番外17︰密約は秘密の約束

方法45で話に出ていた、リレドのところへのアシェト訪問時の出来事です。

読まなくても本編にさほど影響ありませんが、読んでおくと後々で「ああ、これか」的な感覚になれます。

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 リレドは目の前の悪魔に緊張を悟られないよう、なるべくにこやかな顔になった。


「これはアシェトさん。どうされました?」


 アシェトもリレドに負けず劣らずの笑顔だ。ただ緊張を隠してるというよりは、営業用の笑みに見える。


「折り入って相談があるの。あなた方、ミュルス蒸留所を買い取らせてちょうだい」


 強烈な先制パンチ。


「どういうことですか?」

「支援、と言ってもいいのかしら。資金繰りがいつもギリギリなんでしょう? ここのウイスキーが今後、そのせいでなくなるようなことがことがあれば困るの。人気があるし、平均単価も高いし。けれど、あなた方に手を差し伸べられそうなのはウチくらいでしょう? 他のどこであれ、私たちほどあなた方に信用してもらうって名誉を受けたところはないし」


 アシェトの言うとおり、リレドたちはもう長いあいだ、カツカツの収支でやってきた。だが、いきなり倒産するような状態ではない。それに、なくなったら困ると言ってもいきなり買収を持ちかけるのは不自然だ。


 リレドは警戒レベルを引き上げた。アガネアたちは信用しているが、悪魔全体に対する不信感がなくなったわけではない。それに、信用しているのは個々人であって百頭宮そのものを信用してるわけでもないのだ。


「それに前から、うちオリジナルのお酒が欲しいと思ってたのよね。季節限定とか。もちろん他に頼んでもいんだけど、ウイスキー造りについてはあなた方が魔界最高。どうせ手を組むなら、そういうところと組まないと、ね?」

「それなら今でも注文されれば対応しますよ」

「でしょうね。でも、さっきも言ったように、あなた方にはまず安定した財務状況になって欲しいの。そうすればもう、あなたも資金繰りに追われなくて済むし、その気になれば新しいことに挑戦だってできる。私たちがバックにいるとなれば、仲買人たちと適正な価格で取引もできる。なんならうちが交渉してもいいのよ。ずいぶん安く買い叩かれてるんでしょう? 聞いたわよ」


 リレドは思わず歯を食いしばりそうになって、こらえた。

 たしかにそれは売上が伸びない一因になっている。頭の痛い問題だ。

 そしてそれ以上に、魔界に基盤のない妖精悪魔と侮られ、不当な金額でしか取引できないことへの屈辱感と怒りがある。


「あなた一人ならどうとでもなるのかも。でも、他の妖精悪魔たちを路頭に迷わせないようにしてやりたい。ここへ来たばかりの頃はいつも怯えて、各地を転々として。暇つぶしくらいで殺された仲間もいるんでしょう? もうあんな状態には戻りたくない。あなたはずっとそう考えてきた。違うかしら?」


 アシェトは追い打ちをかける。


「うちは基本方針として、グループの個々の運営に口を出さないの。見るのは数字だけ。そこに問題がないか、問題があっても改善できる見込みがある限りは。そしてあなた方の場合、最低でも今の水準が維持できてれば問題にはしない。それと、あなた方の場合は独立会計にするつもり。いちいち予算申請をさせるつもりもないし、財布を一つにする気もない」

「それでは話がウマすぎませんか? だいたいそれだと、こちらの予算は増えない」

「投資や資金難のときには必要な金額を払うわ。それにデメリットだってあるのよ。もちろん。あなたたちにとって一番大きいのは自主独立の根本、事業継続の判断を私たちに任せるってこと。それに、口出しはしないと言っても、指示や依頼があれば従ってもらうことになるわ。あと、営業利益の5パーセントはうちに収めてちょうだい」


 怪しいくらいに魅力的な条件だ。なるべく悪魔と交わらない。その信条さえ犠牲にすれば、得るものは大きい。

 だが、リレドは揺さぶられない。妖精悪魔は独特の存在。これまでも似たような話はときどき持ちかけられてきたのだ。

 もちろん狙いはウイスキーではなく、妖精悪魔とその魔法。そしてこの程度の条件なら他の悪魔だって提示してきた。


「お申し出には感謝します。残念ですが──」


 リレドが断ろうとしたとき、アシェトが付け足した。


「ただし、指示や依頼に従う義務があるのは酒造業とその経営に関することのみ。それ以外のことについて従う義務はないわ」


 そしてアシェトは一枚の封筒を取り出す。


「契約書よ。ここにもそれが書いてある。他のことの詳細もね」


 それでは妖精悪魔や妖精魔法は手に入らない。そもそも別会計なら仮に事業継続不可とされても、そのまま独立して仕事を続けることができる。異常な条件だ。

 リレドは理解できずに呆然とした。どこかに何か、大きな落とし穴があるに違いない。だからこそ、釣り針の餌がここまで常識外れなのだろう。


 アシェトはそんなリレドを見て微笑すると、契約書の封筒を机においた。


「さて、ここからは契約書の外の話。けれどこれからする話の内容は、私かヘゲの許可なく明かしちゃダメよ? それに、この話は今の支援話とセットなの。話を聞かないとか、聞いても応じられないのなら、このことは全部なかったことにさせて」


 その言葉に、逆にリレドは安心する。ちゃんと裏があるなら、異常な好条件にも説明がつく。


 それでもその話を聞くべきかリレドは迷った。聞くこと自体がなにかのワナかもしれない。それに、いったいどれほどのことを求められるのだろうか。

 一方で、呑める要求なら契約を結んでもいいのかもしれないとも思う。おそらく今後こんな話はそうそうないだろう。


 なんといっても従業員たちは妖精の王族である自分の臣民。彼らに支えられる代わりに庇護することこそがリレドの存在理由。だからこそ、そもそも自分から魔界へやって来たのだ。臣民の身の安全と生活の保障。それを高めるチャンスを見逃すことはできない。


「話を聞くこと自体に、なにかリスクはありますか?」

「ないわ。あなたがどんな形であれ口外しないなら」

「……解りました。同意書か何か書きましょうか?」

「そんな用意はないわ。それよりも今ここで、誓ってちょうだい。口頭で」


 リレドは驚いた。自分たちにとっては口頭での誓いこそが絶対。それを知っている悪魔はわずかだ。そして、どこで聞いたのか目の前の相手はそのことを知っている。どうもこれは、小手先の話ではないらしい。

 とうとうリレドは決心し、声に出して誓いを立てた。


「これはヘゲの要望でもあるし、私としてもぜひあなた方にやってほしいと思っているの」


 誓いが終わると、アシェトはそう言った。そして続ける。


「妖精はどれだけ履いても新品同様で、その気になれば一歩で千里も進める靴が作れるんでしょう? 今のあなた達にも作れるのかしら?」

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