方法52-2︰長くて退屈な話(とにかく見てみましょう)

 按城天恵あんじょうてんけい。雑なギャルゲーの黒幕みたいな名前だけど、それが人界でのワタシの名前だった。

 古くは様々な築城の現場で職人の手配や現場監督などを取り仕切っていた按城家は、時代とともに大規模開発を得意とする大手ゼネコンになっていった。

 ワタシの家はその分家の一つ。といっても、万城会という医療法人として、いろいろな病院を経営していた。

 家族は両親の他に兄が二人。父は著名な脳外科医。経営の才は母の方が上だった。兄二人も医学の道へ進み、将来有望。家族仲は良好で、代々地位も富もある家柄だからか、みんなしっかりしてるけど温和な性格だった。


 ワタシはそんな按城の人間、本家も分家も含めた中でもまれに見る逸材だって言われてた。

 幼いころから愛らしく、聡明で、人を惹きつける魅力を持っていた。大人ウケするってだけじゃない。同世代の子供だって、誰がワタシと遊ぶかで喧嘩になるくらいだ。


 小学校へ入るころにはすでに小学校レベルの学習は終わっていて、それでも両親はワタシを小学校へ通わせた。

 いわゆるエリート校みたいなところだったけど、両親としては、ままならない同世代の社会の中で揉まれて苦労するのが、ワタシのためになるって考えだった。それに、その学校はプレゼンとかディベートとか、そういったことにも力を入れてたし。


 お嬢様らしさのない、気取らない態度。活発でお調子者めいた性格。ワタシは小学校でも常にクラス一の、いや、校内一の人気者だった。

 学校に通うかたわら、ワタシは自宅で中学、高校レベルの勉強を進めていた。それはどれも簡単に思えて、たいして時間を使うようなものでもなかった。ただ、社会科科目だけはもう学校のペースに合わせればいいか、なんて考えて先取りはしなかった。たんなる暗記だからね。


 つまり、そう。ワタシはいっさい穴のない、能力的にも環境的にも完全に恵まれた、まさに天の恵みみたいなチート級の人間だった。


 この頃のワタシは、性格的には今と似てるようだった。けど外見は……。うーん。どう育っても今のワタシにはなりそうにない。今のワタシの体は、もともとフレッシュゴーレムのものだから、かな。


 一方で、ワタシは幼いころから生き物がどうやって生きているのかが不思議でならなかった。

 なんでご飯を食べるの? 食べたものはどうなるの? なんで眠くなるの? ずっと寝ないとどうなるの? 病気や怪我はなんで治るの? なんで死ぬの?


 ワタシは両親に、よくそんな質問をしてた。医者の娘であるワタシがそういうことに興味を持つのがよほど嬉しかったみたいで、人体の仕組みや役割、寝ることについて、怪我や病気のメカニズム、はては遺伝子についてまで、子供向けに書かれた絵本をたくさん買ってくれた。

 ワタシはそうした本を何度も読み、生命の不思議に魅了され、新たな疑問で頭を一杯にし、次から次へと内容をステップアップさせていった。

 さらに最初は実験を模したオモチャ、次は実験キット、本物の実験器具。そして中学へ上がる頃には、所有する研究所への出入りと使用を自由にさせてくれた。人脈を使って、生化学分野のいろいろな研究者とも話をさせてくれた。


 そうしたなかでワタシの関心は遺伝子治療の分野へ向かい、高校生になるころには審査の緩い学会に所属し、論文めいたものまで書くようになっていた。英語で。

 ちゃんとした学会誌に発表できるようなものではなかったけど、ワタシは出入りしていた海外の研究者向けオンラインフォーラムにそうした文章を発表し、注目を集めた。

 さらにワタシは理論を発展させ、研究所の職員にも手伝ってもらってエビデンスを集め、ついに高校三年のときにはアメリカの学会誌に掲載されるところまでいった。これは当時、ちょっとしたニュースになってワイドショーなんかでも取り上げられた。


 ここまでくると、なにかの冗談みたいだった。“もし自分が○○だったら”系の妄想の中でも一番どうしようもなくて、本人だけが夢中になれて、他人が見たらさっぱり面白くないタイプ。どう考えても現実味のないペース。それでも、少なくともワタシの魂が記録してるのはそういう話だった。


 高校卒業を控えたとき、ワタシは海外のプレスも集めて記者会見を開くことになった。卒業後の進路を発表するため。すでに国内の大学へ進学しないことは知られていた。そして、卒業後にどんな道を歩むにしても、世界は按城天恵を待っていた。



 結局ワタシは、渡米して起業した。遺伝子治療、ゲノム創薬の研究開発企業だ。

 といっても医師ですらなく、最終学歴高卒の娘が経営なんてできるわけもなく、按城家の資産運用企業とアメリカの出資を受け、CEOには高原集たかはらあつむという本家の選んだ男が就いた。

 ワタシは大株主の一人であり、研究員という立場だ。


 高原はこれまで、バイオケミカル関連の国際企業の日本法人で最年少の取締役を務めていた。出会った当時は48歳。押しの強そうな。いかにも頭のキレそうな。大柄で顔立ちがよく、人当たりもいい。ワタシが高原をパートナーとして認め、頼れる大人として信頼するのに長くは掛からなかった。それどころか、淡い恋心さえ抱いた。


 それから10年でワタシはいくつかの画期的な発見をし、会社名義で特許を取り、最短で博士号を取得し、会社設立当初から取り組んでいた新薬の承認を得た。10年という開発期間は普通だ。けど、設立間もない会社としては異例の早さだった。


 それからは早かった。ステージ3以降のガンの生存率を飛躍的に高めるはずだった薬。たしかにその効果はあった。けれど、それ以上に副作用による死者が出はじめた。服用後、48時間以内に意識が混濁し、そのまま死亡する患者が出だしたのだ。


 ニュースになり、集団起訴、認可見直し、誹謗中傷。FDAのスキャンダル事件にまで発展し、ワタシの会社は内紛が起こった。

 最初のうちワタシを支えてくれていた高原も、早々に会社を追われた。繰り返される記者会見、レポーターや記者の待ち伏せ。好意的な記事や報道はなく、ワタシを取り囲む人々の冷ややかな視線と無数のフラッシュ。


 この頃からストレスのせいで、私の知力は低下していった。判断はことごとく誤りで、記憶力も低下し、そもそも憶えているはずのことが思い出せなくなっていった。論文を読んでもまったく頭に入ってこないし、そもそも何が書かれているのか論旨が追えない。


 きわめつけは本家からの召喚状と、高原の書いた暴露本の出版。しかも英語版と日本語版が同時に。暴露本はセックス・ドラッグ・ショッピングに満ちたワタシを描いていて、本当のことを探すほうが難しいようなシロモノだった。

 それでもその本は、あちこちのアマゾンでベストセラー1位になった。


 もう限界だった。ワタシは失踪した。



 そのあたりから、魂に記録された記憶はノイズがひどくなり、途切れがちになった。

 行方をくらませたワタシはフロリダ州フォートローダーデールで身元を隠して売春婦になり、本当に酒とドラッグに溺れた。よくわからないけれど、30代後半くらいになってたみたいだ。

 そんな生活をどれくらい続けてたんだろう。死ななかったってことは、せいぜい1年くらいだったのかも。


 そしてワタシはカタリナ・モリッジに出会った。


 出会った経緯は解らない。カタリナはフォートローダーデールに本拠を置く、麻薬中毒者更生支援のNPO代表だった。痩せていて長身、冷たい感じさえする美人で、ニューヨークあたりでセレブ向けのセレクトショップでもやってる方が似合いそうだった。

 それでもカタリナは麻薬中毒者をクソ溜めから引っ張り上げることに人生のすべてを捧げてた。


 ワタシはカタリナたちの支援を受けてゆっくり回復していった。そしていつしかNPOのスタッフになり、ロードサイドモーテルに付属のダイナーでウェイトレスのバイトも見つけた。


 ワタシはカタリナを敬愛し、信頼し、彼女に強い絆を感じるようになった。

 自分の身の上も話した。午前三時、彼女の住む家のポーチ。熱くて苦いコーヒー。ありがちな打ち明け話。

 話し終えるとカタリナはワタシを抱きしめて涙してくれた。


 こうして蘇った記憶を眺めていると、ワタシがカタリナに感じていた想いは依存にそっくりで、結局アルコールとドラッグの代わりでしかなかったように思えた。


 ある日、ワタシはカタリナから特別なセッションを手伝ってほしいと頼まれた。彼女は麻薬中毒者との面談をセッションって呼んでた。

 ワタシはもちろんオーケーした。夜になってカタリナの車で向かった先は、ひと気のない湿地帯のそばに建つ、古いけど小奇麗な一軒家。


 車を降りるとさっそく、カタリナはワタシにスタンガンを押し当て気絶させた。



 次に気づいたときワタシはロープで縛られ、さるぐつわを噛まされ、家具も何もない地下室の床に転がされてた。

 裸電球に照らされてる壁には一面、見たこともない模様とも記号ともつかないものが描かれてた。


 それが何なのか、今のワタシには解る。リレドさんが解いた、あの複雑な術式群にそっくりだった。


 パニック状態でうめき、もだえるワタシを無視して、カタリナは長くて複雑な儀式を行った。そして最後に初めてこっちをまともに見ると、ワタシのノドをナイフで掻き切った。


 これが魂から読み取られた、長くて退屈なワタシの物語。



 目が覚めると、ワタシはソファでぐったりしてた。頭が重い。あの湿った地下室でなく、バビロニアにあるアシェトの家だって納得するのに、少し時間がかかった。全身が汗でぐっしょり濡れてる。


「大丈夫か?」

「ガネ様……」


 ベルトラさんが心配そうに尋ね、サロエが冷たい水を渡してくれる。ヘゲちゃんは……相変わらずなに考えてるのか解らない。無表情にワタシを見てるだけだ。


「ありがとう。平気」


 ワタシは体を起こす。


「どれぐらい、その」

「6時間くらいか」


 そのとき、ヨーミギの声がした。


「それで、どうだったかね?」


 まるで観たばっかりの新作映画の感想を尋ねるような気軽さに、ワタシはちょっと笑いそうになる。


「なんていうか。あんまり実感ないですね。なんだか他人の記憶を見てるような。でも、あれがホントにワタシの記憶なら、辻褄が合うところはあります」


 最期の場面の術式群だけじゃない。これまで不意にワタシを襲った動揺や警戒感、寂しさ、辛さ。それはどれも、さっき見た記憶のような体験をしていれば理解できる。


 だから──。


「あれはワタシの人生の記憶、かもしれません」


 ヨーミギは大きくゆっくり息を吐いた。


「けど、気になることが」

「なんだね?」

「ワタシ、オバサンでしたよね?」


 だってさぁ、自分のこと女子高生だと思ってたんだよ? それがあんな、陰キャラのオバサンだったなんて。


「おそらく、その、高校生か? その頃が人生でもっとも輝かしく、可能性に満ちて感じられていた時期だったんだろう。だから強く印象に残っていたんじゃないか? ふむ。これも研究に値するな……。ま、今は少なくとも若い人間の娘に見える。性格もその頃のおまえに似ているようだ。残念ながらオツムはそうも行かなかったようだが、あまり気にするな」


 ヒドい言われようだけど、記憶で見た化物みたいなスペックと比べられると、素直に同意するしかない。


「あと、ワタシの成功って」

「おそらく、悪魔の介入によるものだろうな。いくらなんでも優秀な人間というだけで、アレは説明がつかない。理由は解らないがそいつはお前に特上の幸福を味わわせ、その絶頂で奈落へ突き落とした。最後の方に出てきた女。あれは未帰還者か、その手先だったんじゃないか?」


 つまりワタシは人生のかなり早い時期、ひょっとすると生まれたときから、誰かに干渉されてたってことになる。

 それでその誰かってのがタニアとその背後にいる、たぶんダンタリオン。


 普通ならそこでタニアたちに強い怒りが湧くはずだ。たしかに怒りは感じる。けど、それは思ったよりずっと弱い。

 魂から読み取られたものはワタシにとって、もう自分の記憶として思い出せる。けど、やっぱりそれはよく知らない他人の話みたいで……。


 ああ、そうか。


 ワタシは気づく。どれだけ自分の記憶だって感じたところで、人界での出来事はさっきまで存在も知らなかった按城天恵って女の人生。

 でもワタシにとって自分の人生ってのは、アガネアとして生きてきたこの一年足らずの時間なんだ。

 それはつい先日まで、なかなか悪くないものだった。けど今はもう色褪せて……。


 ワタシはヘゲちゃんを見た。目が合う。ヘゲちゃんは何も言わない。ただずっと、ワタシの目を見返してた。

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