プールサイドで妹原と急接近! - 第82話

 普通の民営プールや市民プールと違って混雑していないから、プールの中は快適そのものだった。


 なにせプライベートプールだから、俺たち以外に人がいない。流れるプールで子どもに邪魔されることはないし、バカ騒ぎしてアルバイトの監視員に笛を吹かれることもない。


 何をしたって自由だけど、目のやり場に困るのだけは唯一の難点だな。


 水中で迂闊に目を開けると、妹原や上月の小さなお尻が間近にあったりするから、驚きのあまりに溺れそうになるし。


 女子三人の水着姿を見たいのは山々だが、あんまり見すぎると変態の烙印を押されてしまう。マジで注意しなければ。


「麻友ちゃんはぁ、水泳は得意なの?」


 弓坂が尋ねると、上月は肩まで水にうずめて言った。


「うーんと、普通くらいかな」

「そうなんだぁ」

「水泳はそんなに得意じゃないからね」


 何気なく言いやがったけど、嘘つくなよ。プールの検定で小学校の低学年のときから神のような記録を出しつづけていたのは、一体どこのどいつだ?


「未玖は、どうなの?」

「あたしは、あんまり、得意じゃないかなぁ」


 弓坂は水泳が苦手なんだな。そもそも運動全般が得意じゃないんだろうけど。


 前にボウリングしたときのスコアもかなり低かったからな。


「ヤガミンはぁ?」

「俺か? 俺も普通くらいじゃないか?」


 俺も弓坂と同じく文化系だが、水泳は小学生のときにスパルタ教育されたから、今でもそれなりに泳ぐことはできる。


 ちなみにスパルタ教育しやがったのは、俺の死んだ母さんだ。足は遅くてもいいから、二十五メートルだけは泳げるようになりなさいと、まったくもって意味がわからない理由と教育方針で水泳を叩き込まれたのだ。


 横で聞き耳を立てていた上月が、さも意外ですと言いたげな顔でせせら笑う。


「あれ、あんた、クロールとかできるんだっけ?」

「できるわ」


 間髪を入れずに突っ込むと、弓坂と妹原が声を立てて笑った。


 そんな感じで談笑していると、トイレに行っていた山野がひょっこり戻ってきた。


「上月。だらだらしていても暇だから、水泳で勝負でもしないか?」

「水泳で? 別にいいけど、何で勝負するの? クロール? それとも背泳ぎ?」


 どうやらこの前のボウリングのときみたいに勝負するようだが、お前は背泳ぎまでできて普通なのかよ。俺が思い描く普通に背泳ぎとバタフライは入っていないぞ。


 だが山野は上月の提案を涼しそうな顔で聞き流して、


「背泳ぎは面白そうだが、まずはフリーでいいんじゃないか? ルールで縛るのはナンセンスだろ」


 何がナンセンスなのか、俺にはまったくもって意味不明だが、お前たちの間では背泳ぎできるのが当たり前なんだな。脱帽したよ。


 しかも二回以上泳ぐ前提だし。お前たちはなんでそんなに勝負に飢えているんだ?


「水泳自由形一本勝負ってわけね。また泣きを見ても知らないわよ」


 上月が獲物を追うチーターみたいな顔で笑う。こいつの負けず嫌いも相変わらずだな。


「弓坂。ここは底が浅いから、もっと深いプールはあるか?」

「あ、えっとね、向こうのプールはぁ、競泳用だったはずだよぅ」


 弓坂が指したのは、プールサイドで仕切られたとなりのプールだった。ここからだと底の深さはわからないが、長さは二十五メートルくらいありそうだ。


「じゃ、移動するぞ、上月」

「望むところよ」

「ああっ、あたしも行くぅ」


 運動バカ二名の後を弓坂が慌ててついていく。バシャバシャと水を蹴る音が雲のない空へと消えていく。


 今日はバカンスで来ているのに、無駄な勝負でエネルギーを無意味に消費するんだから、アホなやつらだな。軽井沢まで来て競わなくてもいいのに。


「みんな、行っちゃったね」


 となりでぽつんとたたずむ妹原がつぶやく。……っていうか、妹原とふたりきり!?


 くおっ、新幹線に引き続いて、またしても俺に幸運の女神が舞い降りたぞ。冗談抜きで、今日は恋愛の神様でも憑いているんじゃないか?


 神様の詳しい名称は知らないが、このチャンスをなんとかものにしなければ。


「あ、ああ。そうだな」


 ドキドキする気持ちを抑えながら相づちを打つ。ふたりきりだと思った瞬間に唇がヒクヒク動いて止まらないぞ。


 向こうのプールでは、上月と山野の勝負が始まっていた。競艇ボートみたいな速さでクロールする上月を見て妹原が微笑む。


「つ、疲れたから、あっちのプールサイドで、休むか」

「うん」


 後ろのプールサイドを指すと、妹原が俺についてきてくれた。よっしゃあ!


 人のいないプールサイドで腰を落として、意味もなく水面を眺める。妹原とふたりきりでいると、まるでカップルみたいだ。


 ああ、ダメだ。ドキドキが強くて止まらない。


 身体中から沸き上がってくる想いとは裏腹に、言葉が少しも思い浮かんでこない。なんでもいいから会話しないといけないっていうのに、何してるんだ。


「みんなと、遊びに来れてよかったね」


 妹原が深く感じ入るようにつぶやく。


「ボウリングしたときみたいに、またみんなで遊びに行きたいって、思ってたから」


 ボウリングしたのは入学してすぐの四月だったけど、俺と山野が考えた間抜けな遊びを妹原は楽しんでくれてたのか。


「麻友ちゃんと八神くんが喧嘩しちゃったときは、どうなるんだろうって思っちゃったけど、仲直りできて、よかった」


 妹原は、やっぱりいいやつだな。となりで聞いていて思った。


 弓坂から聞いた話だけど、今回の旅行も妹原は二つ返事で参加を了承してくれたらしい。


 断りづらいだけなのかなって、思ったりしていたけど、きっとそうじゃなくて、俺を含めたこのメンバーで遊びに行くのが好きなんだと思う。


 なんだかんだ言って、俺もこの五人で遊びに行くのは嫌いじゃないしな。


「悪いな。心配かけちまって」


 俺が言いづらそうに頬を掻くと、妹原は慌てて首を横に振った。


「あ、ううん。八神くんを責めたかったわけじゃないの。ただ、ふたりのことが心配だったから」


 俺たちのことを本当に心配してくれてたんだな。


「俺たちのことは、心配しなくても平気だよ。俺と上月が喧嘩するのは日常茶飯事だから」

「そうなの?」

「ああ。殴り合いはさすがにしないけど、何か揉めるとすぐ喧嘩になるからな。だから、妹原は何も気にしなくていい」


 俺は上月から一方的に殴られたりしてるんだけどな。


 妹原は俺の言葉を聞くと、口に手をあてて笑った。そして、おもむろに空を見上げて、


「いいなあ。八神くんと麻友ちゃんの関係って。本心でぶつかり合っても、お互いに嫌いになったりしないんでしょ?」


 羨ましそうに聞かれてしまったが、あんな乱暴系女子が近くにいるのが羨ましいのか?


 あとお互いに嫌いになったりしていると思うぞ。それもかなり頻繁に。


「わたしには、そういう人はいないから。麻友ちゃんみたいに、強く言ったりすることもできないし」


 妹原がうつむいて足をばたばたさせる。水面からかすかに水しぶきがあがる。


 妹原には兄弟や姉妹がいないから、人と喧嘩したり、衝突したりしたことがないんだろうな。俺と上月も兄弟姉妹はいないが。


「兄弟とかいないと、そういうのはつらいよな。俺と上月も兄弟はいないけど、関係は兄弟みたいだし」

「兄弟がいないから、ふたりは仲がいいの?」

「さあな。俺も兄弟がいないから、その辺はよくわからないな」


 俺と上月は断じて仲がよくないんだが、この誤解は妹原の心の奥底に沈み込んでしまっているみたいだ。あいつとはただの腐れ縁だっていうのに。


「そうなんだ」


 妹原は苦笑しながら、プールの静かな水面に目を向けて、


「八神くんは、ひとり暮らしをしてるんだよね」


 次の言葉をそっと切り出してくれる。


 今日の妹原は、なんだか積極的だ。夏の暑さがそうさせているのか。いや、それ以前に、


「なんで、妹原がそれを知ってるんだ?」

「あ、うん。未玖ちゃんが言ってたから」


 俺の個人情報を無断でばらしたのは弓坂か。大きな胸といい、実にけしからんやつだ。


「ひとり暮らしって、どんな感じなの? 寂しかったりしないの?」


 寂しいかと言われれば、相手が妹原でも返答しかねるが。


「どうかな。中学二年からだから、もう慣れちまったっていうのが本音かな」

「そうなんだ」

「それに、学校に行けば友だちがいるし、上月みたいなうるさいやつも身近にいるからな。だから、寂しくはないんじゃないか? 特別には」


 まさか、こんなことまで妹原に聞かれると思っていなかったから、なんだか照れくさいな。顔が赤くなっていなければいいが。


 妹原は俺の顔をちらりと覗き込むと、また空を見上げて言った。


「八神くんは、すごいなあ。お母さんも亡くなっちゃったのに、ひとりでがんばってるんだもんね」


 うちの事情まで流されているんだろうと腹を括っていたけど、案の定妹原は知ってるんだな。弓坂には後できついお灸をすえてやろう。


「それなのに、成績はクラスで上位だし、この間は山野くんと協力して麻友ちゃんを助けてくれたし。わたしには真似できないよ」


 まさかと思うけど、妹原における俺の株が知らない間に上昇している?


 そんなバカな。でも、ああ。すごく嬉しいぜ。今日はやっぱり何かの神様が俺に舞い降りてるよ。


「妹原だって、すごいだろ」

「えっ」

「フルートやピアノは超うまいし、成績だって俺よりいいじゃんか」


 そうだ。本当にすごいのは、俺なんかじゃなくて妹原だ。音楽の重圧に耐えながら勉強もしっかりやってるんだから。


「そ、そうだっ。フルートを持ってきてるんだろ? だったら、後で聞かせてくれよ。妹原が演奏してるの、まだ見たことないし」


 突然に脳裏にひらめいたから、かなり厚かましいことを勢いで言ってしまった。迷惑だっただろうか。


 妹原はきょとんとして、俺を見上げながら目を瞬していたが、


「うん。八神くんも、わたしに話してくれたから、わたしも八神くんのためにフルート吹くね」


 遠慮しがちに了承してくれた。しかも俺のためだなんて、今から全力でプールに飛び込みたくなるほど嬉しかった。

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