゃんか」

「そうかなぁ」

「そうだろ。それに、俺のまわりにいるやつらは、木田とか桂とか、うだつの上がらないやつらばっかりだぞ」


 弓坂が何を勘違いしているのかわからないが、俺はそんなに社交的な人間じゃない。むしろ人見知りする方だ。


 俺の取り柄なんて、ゲームが常人よりも多少うまい程度だが、俺よりゲームのうまい弓坂がとなりにいるからな。


 弓坂が俺を見つめて、「うふふ」と微笑んだ。


「ヤガミンは、優しいよねぇ。そういうところはぁ、きっと、女子に好かれると思うなぁ」

「そ、そうか?」

「うんっ」


 弓坂が屈託のない笑顔でうなずく。


「雫ちゃんも、麻友ちゃんもぅ、そう思ってると思うよぅ」


 上月のことは別にどうでもいいけど、妹原に好かれてるんだったら嬉しいな。


「プールでも、雫ちゃんとぅ、ふたりで話してたよね」

「あ、ああ」

「雫ちゃんとは、恋人になれそう?」


 妹原とふたりで話しているところを見られていたのか。さっきはそれどころじゃなかったから、まったく気がつかなかった。


「どうかな。悪くなってはいないと思うけど、よくなったかどうかはわからないな」

「そうなんだ」

「うまくいけるようにがんばっているつもりだけど、進展はなかなかないな」


 弓坂にも協力してもらっているから、なんとか結果を出したいと思っているけど、こればっかりは難しいな。


「だいじょうぶだよ。ヤガミンだったらぁ、きっと、雫ちゃんも好きになってくれるから」

「そうだといいな」


 俺はコップに麦茶を注いで一気に飲み干した。


 コップをテーブルに置いて、ふと思った。弓坂に好きな男はいないのだろうか。


 今さらになって気づいたけど、弓坂の恋愛話は一度も聞いたことがない。


「弓坂は、好きな男とかいないのか?」

「あたしぃ?」


 突拍子のない質問だったのか、弓坂がきょとんとする。


「ああ。話したくなければ、別に言わなくてもいいけど」

「そうだねぇ」


 弓坂が空のコップを抱えてもじもじしだす。


「ヤガミンの好きな人、知ってるんだからぁ、あたしも、言わないと、だよねぇ」

「い、いや、無理に言わなくてもいいんだぞ。無理強いしているみたいで悪いし」


 弓坂に気を遣って制止してみるけど、本心ではすごく興味があるぞ。


 弓坂のこの口ぶりだと、好きなやつがいるんだ。それはだれなんだ?


 弓坂はクラス切っての不思議系女子だから、どんな男がタイプなのか、まったく検討がつかないぞ。木田の名前が出たら奇跡の両想いになるが。


「あたしはぁ」

「おお」


 真剣な面持ちでうつむく弓坂の顔が赤くなる。俺の心拍数も無駄に上昇してきたぞ。


 その後も弓坂はしばらく緊張したまま、空のコップを見つめていたが、


「あたしはぁ……ヤマノンが、いいかなぁ」


 木田の名前はやはり弓坂の口から出なかったか。かわいそうに。――じゃなくて!


「マジか!?」


 衝撃的な答えに、俺は派手に身体をのけ反らせてしまった。椅子がたおれそうになったから、慌てて重心を前に戻す。


 弓坂が好きなのは、山野だったのか。驚きすぎて心臓が飛び出すところだった。


「みんなには、ないしょだよぉ!」


 顔を真っ赤にした弓坂が俺の腕をつかんでくる。今まで見たことのないような取り乱し方だ。


 弓坂は山野と仲がいいし、山野はそもそもうちのクラスじゃ一番のイケメンだから、弓坂が好きになるのはむしろ自然だと思う。


 学校の昼休みはいつも三人で昼飯を食べているけど、全然気づかなかったな。弓坂がひそかに山野に好意を寄せていたなんて。


 こんなに我を忘れて動揺するんだから、本当に山野のことが好きなんだな。なんだか微笑ましくなってくる。


「まだ、だれにも、言ってないからぁ。絶対に、言わないでねぇ」


 えっ、そうなのか?


「妹原や上月にも言ってないのか?」

「うん」


 そうだったのか。女子にすら言っていないのに、俺にだけ教えてくれたのか。


 弓坂は姿勢を戻して、しゅんと座り込む。顔は赤いままだ。


「ヤガミンのこと、聞いてばっかりだから。だからぁ、ヤガミンにも、聞いてもらおうって、思って」


 弓坂は、俺のことを信用してくれているんだな。親友としてありがたいぜ。


「山野の、どの辺が好きなんだ?」

「えっ、どの辺が……?」

「好きになったんだから、ここがいいっていうのがあるんだろ?」


 頬杖をつく俺の顔を、弓坂がまじまじと見つめてくる。余裕のない素顔は、生まれたての小鹿みたいだ。


「わかんない。ヤマノンのことは、全部好きだから」


 全部好きか。くっ、山野め。羨ましすぎるぞ。


「ヤガミンは、どうなのぉ?」

「お、俺かっ?」

「うん」


 おもちゃをおねだりする子供みたいに弓坂が見つめてくる。


 好きな人の好きなところをあらためて問われると、なんて返答したらいいのかわからないな。言いだしっぺは俺なんだが。


 妹原のいいところは、たくさんある。顔はもちろんのこと、性格、体型、夢に向かってがんばっているところも、全部。


「俺は、妹原の優しいところが好きだな」

「優しいところぉ?」

「あいつは、いつもみんなの後ろにいるけど、本当はだれよりも友達想いなんだ。そういうところが、俺は好きだ」


 なんて答えたらいいかわからなかったから、さっきプールで感じたことを口から出してみた。


 言っているうちに俺の顔も茹でだこみたいに熱くなってきたけど、弓坂の満足する答えになっただろうか。


 弓坂は俺の赤い顔を見やって、「ふふ」と静かに笑い声をあげた。


「そうだったんだぁ。知らなかったぁ」

「俺のことも、ないしょだからなっ。こんなことが木田や桂にばれたら、大変なことになる」

「うんっ。わかってるよぅ」


 弓坂は、いつものほんわかとした笑顔に戻っていた。顔の熱もいくらか引いてきたみたいだ。


「じゃあ、あたしたちはぁ、お互いの秘密を、知ってるんだねぇ」

「そうだな」


 上月以外の女友達と秘密を共有しているなんて、変な感じだ。女友達なんて今までいなかったからな。


 当たり前だけど、女友達って間抜けな男友達とは全然違う。気安くはたいたり、マンガやアニメの下らない話で盛り上がることはできないけど、恋愛の相談をすることができる。


 妹原や上月とはまた違う、大切な友達なんだな。そう思った。


「じゃあ俺たちは、同盟関係なんだな」

「同盟?」

「ああ。俺と弓坂は、お互いの恋愛の秘密を共有している、言わば同志だ。つまり恋愛同盟だ」

「わあっ、ほんとだぁ」


 弓坂の頬がまた少し赤くなって、顔がぱあっと明るくなった。


「弓坂にはいつも助けられているからな。俺でよかったら協力するぞ」

「協力?」

「ああ。入学してすぐに、あいつが言ってただろ。好きなやつの友達に協力してもらった方がいいって」

「あ、うん」

「俺は一応あいつの友達だから、かなり便利だと思うぜ。なんなら、山野の内部情報だって教えてやってもいい」

「内部情報はぁ、さすがにダメだよぅ」


 弓坂が冗談を真に受けて慌てふためく。


「内部情報を教えるのは嘘だけど、俺はなんでも協力するから、困ったことがあったら言ってくれ」

「うん。わかったぁ」


 俺は拳を合わせようと思って右手を出したが、弓坂は何の合図なのかわからなかったのか、拳を見つめてきょとんとしていた。


 拳を合わせることを教えると、「あ、そっかぁ」と言って右手を出してくれた。


「ありがとうね、ヤガミン」

「おう」

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