第2話 タイブレークは攻撃だけでなく守備にも気を遣うべし。

 僕、安元歩やすもとあゆむという個人よりも。

 私立 雑賀さいが北陵という丘陵の高校よりも。

 まずは雨坂小晴あまさかこはる

 僕はあめあがりさんの生態を伝えなければならない。

 誓って言う。

 僕が規制法の網にかかるようなことをしているわけではなく。

 噂を含め、その情報量が膨大で取捨選択に迫られるほどであるということを。


 人の目に雨坂ありと行動力と範囲の広さは雑高さいこうではおなじみの光景なんだ。

 僕が雑高に入学して二週間。

 その中でも僕が断続的に遭遇した雨坂先輩の一例を紹介しよう。

 まあ今朝の話なのだけれど。


 今日も電車に揺られること一時間。

 降り立った駅は小規模ながらも利用客の多いターミナル駅。

 深緑のケヤキの木の下を、通勤通学の人々が重たそうな脚を交錯させる傍らで。

 雨坂先輩はひとり、バスロータリーの脇にて街頭演説を行っていた。


 先輩はこれを毎朝やる。

 暇そうなおじさん達の物珍しい目線と声援を受けながら、ハンズフリーの拡声器を用いて野球、ことに高校野球の規則について政治家のように声を張りあげていた。


『旧態依然のグラウンドルールにサフラジェット!女子部員にも夢の甲子園への挑戦権を!』


 いつもながら凄まじい熱量で近寄れない。

 太陽熱と言っても過言ではないほど先輩の主張は熾烈を極めている。

 傾聴するべきか否か。

 僕の最近の悩みはここから始まる。

 でも先輩みたいに注目を集めることに慣れてもいない。


 揺れに揺れて結局僕は。

 演説に夢中の雨坂先輩の前をコンマ一秒でも長く、かわいらしい小顔を記憶に焼きつけながら人の流れに逆らわない選択をとった。

 今日も美人で凛々しい、ああ後光がさしているようだ。


 そして通り過ぎた頃には小さくガッツポーズをしている男の悲しき性。

 二週間で得た淡い喜びは同時に切なさと後悔の蓄積でもあったけれども、背中に生えた上機嫌な翼で今日も吹き飛ばしてやるんだ。

 だってチャンスはまだある。


 そう、これで終わりではない。

 雨坂先輩は空間移動術にでも長けているのかまさに神出鬼没。

 僕が駅から二十分をかけて雑高の正門に到着した頃、なんと既にビラ配りに勤しんでいるのだ。


 黄色いパーカーに生徒会の腕章を身につけ、生徒ひとりひとりの制服ポケットに、有無を言わさずビラをねじ込むねじ込む。

 同じ一年と思われる生徒は挙動不審になりながら、上級生と思われる生徒はごく当たり前な顔でポケットに入れられていて気にもとめない。

 すごいのは女子生徒同士の会話を妨げないよう、隙あらば入れ去っていくその投函術。


 そして、今日もいつの間にか入っていたねと笑い合っているのを見ると、一見して強引に思えるその行為もおよその時間と労苦をかけたのだろう、雑高生徒からは許され認められたパフォーマンスなんだと感動すら覚える。


 僕はおもむろにポケットを探った。

 …しまった。

 今朝は気配なく入れられていた。

 通算で十枚目の生徒会メンバー募集のチラシが。

 遠のくように失せていく甘ったるい匂いの置き土産、雨坂先輩の姿は遥か先。


 痛恨の極みにも関わらず、高鳴っていく胸の鼓動。

 ほんの少しだけでも前進させたかった。

 移り気な僕にサフラジェット!

 語感がいいという理由で先輩のマネをしてみたけれど、誤用だと思うから後で意味を調べておこう。


 ああ…脈よもういい、頼むから正常に戻っておくれ。

 嬉しいのやら情けないのやら、もやもやのまま教室に入ると、今度は目の覚めるような校内放送がハウリングと共に僕の鼓膜を刺激するんだ。


『おはようございます。本日も春の陽気に相応しい快晴とあって、清々しい気持ちで登校してきたことだと思います。さて静養中であります雨坂校長の本日の言伝は、タイブレークは攻撃だけでなく守備にも気を遣うべし。とのことです。思うに、備えは臆することなく…』


 恐らく。

 昨日やっていた野球世界一を決める国際試合の感想かと。

 僕は野球のことは詳しくないが、野球による喩えはわかりにくいことだけはよく知っている。


 演説の熱の入った声とは真逆の、透き通ったソプラノ調の声質、聞き取りやすくすんなりと頭に入ってくる滑舌の良さ。

 そんな声で僕は名前を呼ばれてみたい。

 とびきり笑顔で、いやハニカミながら、いやいやここはモジモジしながらのほうが。

 そしてポニテが解かれて絹のように垂れる髪、露わになっていく紅潮した肌に潤う瞳。

 先輩が眼鏡を外した時。

 僕は我慢できず、飛びついた。

 ベッドの上、小刻みに乱れた息が僕の顔にあたり目と目が合う。

 先輩はゆっくりと目を閉じ、薄い唇を突き出した。

 僕はその唇に愛を重ねる!

 としようとした時、後頭部に強烈な痛みが走った。


「痛っ!」


 現実に引き戻された僕は患部を押さえつつ、涙目で見上げると。

 大柄の坊主頭が無愛想に見下ろしていた。

「朝っぱらから何ニヤニヤしてんだ、

 しまった妄想が顔に出てた!恥ずかしい!

 僕は耳が熱くなるのを感じながら身振り手振りの釈明に走る。


「これはそのあのええと…そう!昨日視聴したネットラジオをふと思い出してついニヤニヤしてしまったんだ、知らない?ヤリたい砲台っていう芸人と声優が台本無しのコントだけをする三十分番組なんだけど」

「るせーそんなもん知らん。はよ」

 なんたる無知の仏頂面だ、この番組腹がよじれるほど面白いんだぞ。

 でも難は逃れたようだ。

 僕はちょっとだけ安堵のため息を漏らした。

 というか人をで呼ぶのはやめて欲しい。


「まあ高校球児の君が言うんだから、相当だらしなく見えたのだろうね気をつけるよ。おはよう弓削ゆげ君」

 弓削君は僕の後ろの席。

 前後同士とあって一番初めに仲良くなったんだ。

 彼は後頭部をかっ飛ばした補助食用の弁当袋を机に置くと、体格の良い身体に不釣り合いな椅子に腰掛けた。


 まあ見ての通りややぶっきらぼうで粗暴な男ではあるけど、誰もやりたがらないような学級委員長を自薦した彼であるから結構頼りがいのある男なのかもしれない。

 その弓削君は朝練がきつかったのか机上に伏せている。

 僕は五厘刈りの頭頂部に目立つほくろをのぞき込みながら。


「練習がハードだったようだね」

「シートノックで先輩方がミス連発して監督カンカンに怒っちまってよ。んで何故か俺ら一年が罰として十キロを全力で走らされた。後輩を思いやる気持ちがあるならミスするなってさ」

 と伏せたまま野太い声で答えた。


「うわぁ。なんて理不尽な」

「ああ。まあでもそのくらいは耐えられる体力をつけないと夏は乗り切れない。その準備の仕方を監督が教えてくれたと俺は解釈する。でないとやってられん」


「ストイックだ。僕なら逃げちゃうよ」

「逃げることは恥じゃないが、逃げる前提で物事に取り組むのは恥だ。俺はとりあえず闘うし腹減った何か食いものよこせこのエロ暇人」


「弓削君…君は聖人なんだか悪党なんだか」

 とか呆れた物言いながらも僕は、労いも込めて持参したチョココロネをちぎっては、後頭部に乗せておいた。

 臥人の彼はそれをウツボのように掴みとり、あっという間に平らげて僕を驚かせる。


「そういえばよ」

 食べきった弓削君は何かを思い出したように言うと、やんわりとスピーカー方向に人差し指を向けた。

「今熱弁こいてるあめあがりさんとはあの後どうなったんだ」

 実はまだ雨坂先輩のスピーチは続いていた。


 僕は透明感のある声に意識を傾けると、平成の三種の神器は三回ほど入れ替えがありこれからも加速度的に入れ替え回数が増すといったことを話していた。

 このようなトリビアを踏まえたスピーチを登校時間一分前までやる、それが先輩の朝礼もどきの毎日。


「あの後も進展なしだよ。今日も見てるだけだった」

 と諦めを匂わせて答えた。

 特段に弓削君の反応はなかったけれど、残念そうではあった。

「お前、エロガッパだからな」

 なんだよその結論!

 断固の抗議をしようとした時だった。

 それはスピーカーから聞こえてきて僕を直立不動にさせた。


『安元歩。一年G組の安元歩。放課後、体育教官室の人生相談コーナーまで来るように。繰り返す。一年G組安元歩、放課後体育教官室のわたしが開設した人生相談コーナーまで来るように。貴様の黒歴史をバラされたくなくば素直に来訪せよ。時間だ、本日のわたしのことばは以上だ。諸君らの高校生活に花束を。ごきげんよう』


 僕は卒倒した。


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