山野の過去 - 第52話

 学校の昇降口を出て、山野と珍しくふたりで帰路に着く。


 四月は妹原をゲットするために、毎日のように山野と道草して、途中のファミレスとかで恋愛相談をしてたけど、ゴールデンウィークを明けた頃からその数はめっきりと減ってしまった。


 さらに、さっきこそこそと話をしていた後ろめたさもあるから、となりを歩く山野の無表情面が、いつになく怖い。


 本当は気づいているけど、あえて触れないように澄ましているだけなんじゃないか?


 山野は女子の気持ちを自在に察知できるほどの気配りの達人だ。だから、それとなく俺に気配りしている可能性は大いにあるよな。


 ダメだ。罪悪感にさいなまれたままの、この無言の空気は耐えられない。もう山野に軽蔑されてもいいから、すっぱりと白状しちまおう。


「お前、中学んときにバスケやってたのか?」


 校門を出たあたりで恐る恐る尋ねると、山野のメガネのレンズがキラリと光った。――ような気がした。


「だれに聞いたんだ?」


 山野の言葉は冷然としているが、表情は一切変化がない。


「あ……っと、あいつだ。山田だ」

「山田?」

「そうだ。いるだろ? C組の。お前の同中だったやつ」


 山田というのは桂の友達だ。俺は直接会ったことがないが、桂が「この前山田がさー」と会話する度に言っているのを聞いていたから、とっさに名前が浮かんだのだ。


 山野はそれで納得したのか、俺から視線を外してくれた。


「バスケを辞めたのは、美容師になるためか?」

「そうだが。……おかしいか?」

「いや、おかしくはないけど。うまかったのに、勿体ねえなって思って」


 一番気になっているのは、前に付き合ってた彼女の件だけどな。でもそれは、さすがに怖くて切り出せない。


 校門を出て川沿いの通学路に入ると、山野は静かに嘆息した。


「バスケも捨てがたかったが、俺の実力じゃ将来的にバスケの選手になんてなれないからな。だから、別に勿体なくはない」

「そうなのか? でもバスケが好きで中学んときはバスケ部にいたんだろ? うちでまたバスケやりたいとは思わないのか?」

「バスケをやりたくないと言えば嘘になるが、それよりも将来の夢を叶える方が大事だろ。スポーツなんて所詮、高校までしかやらないんだからな」


 山野は呆れたように言い返すと、それ以降は口を噤んでしまった。


 俺は運動神経がよくないから、スポーツにはまず縁がない。だから野球のルールだって全然知らないし、サッカーの試合を上月みたいに視聴する気にもならない。


 そんな俺だから、運動部にかつて所属していた山野の今の気持ちは、正直に言うとよくわからない。


 でも、もし昔からバスケットボールをやっていたのだとしたら、そんな簡単に辞めようとは思わないんじゃないか?


 がんばって練習して、苦労してレギュラーを勝ち取ったりしてるんだったら、辞めてからも未練はかなり残るんじゃないかと思う。


 それなのに、山野にしても、上月にしても、どうしてこんな簡単に部活を辞めてしまうんだろうか。ふたりともすごく運動神経がいいのに、本当に勿体ないよな。



  * * *



 駅でいつもの私鉄に乗って、十分少々で自宅のマンションに到着する。


 けど俺んちのマンションを見上げた山野は、予想と大分反していたのか、


「お前って、こんないいところに住んでたのか?」


 肩にかけた鞄がするりと落ちそうなくらいに驚いた。


 駅前のきれいな新築マンションで、学生がひとりで住むようなところじゃないからな。驚くのも無理はない。


「てっきり、安いおんぼろアパートに住んでるのとばかり思っていたが、驚いたな」


 おんぼろアパートって、俺は売れない漫画家か。


「まあ、買ったのは俺じゃないけどな」

「そういえば、お前んちは分譲マンションだって言ってたな。そうすると、買ったのは……」


 言葉をつづけた山野が、俺の顔を見て言い淀んだ。きっと俺の顔がかなり強張っていたのだろう。


 お互い嫌な過去があるというか、触れられたくない何かを抱えてるんだな。そんな共通点が、こいつとなんとなく馬が合う理由につながっているのかもしれない。


 郵便ポストのいらないチラシを適当に引き抜いて、オートロックの自動ドアを開ける。エレベーターの上向きのボタンを押して待っていると、


「たしか上月が近くに住んでるって言ってたが、あいつもこのマンションに住んでるのか?」


 山野がまた聞いてきた。


「そうだよ。あいつんちは六階で、俺んちは七階だ」

「だから簡単に行き来ができるのか」


 山野は腕組みして、静かに首肯していた。


 家に着いて、山野を適当にリビングへと通す。そこでも山野は心底意外そうに驚いて、


「案外片付いているな」


 褒めてくれるのはいいが、案外は余計じゃないか?


 俺は冷蔵庫からウーロン茶のペットボトルを出して、食器棚から出したふたつのコップにウーロン茶を注ぐ。


 リビングのソファに腰を降ろしている山野にコップのひとつをわたした。


「掃除するのは嫌いだけど、散らかしてるとあいつがうるさいんだよ」

「あいつって、上月のことか?」

「そうだよ。やれ足の踏み場がないだの、やれこんなんじゃ彼女ができないだのってな。うるせえってなんの」

「それは難儀するな」

「だろ? こっちはひとりで悠々自適な生活を送りたいっていうのに、あいつがいるからのんびりアニメも観ていられないぜ」

「お前はアニメ好きだよな。俺には何が面白いのか、理解しかねるが」


 ほっとけ。アニメとゲームは、三度の飯よりも欠かせられない俺の栄養源ともいうべき趣味だ。こればかりは、上月になんと言われようと辞めるつもりはないぞ。


「まあ、趣味があるのはいいことだ。アニメを観るのもほどほどにしておけば毒にはならないからな」


 その後で山野が半ば呆れ口調で言った。

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