方法15-1:みんな知ってるダンタリオン(知識は応用しましょう)

 厨房でいつものように大量のキャベツを刻んでいると、だんだん雑念が消えていく。

 単調な動きとカットのリズムで軽くトランス。それにこういう平和で馴染み深い日常は心が穏やかになる。relax … stay cool and chill out …。


『へいへいよー』


 ヘゲちゃんの声が聴こえる。けど見回しても姿は見えない。


『我、ヘゲチャンノ幻聴ヲ傍受スルコトニ成功セリ』

『はいはい。お客様が来てるから、3番応接室に来て』

『罵倒もなしにスルー? ちょっとコミュニケーション能力に問題があるんじゃないの?』

『……チッ。マジこいつウゼェな』


 ボソリとつぶやかれた。


 キャラがブレてる! そういうの、普段のヘゲちゃんの延長線上でキレられるよりも怖いからヤメて!


 ワタシが事情を話すと、ベルトラさんは嫌な顔ひとつせず第1厨房から代理を召喚した。

 だんだん手慣れてくるなあ。申し訳ない。


 3番応接室へ行くと、アシェトとヘゲちゃん、それに見知らぬ女性がいた。

 ワタシはアシェトとヘゲちゃんの間に座る。


 女は人間の姿をしている。ウェーブがかった赤毛の髪をした、生真面目そうな美人だ。少しそばかすがある。

 メガネをかけて、魔界では珍しく現代風のビジネススーツ姿だ。


「はじめまして。私は魔界人別管理局の職員でダンタリオン様の従者、ティルです。擬人のアガネアさんですね」


 ワタシはうなずく。


「じつはダンタリオン様があなたにずいぶん興味を持ってまして」


 興味、という言葉を意味ありげに強調するティル。ヤな予感がする。


「ここで、まさかのご本人が登場です」


 は? いま、なんて──。


 ドアが開くと、悪魔が入ってきた。


「やあみんな。“ミンナ知ッテル”ダンタリオンだ。もっとも僕がみんなを知ってるだけで、みんなが僕を知ってるかは知らないけど」

「……」

「……」

「……」


 あの、これ、なに?


 ダンタリオンは背の高い青年だった。切れ長の目に通った高い鼻筋。薄い唇とスッキリしたあごのライン。

 少し太めの眉の下の瞳は薄紅色で、左右を少し刈り上げにしたアッシュブラウンの髪を後ろになでつけている。

 上から下まで古風なスーツを着こなしていた。なんていうか、好青年。人界ならいかにもモテそうだ。


 けど、いくらイケメンだからって何やってもウケるってわけじゃないし、魔界は変身で美男美女が多いから、その価値は人界ほど高くない。


「まさか三人ともノーリアクションとは思わなかった。打ち解けた雰囲気ではじめるにはいいと思ったんだけどね」


 苦笑するダンタリオン。ずいぶん爽やかだな、おい。


「ダンタリオン様、その方針自体は正しかったと思います」


 フォローするティル。仕事大変だな。


「なんでおまえの笑えねぇジョークに付き合わなきゃなんねぇんだ。だいたい受付に二人で来たんだろ」


 突き放すアシェト。今日も不機嫌そうだ。


「私もお二人で入られたのを確認してましたから」

「そこまで含んだうえでのジョークだったんだけどね」


 肩をすくめるダンタリオン。芝居がかったしぐさがなかなか似合ってる。


「さて、きみが“三界二恥ナシノ”アガネア君だね?」


 魔界、人界、天界の三界で一番の恥知らず。それはワタシの通り名だった。

 なんていうかもう、好きにしてくださいとしか言いようがない。

 一度拡散した情報は永久に消し去れない。けど命名者に会ったら殺す。超殺す。


「いいネーミングだと思うんだけど、ここの新聞は使わないみたいだね。よそに上手いこと言われて、地元紙としては意地でも使いたくないんだろう。もったいない」


 やれやれ、というように肩をすくめる。


「僕はダンタリオン。知ってるかい?」

「名前くらいは」


 ラノベかなんかで見た。


「そうか。じゃあ自己紹介しよう。

 72柱の魔神の1柱で、地獄の36の軍団を率いる序列71番の大公爵。あらゆる学問の深奥を極め、幻術に優れ、人間の心を操る。

 ま、公式プロフィールはそんなところだ。軍団長と言っても今は地獄の軍団なんて休眠中だし、名ばかりに過ぎないけどね。今日は魔界人別局の長官として来ている」


 いろいろ嫌な単語が混ざってるけど、一番マズイのはやっぱり魔界人別局ってとこ。たぶん入管とか戸籍係とか、そういうやつなんでしょ。


「で、その長官サマがうちのアガネアに何の用なんだ?」


 あくまで尊大なアシェト。いつも気になるんだけど、この人って魔界的にはどれくらいの立場なんだろ。


「新聞でアガネア君のことを知ってね。驚いたよ。なにせ僕の知らない悪魔なんだから。仮に僕が失念してても、この悪魔大鑑には載ってるはずだ。なのに、そこにも記載がない」


 ダンタリオンは大判の本を取り出す。


「この本にはあらゆる悪魔が記されている。ご当地ネタでいくとラズロフだって最初の兄のラズロフから、最新の一番弟のラズロフまで載ってるくらいだ。

 アガネア君が載ってないのは異常事態だよ。この本の仕組み的に本来ありえない。僕が受けた驚きをどうすれば伝えられるか判らないけれど、とにかくこうして会いに来たってわけさ」


 じっとこちらを見る目はまっすぐで、どこか楽しそうだ。こっちは絶望しかないけどな。いや、だから楽しそうなのか。


「そのご立派なご自慢の本に載ってる悪魔、全員実際に確かめたわけじゃねぇんだろ? それに載ってない悪魔なんて、それこそ確かめようがない。おまえが思ってるよりアガネアみたいなのは多いかもしんねぇだろ」

「魔界人別局の仕事には大鑑の裏取り作業も含まれてる。新しい悪魔が増えれば、出向いていって確認する。君らも一度は確認されてるはずなんだけど、大昔のことだから忘れてるんだろうね。

 それに、さっき僕は“仮に失念していたとしても”と言っただろ。仮定の話なんだ。実際にはそんなことはない。

 僕は誰と会っても、それこそ道ですれ違っただけの悪魔でもそれが誰だか知ってる。今までに例外はない。“ミンナ知ッテル”って通り名は誇張でもなんでもないんだよ」

「そこまで自信あんなら、なんだって裏取りなんてやってんだよ」

「そりゃもちろん、説得力が増すからさ。こういうときに反論もできる」


 アシェトは舌打ちして黙ってしまった。


「そういうわけでアガネア君。僕は君が載ってない理由を知りたいんだ。そこのティルティアオラノーレ=ヘゲネンシス嬢みたいに、実際には悪魔じゃないっていうのなら話は単純だけど」


 こいつ、本当はヘゲちゃんが悪魔じゃなくて百頭宮の精だってこと知ってるのか。


「ヘゲ、もしくはオラノーレとお呼びください」


 ヘゲちゃんが訂正する。その声はいつにも増して冷ややかだ。


「アシェトさん。未知の悪魔を確かめに僕がここへ来るのは二回目だ。前回はオラノーレ嬢。ここはまさに娯楽の殿堂だね。僕みたいな悪魔にも驚きと興奮を与えてくれる。今回はどんな──」


 いきなりアシェトが机を蹴った。


「てめぇふざけんじゃねえぞ! うちのアガネアが悪魔じゃねぇって言いたいのかよ!?」


 うわぁ、引くほどヤクザっぽい。けどダンタリオンは平然としてる。


「前回と違って、ずいぶん粘るね。僕はただ現状だとアガネア君が悪魔の可能性も、魔獣の可能性も、他のどんな存在である可能性も否定してないだけだよ。それこそ天使や、人間って可能性すらね」


 人間って言ったときこっちに意味ありげな目線くれるのはやめてもらえませんかね。ストレス値がもりもり増えてくのがわかる。


「というわけなんだけど、君は悪魔大鑑に載ってない理由について、何か心当たりはあるかな? 心配しなくてもいい。秘密は守るし、大鑑を閲覧できるのは僕だけだ。局員ですら業務に関係する部分だけしか見られない」


 いかにも親しみやすくて暖かく、誠実で心を開いているような笑顔。

 あー、だめだわ。なんかこういうの生理的に受け付けない。信用するなんて無理。


 それに理由を聞かれても、ぶっちゃけ悪魔じゃないから載ってないとしか言いようがない。

 ヘゲちゃんもアシェトも前にこんなことがあったんなら、ちゃんと対策しておいてほしい。二人の怠慢を断固糾弾したい。有罪! 有罪! ギルティーで、す、と待てよ。


 そういえば、ある。こんな時くらいしか使いようのない設定が。

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