方法55-3︰最後くらいは活躍しましょう
エントランスホールに戻ると、ロムスが言った。
「時間は足りたか?」
「はい」
「それで、どうなった?」
「えっとですね」
ワタシはロムスとハイムの後ろに立つガブリエルを見た。
ガブリエルはさっきから話してるあいだ、ずっと暖かな笑みを浮かべていた。ワタシが人間だからか、その顔を見ると心が落ち着き、緊張がほぐれる。それにポジティブな気分になれた。怪しげなクスリや自己啓発なんかより効果がある。さすが大天使。
「じゃあガブリエルさん。ヘゲちゃんを取り押さえてください」
ワタシが言い終わらないうちに、ガブリエルの姿が消えた。隣を見るとガブリエルはヘゲちゃんを後ろから柔らかく抱きしめてた。
それだけでもう、ヘゲちゃんは体が自由に動かせなくなり、喋ることもできなくなったみたいだ。
ただ目だけは動かせるようで、ワタシのことを見てる。
「これからちょっとヘゲちゃんに個人的な話をするんで、終わるまで待っててくれませんか?」
ロムスとハイムは戸惑いながら、ガブリエルは励ますようにうなずく。
驚き、不安、怒り、混乱。いろんなものの混ざったヘゲちゃんの目をワタシはまっすぐ見つめた。
「ルシファーに捕まってるときに、さ。もし死ぬんだとしても最後に一度、ヘゲちゃんに会いたいと思ったんだよね。あと、笑顔が見たいなあ、とか。もっと自分の気持ちをハッキリ伝えとけばよかった、とかもね。だからベルトラさんとサロエのおっぱい諦めるんなら、あのとき思った心残りってもう、全部解消されちゃってるんだよ。今はまた別の心残りがあるけど、ヘゲちゃんの気持ちが確かめられたから充分ってことにしとく」
ヘゲちゃんにもワタシのやろうとしてることが解ったみたい。ワタシを見る目から涙が流れだした。
ワタシはヘゲちゃんから目をそらすと、ロムスに言った。
「あ、終わりました。もういいですよ」
わざとサッパリした声を出す。
「なんなんだ、今の?」
「だから個人的な話ですって。それより、本題です。最初にひととおり話しますから、最後まで黙って聞きててください。……まず最初に言っちゃうと、ワタシ本当は人間なんです」
ルシファーたちが本当は何をやろうとしてたのか。何をやってきたのか。ワタシは知ってるだけのことを全部話した。
ワタシの魂が特別だってことや召喚術式、人界でのこと。コンテナごと地獄に隠されてる悪魔たちのことや、どうやってサタンを復活させようとしてたかってことも。
最初にヘゲちゃんを抑えてもらってなかったら、たぶん邪魔されて最後まで話せなかったと思う。
「どうやって知ったかっていうと、自分たちで突き止めた部分もありますし、ルシファーたち、ワタシ捕まえてから最終調整だかが終わるの待つあいだ、暇つぶしなのかけっこうベラベラ喋ってくれたんで。これが真相。ワタシの知ってること全部です」
ワタシが話し終えると、なぜかロムスが近づいてきた。通り過ぎそうになって、ピシャッとおしりを叩かれた。
ロムスはそのままUターンしてハイムの隣に戻る。ロムスを見るハイムの目がやけに冷たかった。
「アガネア。そいつは間違いだ」
「は?」
おしり叩かれたし、いったいどういうこと!? っていうか自分がやられてみると、ナチュラルにセクハラだよね、これ。
「その説明の前に、その話がすべて本当なら、なんで話してくれたんだ? ガブリエル様を見て悔い改めたか? 天国にでも行きたいのか? 生き返りたいのか?」
ワタシは気を引き締めた。これから話すことが一番重要なんだから。
「ワタシが百頭宮へ来たのは、ワタシや百頭宮の意志じゃありません。百頭宮がワタシを保護して隠してたのは、自分たちの破滅を避けるため。それ以外の意図はありません。それに事故で魂を流出させたのだって、元はといえばルシファーたちがワタシをさらったせいです。それがなければあんなことにはなりませんでした」
「つまり、百頭宮はお咎めナシにしろ。そういうことか?」
「そうです。約束してくれるなら、ワタシを連れてくなりなんなりしてください」
ロムスはガブリエルを見た。ワタシもそっちを見たかったけど、そうするとヘゲちゃんも視界に入る。そうなったらもう、ワタシはまともに話せなくなるだろう。
ロムスはワタシに視線を戻した。
「おまえが人間だって話。俺にはどうも本当だって思えないんだよな。だって魂が見えないから。ハイムはどうだ?」
「え? 私ですか? 私にも見えません。それに魂があるって証明するようなものは何も……。人間臭もありませんし」
「だからそれはツノと薬が!」
「そもそもあんた、悪魔を誘惑して油断させるために人間っぽく造られたんだろ? なら臭いを人間に合わせるくらいするだろう。それにそのツノ、抜いたらあんた魂がズタズタになって死ぬって言ったじゃないか。もし無理に抜いても、それじゃ魂かどうか判らないかもしれない」
ロムスは両手の指をバラバラに動かした。
「それにそんなに融合してるなら、原形留めないくらい変容してるかもしれないじゃないか。それでもあんたの言ったとおりだとしよう。ハイム、ここまでの話聞いて、コイツのことどう思う?」
「なんで私に答えさせるんですか? たまには自分で考えてください」
ロムスはあちゃーって感じで額に手を当てた。
「おいおいおい。俺は今、普通の天使の普通の感覚に根ざした、普通の意見が聞きたいんだよ」
「それならそう言ってください。たしかにロムシエルさんの意見は非常識ですからね。……そうですね。ハッキリ言っておぞましいです。悪魔のふりして魔界で平然と暮らしてるなんて。もしアガネアが生物として人間だったとしても……人間と呼ぶには値しません」
本人前にしてずいぶんヒドい言いようだ。ゾクゾクするなあ!
「ってなわけで、俺らにはあんたが悪魔みたいに見える。少なくとも人間だとは思えない。つまり連れてく理由なんてない。他の話についちゃ、地獄の中を調べればだいたい裏は取れそうだな。ルシファーたちは……ま、おおかた地獄にでも逃げ込んだんだろ」
「ロムシエルさん!」
ハイムが驚いて怒鳴った。
「いくらなんでも、それはヒドすぎです! 連れ帰って調べれば人間だって証拠が出てくるかもしれませんし、人間以下のケダモノみたいなヤツでも、罪人なら魂は地獄のふさわしい場所に送るべきです!」
ロムスは呆れたように頭を振った。
「おまえな。そんなんだからダメなんだ。空を見たろ? そこらじゅう魂でいっぱいだ。いまさら魂の一つや二つにそんな手間かけてる場合じゃないんだよ」
「そんな! ガブリエル様も何か言ってやってください」
ワタシの隣から落ち着いて、暖かく諭すような声がした。
「ハイムエル。たしかにロムシエルの話には一理あります。今この場でアガネアを人間だとすることは無理です。あなたの言ってくれたように、連れ帰って調べれば明らかになるかもしれません。ですが今は“罪人の魂は死後、最後の審判のその時まで地獄で責め苦を受ける”という大原則が破られている非常事態。残念ながら一つの魂にあまり手をかけている場合ではないのです」
ガブリエルからも味方してもらえず、うなだれるハイム。ヘゲちゃんの目の前だけど、抱きしめて慰めてあげたくなる。それで弱った心につけこみたい。
「おいおいそんなに落ち込むことないだろ。おまえみたいに真面目で平凡で、そのくせ俺に付き合いきれる天使なんてそうそういないんだ。それに時々、俺が引くほど暴走するしな。もっと自信持てよ」
それって励ましになるんだろうか……。
それにしても、まさか見逃してもらえるなんて。話しはじめたときは絶対にこれで魔界とはお別れ。ワタシの人生終わりだと思ってたのに。
って、あれ? ワタシを連れてかないってことは取引成立しないんじゃあ……。
「あの……そうなると取引は……?」
「ふん? あー。不成立だな。そもそもお前の身柄じゃ百頭宮の無罪放免との取引材料にはならないだろ」
血の気が引く。力が抜けてワタシは床にへたり込んだ。
「ガブリエル様、なんかあります?」
そんなワタシを見て、ロムスが尋ねた。
「アガネア。こちらを見なさい」
言われるがままワタシはガブリエルを見る。自然と、まだ涙を流し続けるヘゲちゃんが目に入った。目は真っ赤だし顔はむくんできてるし、胸元もびしょ濡れだしヒドい有様だ。
ガブリエルはヘゲちゃんに回してた腕をほどくと肩に手を起き、自分の方を向かせた。まだヘゲちゃんは動けない。
「ティルティアオラノーレ=ヘゲネンシス。あなたは自分たちの存続のため、ルシファーたちにアガネアを引き渡すという選択肢があることに気づいていましたね? それでいて、あらゆるリスクを犯してただひとりの仲間を助けに来た。それは悪魔にしては奇跡的なほど気高い行為です」
そしてガブリエルはワタシを見た。
「アガネア。あなたはすべてを正直に話すことで戦争を回避しようとしました。私たちは悪魔が天界に背くのであれば容赦はしません。ですがそうでないならば、これ程の事態であってもいたずらに戦いたいとは思っていないのです」
ガブリエルはワタシに微笑み、続けた。
「そしてあなたは自分を差し出すことで、百頭宮と仲間たちを助けようとした。それもまた、気高い行為です。あなたが人間であったとしても。──二人の気高い行為に免じて、百頭宮およびアガネアとその仲間たちは今回の一連の件に関していっさい罪に問わないこととします。天使長首座である私、ガブリエルの名において」
ガブリエルはそこで言葉を切ると、上を見た。まるで天井を透かして、空を見てるようだった。
それからまた、ワタシたちの方を向く。
「たいたい、あなたたちを罰したところでこの事態がどうにかなるわけでもないですしね」
そう言うとガブリエルはそれまでのおごそかな表情を崩し、親しみやすく茶目っ気たっぷりな顔でワタシにウインクした。
ガブリエルたちは去りぎわにヘゲちゃんを眠らせていった。悪魔たちがそれどころじゃないうちに他の天使連れて帰って今後の対応を検討するんだとか。
そんなワケでワタシは今、ヘゲちゃんを膝枕してる。
ヘゲちゃんの顔には涙の跡がスジになってる。まぶた腫れてるし顔全体がむくんでるから、ワタシが見た中で一番ブサい顔だ。
こういうときってキレイで安らかな寝顔見て“悪魔だけど寝顔は天使だなあ”とか思ったり、穏やかな満足感に浸ったりするもんなんじゃないの? どうなってんだ。
しかも悪夢でも見てるのかときどき眉間にシワ寄せてうなされてるし、キリキリ歯ぎしりもしてる。……まあ、ヨダレ垂らしてないだけマシだと思おう。
「アガネア! 食べちゃダメよ! それは犬のフ……」
あ、起きた。最低だな。
「アガ、ネア?」
「おはよう」
ヘゲちゃんはボンヤリした顔で額に腕を乗せる。
「ガブリエルたちは?」
「帰った。他の天使連れて天界に戻るって」
「そう……」
ヘゲちゃんはふぅっと息を吐く。
「怒ってる?」
「何を?」
「いや、ワタシがやったこと」
ヘゲちゃんはよく見ると判るくらいに小さく、片方の口の端を上げた。ヘゲちゃん標準の笑顔だ。
「結果的に丸く収まったんだから、怒ってないわ。いきなり取り押さえられたときはブッ殺してやろうかと思ったけど、事前にやろうとしてることムリに聞き出そうとしてなくて正解だったわ。あなたを信じて好きにさせてあげた私の判断力の勝利、というところかしらね。まあ、無意味な交渉条件持ち出したときは責任取って死ねと思ったけど」
なんでそんなに殺意に満ちてるん?
「なんだかんだでまた、あなたに助けられたわね。社長賞くれるよう、アシェト様に推薦しておくわ」
「んー。そんなものより、こっちの方がいいかな」
ワタシは膝枕したまま体を倒すとヘゲちゃんにキスしようとした。
……うん。あのね? 位置が悪かったみたいで唇に届かない。
ヘゲちゃんは呆れたようにため息をつくと、ワタシの脇腹に軽く触れた。だけだったんだけどワタシの体は勢い良く回転し、気づけばヘゲちゃんの腰のあたりで馬乗りになってた。
それから少しして。さあ服でも脱がそうかなー、どうしようかなーとか思ってるといきなり玄関のドアが開いて、全裸で傷だらけのアシェトが入ってきた。傷だらけどころか左腕なんかは根元からなくなってる。
ビックリして固まるワタシたち。
「おっ? 悪ぃ。邪魔しちまったな。私は執務室にいるから、気にせず続けてくれ。おわったらちゃんと二人で報告に来るんだぞ。つっても今からやることの報告じゃねぇからな。私が部屋出た後のことだぞ」
なにが悲しくてヘゲちゃんとの情事をアシェトに報告せにゃならんのか。
ヘゲちゃんはさりげなくワタシを押しのけると立ち上がった。ワタシも立つ。
「アシェト様、そのお姿は?」
「ああ、これか」
アシェトが軽く力むと、左腕がズボッと生えてきた。
「ルシファーのやつ殺そうとしたんだけどな。逃げられた。もしかしたらポケットディメンションに閉じ込められてっかもしれねぇけどな」
どうやらそこが死闘の舞台だったらしい。ワタシたちは顔を見合わせる。もう続きをしようって雰囲気じゃない。
「アシェト様、ご一緒します」
「じゃ、ワタシはシャワー浴びて着替えよっかな。そのあと食堂で合流ってことでどう? さすがに水分採ってなんか食べたい。上下水道はたしか魔導具とか魔法絡みなんだよね?」
「ええ。あなたから変換した魔力はまだ残ってるから、機能するわ。じゃあ私もシャワー浴びようかしら。なんだかガブリエルに触られたところがヒリヒリするのよね。天使汁でも分泌してたんじゃないかしら、あいつ」
マジですか!? そうなると話は違ってくる。
「じゃあアシェトさん。1時間後か2時間後か、とにかくそのうちヘゲちゃんが声かけると思うんで、そしたら食堂に来てください」
「おう。そうしろそうしろ」
そしてワタシたちはどちらからともなく手をつなぐと、ゆっくり歩きだした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます