方法3-3:押し倒され系(不用意な接触は避けましょう)

「お、おい。私はまだなにも許可しとらんぞ」


 抗議するライオン男を無視して、ヘゲちゃんは言った。


「まずは指の一本を逆折りに、でしたか」


 そして私の左薬指を無造作につまむと、折った。

 厭な音。

 痛みというより熱。

 頭の中がなにかに掻き回されたような感触。

 ワタシはショックのあまりまたしても吐きながら、我ながらどうやったのか自由になった右手でヘゲちゃんの肩を突いた。


 ダーン! 轟音と共にヘゲちゃんが数メートルも吹っ飛ぶ。

 地面に叩きつけられてもまだ勢いは消えず、そのまま転がってテーブルの脚にぶつかりようやく止まった。

 ワタシは指の痛みも忘れて呆然とヘゲちゃんを見た。

 何が起きてるのかサッパリわからない。

 まさか、命の危機でワタシに秘められた力が目覚めた?


「おわかり、いただk、ま、たでし、か?」


 ヘゲちゃんが頭だけ起こして切れ切れに言う。

 その口からは血が流れだしている。

 それどころかワタシが突き飛ばしたところから肩は裂け、腕が取れかかっている。

 ちぎれた筋肉、折れた骨の先が血に洗われながらむき出しになっていた。

 さらにワタシの吐いたものがかかった胸元のあたりは煙を上げながら大きく溶け、その下の骨や内臓を見せている。

 傷口が焦げているのか、血は出ていない。

 って、ちょっと。ワタシのゲロ、腐食効果があるの!? 人外レベルじゃないの、それ。

 さすがのライオン男も目の前の光景に固まってしまっている。ただ、カクカクとうなずいた。


「おお。こりゃたいへんだ」


 やけにのんびりした声が聞こえた。入ってきたのは見覚えのある姿。

 名前は忘れたけど、ここ専属の医者だ。

 巨大なカタツムリの口から白く濁った粘液まみれのおじいさんの上半身が突き出ている。

 インパクト抜群の外見はさすがに見間違えようがない。


「やれやれ」


 老人カタツムリは倒れたまま動かないヘゲちゃんのところへ行くと自分の体をぬぐって、粘液をヘゲちゃんの傷という傷に塗りたくる。

 さらに口にも含ませた。それから慣れた手つきで傷に包帯を巻いていく。


「ま、すぐ治る。ああ。おまえさんもか」


 粘液まみれの手がワタシの折れた指を包む。

 そっと引っ張られると指は軽くマヒしたような感覚になり、痛みも取れた。

 包帯が巻かれる。


「ま、一応飲んどけ」


 むりやり口をこじ開けられ、指の粘液をなめさせられる。

 意外なことにミントみたいな味だ。けど、猛烈に苦い。


「終わったぞ。ワシはもう行くからな」


 老人カタツムリが誰かに向かって言う。

 その声の先にはベルトラさんがいた。

 手には愛用の釘バット。

 好感度パラメータがマックスのワタシでさえゾッとするほど怖い顔をしている。


「お客様。どうぞお帰りください」


 静かな声。ライオン男は文句も言わず出て行った。


「明日には二人とも治るだろう。見せにおいで」


 精根尽き果てたワタシ、倒れたまま動かないヘゲちゃん、まだ厳しい顔をしたベルトラさんを残して、あっさり老人カタツムリも帰って行った。


 で、これ結局なにがどうなったの? 当事者なのに全然理解できてないんですけど。

 少なくとも治療費は請求されないよね? 就業中のケガの治療は福利厚生に含まれるよね? などと混乱したことを考える。


「もう大丈夫そうね」


 仰向けに寝かされたままのヘゲちゃんが突然口を開いた。


「どうしてあなたはちょっと一人にするとすぐ死にかけるの? だらしない」


 いや、そういう問題か? それより、


「だ、大丈夫なの?」

「もちろん。先生の治療はたしかだから。それに、強い悪魔は回復力も高いものなの。もう少しで動けるようになる」


 それならそれでいいけど。

 よかった、のかな。


「でも、どうしてそんな大ケガ」

「あなたに押された方向へ吹き飛ばされながら肩を破裂させて、胸元を溶かしてみたんだけれど」

「つまり、自分でやったの?」

「あたりまえでしょう? あなたにあんなことできるわけないじゃない」

「でも、なんで」

「こういうのは中途半端にやっても見透かされるだけ。やるなら本当に怪我しなきゃ」


 言いながらヘゲちゃんは体を起こす。

 ズタズタになったはずの腕でちゃんと体を支えていた。

 でもまだ痛そうだ。

 ヘゲちゃんは少し顔をしかめると、また横になった。


「それにしても、アジュラマンナさんが物わかりのいい紳士でよかった」


 は? 頭ぶつけておかしくなったんだろうか。

 どこをどう考えるとあのライオン頭が物わかりのいい紳士になるの?


「ダメージ受けたヘゲさんを見て、そういう傷つけあう方が燃えるだとか、いっそ弱ったヘゲさんも入れて3人で、なんて言い出されたらそれこそ厄介だろう」


 すかさずベルトラさんがヘゲちゃんのセリフをフォローする。

 そんなことあり得る、のか。

 ベルトラさんまでそう言うんなら。

 ここではああいうことも、もっと酷いことも起こるかもしれない。


 いまさら震えが来た。ここへ来てはじめて、魔界が怖いと思った。

 もしヘゲちゃんが来なければワタシは指を折られ手足をもがれ、悪魔なら痛いだけで済むのかもしれないけど、ワタシは人間だ。

 ……たぶん死んでた。


 まだ2週間も経ってない。

 なのにワタシはもう2回も悪魔の戯れで死にかけた。

 こんなことがきっとまた起きる。次は助かるかもしれない。

 でも、その次は? さらにその次は? 身を守ることもできないワタシは多分どこかで運悪く殺される。

 目から涙があふれる。ベルトラさんは何も言わず抱き上げてくれた。


「今日は部屋まで連れてってやるから、もう寝ろ」


 ワタシは首を横に振る。

 一人になりたくなかった。

 もし部屋に居てまたあんなことが起きたら? 相手にとってはちょっとした気晴らしのつもりでも、ワタシにとっては命がけの遣り取り。

 そんなことをこれから何度も繰り返し、生き延びろって? 無理だ。


「その。すまなかった。一人にすべきじゃなかった。おまえは普通の人間なんだし。

 ……そうだ。これからおまえはいつもあたしと一緒にいればいい。そうすりゃ狙われることもないだろ。な?

 とにかくもうすぐメシの時間だ。厨房のテーブルんとこまで連れてってやるから、そこで座って休んでろ。

 それなら一人じゃない。安心だろ」


 これまではただ嬉しいだけだった優しい言葉。

 それがいまは自分の惨めさを突きつけてくる。

 ベルトラさんのいかにも温かく、守りきれなさそうな言葉でも今は、それにすがりたかった。

 なんでもいい。自分以外の何かにすがらないと心がどうにかなってしまいそうだった。


 ワタシはベルトラさんの肩を借りるとどうにか歩いて厨房奥の席に座った。

 少し背の高い配膳カウンターが食堂からの視線を遮ってくれる。

 そこは暖かく、単調な雑音に満ちていて、食べ物のいい匂いがして。


 いつのまにかワタシは寝てしまった。



 目が覚めると食堂の営業時間は終わっていた。

 静まり返った中で話し声が聞こえる。


「行動を制限するとふさぎ込んで長生きできねぇだろうと思ったんだがなぁ」


 アシェトの声だ。


「人間というのは想像以上に脆いものですね」

「私らが接してきたのは悪魔を呼び出そうってぇイカれ野郎がほとんどだ。

 メンタルが一般人とは違う。それも計算に入れたつもりだったんだが、甘かった」

「ですが、このままじゃ先に心が死んでしまいます。そうなれば体もそうは保たないでしょう。

 とにかくあたしはなるべく目の届くところに置いておくようにします」

「私も常時監視に切り替えます」

「そうしてくれ。そうすりゃマズい事態になることはかなり減るだろう。

 問題は、どうやってそれで安心させるかだな」


 三人の声に耳を傾けるうち、私はまた眠ってしまった。

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