放課後オストラシス

とよきち

第1話 クエストは突然に



 まるで勇者の剣のように、流木がオレンジ色の砂浜に突き立っていた。

 今にも沈もうとする夕暮れが海面に彩りを与え、色を帯びた波が穏やかに押しては引いてを繰り返す。揺りかごのような心地良い音色を作りあげる。子供たちの仕業だろう、小さな砂の城が波打ち際に建てられ、赤いボールが風に転がされていた。

 そんな放課後の砂浜に、僕たちは集まった。

 四人で正四角形を作るように並び、中央を基点に向かい合うようにして立っている。そして全員が自分の手の中にあるものを見つめていた。

 それぞれの手には、一枚の貝殻。

 潮風に制服のスカートが揺れる。夕日を背にした『彼女』が朗らかに言った。

「それじゃ、『オストラシス』を始めましょうか」

 逆光で見えないが、恐らくいつもの屈託のない笑みを浮かべながら。

 彼女は周りを見回してから穏やかに続ける。

「平和を脅かす魔王は、どこかへ追い払わなきゃいけないもの。あたしたちの部の平穏は、保たれなければならないの」

 絶対に、と。

 砂の城が波によって脆くも崩れ去る。赤いボールは海に引きずりこまれて孤独に漂っていた。突き立った流木の細く長い歪な影が、わずかに伸びる。

 平穏を乱す者は誰か?

 悪いのは誰か?

 魔王は誰か?

 それを決定するために、彼女は静かに告げる。 


「だから追放しましょう、魔王を。この中の――誰か一人を」














      一



 春日井美玉(かすがいみたま)は、価値なきものに価値を見いだす人間だった。

 捨てられた空のペットボトル、砂浜のシーグラス、打ち上げられた浮き袋。

 近くの海辺から拾ってきては僕たちの部室に持ちこんで、遊び道具や観賞用のオブジェにして自分色の空間を創り上げていた。まるで烏が拾ってきたハンガーで巣を作るように。

 おかげで、部室はガラクタで溢れかえるいう有様だった。

 ――しかしそれは、半年も前の話。

 僕は洗面所の冷えた水で顔を洗う。瞼の内側が刺激されて目の奥が引き締まる。用意していた白いハンドタオルで顔を拭って鏡に向かい、少し跳ねた黒髪を軽く直した。

 睨むような切れ長の瞳、細い眉。口元は真一文字を通り越してへの字に曲がっている。眼鏡をかければいつも通りの空木円樹(うつぎえんじゅ)の顔がそこにあった。仏頂面とよく言われるが、特に不機嫌だからというわけではない。これが素なのだ。

 だから一年前のあの時の夢を見て、『彼女』のことを思い出したからこんな顔をしているわけでもない。……と、思いたい。一つため息をつき、僕は洗面所を後にする。

 居間に戻って時計を確認すると、時刻はすでに午前九時を回っていた。

「……不覚だ」

 うかつにも寝過ごしてしまった。

 昨夜寝る前に読んでいたミステリー本が原因なのは明白。『凶器は……洗濯ばさみ!?』というキャッチフレーズにまんまと引っかかり気づけば購入、読み始めて止まらなくなり、そのまま深夜まで読みふけて今に至る。幸いにして今日は休日なので、たいして問題はないのだが。

 居間の窓を開けると微風が頬を撫で、微かな潮の香りがせせこましい六畳部屋に満ちた。白いレースのカーテンがゆるやかに揺れる。

 簡単に朝食をとりつつニュースを眺めながら、今日の予定をぼんやりと思い浮かべる。といってもすることはあまりない。半年前はそうでもなかったが、今は生活に覇気がない。張りがない。怠惰ここに極まれり、だった。

 しかし幸いにも今日は待望していたミステリ本の発売日だ。日常における希少な潤いだ。早々に着替えて書店へ行き、今日もまたゆっくり読書にふけるとしよう。

 ……と、思っていたのだが。

 その矢先、ガシャン、と玄関のポストに何かが入れられる音がした。

 変な勧誘のビラなら握り潰してゴミ箱へ直行だ。ああいった無意味で無価値なものは嫌悪する僕だったが、玄関へ移動し、ポストの中を確認すると。

「……なんだ、これは」

 厚めの茶封筒だった。A4サイズほどの。

 表にはご丁寧にここの住所と僕の名前が書いてある印刷物が張ってあり、裏を返しても送り主の情報は特にない。中身は何かプラスチックのようなものが入っているのか、封筒越しに硬い感触が伝わってくる。全体的に謎だった。

 開けて中身を取り出してみると……ゲームソフトの、ディスクケース?

「なぜこんなものが……」

 しかし『クロノファンタジー』と題されたそのゲームソフトには、見覚えがあった。というより、もともとは自分のものだ。人に貸したものが返ってきた。それもこんな形で。怪訝に思ったが不可思議な点はもう一つある。

 封筒の、奥底。隅に挟まるようにして何か小さなものが入っていた。逆さにして取り出してみると、それもまた見覚えがあるものだった。

 手の平に乗ったそれは、薄ピンク色の一枚の貝殻。

 ひっくり返すとその貝殻の裏側に、送り主の名前が書いてあった。

『春日井美玉』――と。



『クロノファンタジー』は王道的なRPGだ。

 白馬に乗った剣士と、可憐な法術士の少女のイラストがパッケージに描かれている。

『過去と未来を紡ぐRPG』と緑色のフォントであるように、内容は過去や未来を時間転移しながら魔王を追いかけ打倒するストーリーだった。バトルシステムやストーリーの完成度が高く、発売当初から人気があった。当時は中学生だった僕もまた柄になく熱中した記憶がある。

 ふとプラスチック製のケースを開けてみると、はらりと一枚の紙切れが落ちた。

 大きさは手の平ほど。少し暗かったので僕は玄関の照明をつけ、紙を拾い上げる。何やら鉛筆でびっしりと書きこまれていた。


『北の方角→死の予兆』

『南の方角→生命の息吹』

『西の方角→水の乙女』

『東の方角→悪戯な風』


 等々。

 難解な暗号のようにも見えるが、何のことはない。ゲーム内に出される謎解きの際にメモしたものだろう。ゲームでこういった暗号が出てきた場合は僕もそうしていた。

 そしてその真ん中に、一際強い筆力で書いたであろう一文があった。

 ――目指せ! エルドランド!

 鉛筆でその周りを何重にも円を描いているほどの強調ぶりだ。思わずため息が零れる。

「……エルドランド、か」

 懐かしい響きだ。

 本編クリア後に特別な(そして七面倒くさい)手順を踏まなければ行くことができない島である。しかしネットで事前にその内容を知っていた僕には労力に見合うだけの価値があるとは思えず、現在も未踏のままだ。大多数のプレイヤーもそうだったらしい。

 しかしそこは変わり者の美玉先輩である。あの人は一時期、暇さえあればやっていた。というより部活動の時間のほとんどをゲームで浪費していた。あまつさえ、一人では倒せないボスが来たとなると部員を招集して加勢させるほどだ。ちなみに部長である。

 出し物の準備をしなければならない文化祭の前日でも彼女はゲームを優先する始末。身勝手が過ぎる部長だった。

 だから、僕はあの時――

「……ん?」

 苦々しい記憶が浮かび上がろうとした直後、それに気づいた。

 ケースの中身。

 説明書は傷まずに綺麗なままだったが(というより、彼女の性格からしてそんなものは読まないだろうが)、反対側に収められているディスクに違和感を覚えた。よく見ると『クロノファンタジー』ではなく、『エターナルエンドレス』のディスク1と書かれている。

 端的にいえば、入っているソフトが違うのだ。

「……こういうところは相変わらずか」

 この現象の原因は容易に想像がついた。取り出したディスクを一時的に別のケースに入れて置いて、そのまま忘れてしまったのだろう。あのルーズすぎる彼女がいかにもやりそうな事だ。

「まったく、仕方のない……」

 面倒なこと極まりないが、僕は今日の予定を変更せざるをえなくなった。

 半年前はいつだってそうだった。春日井美玉に振り回され、予期せぬ方向にずっと転がされていた。そして半年後の今でさえそれは変わらないらしい。彼女が今、どこで何をやっているのかは知らないが。

 とりあえず、今日はまずこのディスクを持ち主のところへ返しに行かなければならない。見当はついているので単純なクエストではあるが、持ち主が持ち主なだけに酷く憂鬱な気分になる。すぐに済ませてその足で本屋へ向かうとしよう。

 ……だがこの時、僕は失念していた。

 ゲーム内での単純なクエストは、時に大事件にまで発展するということを。




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