上月の本心 - 第57話

「えっ、昨日の女の子ぉ?」


 次の日の昼休み。後輩のあの女子のことが気になってどうしようもなかったので、食堂で思い切って話を切り出してみた。すると弓坂の持つスプーンが皿の上ですかさず停止した。


「ああ。上月となんか話をしてたと思うけど、何を話してたんだ?」

「うーんと、話っていう感じでも、なかったんだけどぉ」


 弓坂が「うーん」と天井を仰いで遅口でこたえる。


「あたしには、よく、わからなかったんだけどぉ、なんかね、謝ってたよぉ」

「謝ってた?」

「うん」


 謝るって、あいつに何を謝るんだ? 意味がさっぱりわからない。


「あたしが、悪かったから。だから、許してって。麻友ちゃんに、なんか悪いことしちゃったのかなぁ?」

「さあな」


 俺はあいつに悪いことをされたばかりだけどな。


 あいつもその子くらい素直になってくれたら、俺も多少は可愛いと思うのかもしれないけどな。でもそんなことは、人類が火星に到着しても起き得ない希望だから、考えるだけ無駄だな。


「でもぉ、どうしてヤガミンが、昨日のこと、知ってるのぉ?」

「う――」


 弓坂の予期しない反撃に、たぬき蕎麦が喉につまるところだった。


 俺は二、三度むせてから、弓坂にこたえた。


「ぐ、偶然、見かけたんだ」

「偶然?」

「ああ。校門で、上月と話してるのが見えたからな」


 かなり苦しい言い訳だったが、弓坂は「そうなんだぁ」と納得してくれた。危うく「ヤガミンってぇ、あたしたちのことを後ろからつける、気持ちわるぅい人だったんだぁ」と嫌われるところだった。


 そんなことを思っているとなりで、山野は蓮華れんげを静かに器へと置いて、


「上月と喧嘩したばかりなのに、ずいぶん気になっているみたいだな」


 やんわりとからかう感じで口を挟んできた。


 ほっとけ。とりあえず気になるのは俺の性分だ。


「別に気になっちゃいないけどな。でも、前にも見かけた女子だったんだよ」

「見かけた?」

「ああ。駅の構内で、その子と上月が話してるのを前にも見たんだよ。それだけだったら俺も別に気にしねえけど、その子、たぶんあいつの後輩なんだよ」

「そうなのぉ?」


 弓坂がスロー再生した動画みたいにゆっくりと小首をかしげる。ふわふわとカールしたブロンドの髪が、肩のあたりで柔らかそうに揺れ動く。


「あの制服は、俺の中学の制服だからな。だから、あの子はたぶん上月の後輩だ」

「あ、そういえばぁ、麻友ちゃんのことを、先輩って呼んでた」


 やっぱりそうか。中学生であんなに日焼けできるのは、運動部に所属している女子でもかぎられたやつらしかいないからな。


「じゃあ、部活でぇ、なにかやっちゃったのかな?」

「どうだろうな。サッカー部の後輩だったとしても、必ずしも部活で何かがあったとはかぎらないからな」


 山野がいつもの冷徹な口調で分析する。こんなに感情のこもっていない声を発することができるやつは、日本中を探してもそうはいないだろうな。


 それはさておき、後輩のあの子は、上月に何を謝ろうとしてたのだろうか。校門で見た、あの真剣な表情を想像すると、ただならない理由があると思えてならないけど、どうなのだろうか。


 ――いやいや。だから何を考えてるんだ俺は。その子のことなんて、俺には髪の毛一本ほども関係ないだろ。


 けど、あの子の正体を突き止めることは、上月の今の心情を理解することにつながるんじゃないかとぼんやり考えている俺がどこかにいるのだ。


 あいつの今の気持ちがわかれば、中越のことや、それが原因であいつとガキっぽく喧嘩しちまっていることも、すべてきれいさっぱり洗い流せるんじゃないかと思って――いやだから、上月のことなんて、俺は別にどうでもいいんだろ?


 俺がこんなだから、山野にも軽くあしらわれるんじゃないか。ああくそっ。


 なんていうことをもやもやとしながら考えていると、


「そういえばね、昨日、麻友ちゃんから、聞いたんだけどぉ」


 弓坂が俺の方を向いて、めずらしく話を切り出してきた。


「聞いた? って、何をだ?」

「うん。それがね……」


 弓坂は後ろめたいことがあるのか、言いづらそうに言葉を少し止めて、


「麻友ちゃん。先輩と付き合う気はないんだってぇ」


 ……えっ、そうなのか?


 突然の宣告に、つかんでいた蕎麦が箸から落ちてしまった。


「昨日ね、雫ちゃんとぉ、麻友ちゃんを止めようと思ってね、三人で帰ったんだけどぉ、麻友ちゃんに、先輩のことを聞いたらね。先輩とは付き合わないって、言ってたの」

「マジかよ」

「うん。麻友ちゃん、そういう冗談は言わない人だから、本当だと思う」


 弓坂の予想は、たぶん外れていないと思う。


 上月は、俺をいじめるためにふざけた罠を仕掛けたり、底意地の悪いことを言ってきたりはしてくるが、それを妹原や弓坂にしているところを見たことがない。


 俺は、あいつにとってきっと石ころ程度の価値しかないのだろうから、俺のことをいくら存外に扱ってもかまわないんだろうけど、妹原と弓坂は違う。あいつにとってふたりは大事な女友達だ。


 それに、女子の関係って、男同士よりもはるかに面倒だからと、前にあいつがこぼしているのを聞いたことがある。


 そんなことを言われても、女子の生態をろくに知らない俺の軽い脳では、どのくらい面倒なのかはまったく想像できないが、そういう理由があるから、上月は妹原と弓坂を存外に扱えないんだと思う。


「だからね、先輩ともぉ、もう会う気はないんだって」


 そう、だったのか……。


 さっきまでどうやって上月を止めようか苦心してたから、突然の戦争終結に思考がぽっかりと奪われてしまった。


 でも、なんで、そんな、急に……?


「お前のマジ切れが相当効いたみたいだな」

「マジ切れって言うな」


 山野がドンピシャのタイミングで言ったから、思わず突っ込んじまったじゃないか。


 でも、あいつもやっとわかってくれたから、これで中越にだまされる心配はなくなったのか。あいつとは国交断絶中だが、それを治めればまたいつものちょっと気だるい生活に戻るんだ。


 ほっと息をつくけど、俺の心のもやはかかったまま、なぜか晴れてくれない。俺は横からしゃしゃり出てきて、あいつの恋愛を半ば強引に終わらせてしまったのだ。


 これで、本当によかったのだろうか。

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