番外21-9︰エンド・オブ・ヘゲちゃんの憂鬱
何が起こったのかは解った。アガネアは強い力で外へ射出されたのだ。壁はおそらく、まやかし。
ヘゲは迷わなかった。本能的に危険を察し、ミニチュア経由で百頭宮へ転移したのだ。直後、ミニチュアの反応が消えた。破壊されたのか、結界にでも囚われたのか。
いずれにしてもほんの少し遅ければ、ヘゲは身動きが取れなくなっているところだった。
転移した先は自分の執務室。店内を走査し、アシェトの居場所を探る。その一方で、ヘゲはメフメトに連絡を取った。
『どうなってる?』
『外にいた部下から報告がありました。ルシファー様です。アガネア様を抱えて飛び去りました』
『最大限距離を開けて、どこへ向かうか追わせて。突き止めたら教えてちょうだい』
『そのようにさせています』
なにが目的にせよ、相手がルシファーなら阻止することはできない。
いくつかの疑問が浮かび、考えを巡らせそうになって、ヘゲはやめた。今はそんなことをしている場合ではない。
全身が熱っぽい。息も荒い。アガネアを見て感じたものが荒れ狂い、ヘゲを衝き動かしているのだ。
そしてそれと対になるように、恐怖がヘゲの中で膨れ上がっていく。
アガネアを失うかもしれない。いざ現実になると、それはヘゲが思いもしなかったほど恐ろしいことだった。
しかしヘゲは恐怖に立ちすくむような悪魔ではなかった。むしろ恐怖はヘゲの怒りと焦燥感を引き出し、行動のエネルギーになる。
アガネアに対する感情と恐怖。もつれ合い渦巻く二つの激情に満たされて、ヘゲはついにその源泉を理解した。いや、自覚した。認めた。
アシェトは上得意の客と立ち話をしているところだった。ヘゲはアシェトのところへ転移した。
「失礼します」
二人の会話を遮り、ヘゲはアシェトを連れて自分の執務室へ再転移。
「どうした?」
そこではじめてアシェトはヘゲをきちんと目にした。艶めいた唇の端に笑みが浮かぶ。
「アガネアがルシファーに連れ去られました」
ヘゲはアシェトの表情に違和感を覚えながら報告する。
「ルシファーが? ヘタれだと思ってたが、なかなかガッツあったんだな。で、どうする?」
ヘゲは返事をためらわなかった。
「このまま救出に向かいます」
その一言でアシェトにはヘゲが何をするつもりなのか解った。
「じゃ、そのためにいくつか質問がある。今のおまえ見りゃ聞くまでもないが、いちおうな」
急ぐ気持ちを抑えてヘゲはうなずいた。
「性格改変の魔導具。あれの効果はなんだ?」
てっきり出撃にあたって必要な情報を尋ねられるのかと思っていたヘゲは戸惑った。
──それ、いま訊くこと?
しかし押し問答している時間が惜しい。それに、アガネアへの気持ちを自覚した今の自分なら答えが解る。
「あれは装着者の無自覚な願望を増幅する魔導具です」
「なら、サロエとイチャつくアガネアを見てすぐに戻ったのは?」
「嫉妬したからです」
恥ずかしさに声が震える。
「その二つをまとめると、どういうことだ?」
考えるまでもない。ヘゲは即答する。
「私は頭がおかしくなったのでしょう。アガネアを愛しているんです。悪魔のようにか、人間のようにか」
「両方だろうな。おまえは普通の悪魔と違うからな」
「驚かれないのですか?」
「あたりまえだ」
そこでアシェトは笑みを消し、厳しい顔になった。
「アガネアを護る。今後も抱えてく。それがおまえの判断なんだな」
「はい」
「当然、それなりの理由があるんだろうな? 聞かせろ」
ヘゲは一度、大きく息を吸った。理由はある。答えられる。けれど、答えていいのか解らない。伝わるのかも解らない。もしダメだったら、アシェトはアガネアを見捨てるだろう。
「どうした? 震えてるじゃねえか」
反射的にもっともらしい理由を考え出そうとして、ヘゲは思い直した。
アシェトは理論的でなくてもいいから本当の理由を教えろと言っていた。
ヘゲは決心する。まっすぐアシェトの目を見て答えを口にした。
「私が──私がそうしたいからです」
一瞬、間があった。それから今度こそ本当にアシェトは心からの笑顔になり、ヘゲを抱きしめた。
「正解だ。それでこそ私の副官だ。こざかしい損得勘定なんざ本来人間相手のもんだ。本物の、一流の悪魔なら、ただやりたいことをやりたいからやる。こうでなきゃならねぇ。あとで困ろうがどうしようが、そりゃそんときの話だ。よし、ヘゲ。打って出ていいぞ」
アシェトはヘゲを離した。
「全館放送でお客様にはお帰りいただけ。全スタッフ誘導に当たらせろ。10分以内にお帰りになれば、お代はタダとでも言ってやれ。私は玄関に行く。終わりゃそっちに合流するから、おまえは準備してろ」
「玄関へ?」
「だっておまえ、お客様にゃ迷惑かけるんだ。私が手ずからこれを渡して詫びるのがスジってもんだろ」
そう言うと、アシェトはどこかから分厚いグレーターVIP招待券を取りだした。
アシェトと別れてヘゲが向かった先は、百頭宮のほぼ中心にある部屋だった。普段使われないその部屋でヘゲは独り、店内の様子をモニタリングしながら準備に取り掛かかろうとした。
これまで、実際にやったことは一度もない。けれど手順は完璧に頭に入っている。予想外のトラブルさえ起きなければ、成功するはずだ。
──いつだって、あなたのことは私が護る。そう言ったものね。
ヘゲは最初の手順を呼び起こしながら、準備をはじめた。早くアガネアに会いたかった。
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