喧嘩のあとの気まずい空気 - 第55話

 次の日。上月とだけは顔を合わせないようにと思っていたが、


「あ」


 学校の昇降口で、ローファーを脱いでいた上月とばったり出くわしてしまった。


 いつものこいつなら、学校内で俺を見た途端に不機嫌オーラを放ってくるが、今日は口を半開きにして言葉をなくしている。


 いつになく狼狽しているのが手にとるようにわかるが、俺もきっと同じ顔をしていたんだろう。無言のまましばらく硬直してしまった。


 すると突然、後ろから肩を叩かれて、


「よっすライトっちゃん。今日もげんきぃ?」


 アホヅラ一門こと桂が暢気に登校してきやがった。


 桂の登場で、張り詰めていた糸がぷつりと途切れる。上月が急いで上履きに履き替えて、階段の方へと走り去っていく。


「あれ? 今のって上月?」


 事情を何も知らない桂が間抜けな声をあげた。


「ライトっちゃん。上月となんかあったん?」

「別に。何もねえよ」


 上月がいなくなったことにほっとして、俺も上履きに履き替える。すると桂が無意味に身体を近づけてきた。


「なんだよヅラ。気持ち悪いから触んな」

「へっへー。昨日、アニメイトに行ってきたぜぇ。愛☆ドルのフィギュアいっぱい見てきたぜぇ」


 そういえば、木田とアニメイトに行ってたんだっけな。


 俺の方は喧嘩したり、気まずい思いをしたりと大変だったっていうのに、お前は毎日幸せそうでいいよなあ。


「昨日はゲーセンに行けなかったから、今日は三人でゲーセンに行こうぜぇ。ライトっつぁんのミラクル神技、俺にまた見せてくれよぉ」

「わかった。わかったからはなれろっ。暑苦しい!」


 桂が悪ノリする勢いにまかせてキスしてきそうだったので、俺は全身の力をふりしぼって桂を押し退けた。



  * * *



 そして昼休み。俺は山野に昨日のことを謝罪した。だがこいつの返事は当然、


「ああ、昨日のことなら気にするな。俺は別に気にしていないからな」


 いつもの無表情キャラのようなターミネーター顔でさらりと言われてしまった。


 今日は普段通りに弓坂を交えた三人で昼食をとっている。俺はカツ丼を注文して、山野はBランチの焼きしゃけ定食を食べている。弓坂はカレーだ。


 山野は言い終わるとすぐに箸を動かして食事を再開させる。こいつがこういう男だというのは前々からわかっていたが、ここまであっさりとスルーされるとなんか呆れてくるな。


「お前、本当に気にしていなそうだな。少しくらいは気にしろよ」

「いや、だって昨日のはお前に否はないだろ。それに俺が怒られたわけでもないからな」


 それはそうだけど、なんかな。それでも、激怒していた俺に対してもうちょっと衝撃を受けてくれてもいいはずだが。……まあ、いいか。


「昨日のことって、なんかあったのぉ?」


 弓坂がスプーンを止めて、ほんわかした口調で聞いてくる。弓坂にはまだ何も話していなかったんだった。


「ああ。昨日、こいつを俺んちに呼んだんだよ」

「ええっ、ヤマノン、ヤガミンのおうちに行ったのぉ? いいなぁ」


 弓坂は羨ましそうに声を上げてくれるが、来たいんだったらいつでも来ていいぞ? むしろ俺からお願いしたいくらいだからな。


 けど俺から弓坂を呼ぶのは良心がはばかれるから、立候補するのはやめておこう。


 山野は茶碗から適量の白米をとって口に入れると、メガネの縁をそっと触って、


「そして、八神が上月とマジ喧嘩をしちまったと」


 一言で説明すると、弓坂の笑顔が途端に暗くなった。


「えっ。……喧嘩?」

「ああ。昨日のは、結構すごかったんじゃないか?」

「ええっ。ヤガミン、麻友ちゃんと、仲悪くなっちゃったの……?」


 弓坂はしゅんとして、スプーンを完全に止めてしまった。


 弓坂はほんとに素直なやつだな。冷徹キラーマシンみたいなどこぞのエロメガネとは大違いだ。


「あいつと喧嘩するのはいつものことだからな。心配しなくても別にだいじょうぶだ」

「でも、でもぉ、仲直りができなかったらぁ、大変だよぅ。早く、麻友ちゃんに謝らなきゃっ」

「それはダメだ」


 俺が断固として拒否すると、「なんでぇ?」と弓坂が涙目で返す。


「今回は、俺は何も悪くないからな。だから、あいつが謝ってくるまで、俺はあいつを許すつもりはない」

「でもぉ、麻友ちゃんも謝らなかったら、仲直りできないまま、絶交になっちゃうんだよ? そんなの、あたしは嫌だよぅ」


 弓坂の純粋無垢な言葉に胸が塞がるような思いだが、それでも気持ちを曲げることはできない。ここで俺から謝ったら、けじめがつかなくなってしまうんだから。


「まあ、そう怒るな。上月も昨日はだいぶ反省していたようだからな」


 やがて見かねたように山野が言ったが、そんな弁護を受け入れるつもりはないぞ。


「当たり前だろ。あんだけむかつくことをしておいて、逆切れなんてしてたらそれこそ絶交もんだ」

「まあ、そうだな。だが、あいつも根は真面目だから、そのうちに観念して謝りに来るだろ」


 どうだかな。俺が知るかぎり、あいつの性根はかなり捻じ曲がってるぞ。曲げまくった針金みたいにな。


「昨日の今日だから、お前もあいつも謝る気持ちにはなれないだろうが、時間が経てば気持ちも変わってくるだろ。だから、お前も少しはあいつを許してやれ」


 ち、なんで俺が許してやらねえといけないんだよ。俺は許さねえって言ってるだろ。


 しかし弓坂の前で意地を張っていたら、聞き分けの悪い子供みたいでかっこ悪いから、だまってうなずいておく。すると弓坂が「よかったぁ」と遅口で安堵した。

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