第8話 血の猛威

 教会が見えた。


 その前庭たる草原も見えた。


 だが、そこには昨日までのささやかな幸せと、その景色は、存在しなかった。


 空へと向かって伸びる、紅い光の柱に照らされた草原は、紅一色に染まり、その草原のそこかしこに、薄汚い身なりをし、各々武装した男たちが立っていた。男たちの足元に、いくつか黒い影が蟠っているのが見える。物言わず、動くこともないその影は、大きさからして子どものように見えた。


 間に合わなかった。


 その思いがフィッフスの脳裏を掠めた。


 リディアは、どこに。


 苦い想いを飲み下し、フィッフスは視線を巡らせた。


 賊と化した敗残兵たちは、一様に暴虐の手を止め、立ち上がった光の柱を呆然と見上げている。その誰の手の中にも、リディアらしき姿はない。逃げることができたのか。男たちの足元に転がる影の数も、子ども全ての数からすれば、多くはない。とにかくいまは、生き残った子どもたちを助けなければ。


「フィッフスさん」


 突然聞こえた声の方を、フィッフスは見た。そこには草原に身を投げ出して、這いつくばったリディアの姿があった。その周囲には、十数人の子どもたちの姿もある。


 いったい、何がどうなったのか、問う言葉をフィッフスが口にしようとした時だった。それよりも早く、リディアが叫んだ。


「逃げて、フィッフスさん!」


 リディアが立ち上がる。纏った黒い外套はぼろぼろで、リディアはひとりで、賊たちから子どもを必死で守っていたことがわかった。


「あんたも、子どもたちもだよ、一緒に逃げるんだよ、ほら、すぐに……」


 フィッフスの声に被せるようにして、子どもたちの悲鳴が響いた。何か恐ろしいものを目にした悲鳴に、フィッフスは子どもたちの視線を追った。


 そこに、フィッフスは、現状よりもさらに異様な光景を見た。


 賊たちは、子どもの叫び声も気にならない様子だった。そうだろう。次々と仲間が殺されているのだ。もはや単に襲う側ではなくなったことを自覚し、賊たちはそれぞれの得物を構え直し、『敵』に向かって走り始めた。


「なんだい、あいつは……」


 それは、紅い光の柱の中から現れた。


 教会のあった、まさにその位置に立ち上がった光の柱。その根元から姿を現したのは、少年だった。片手に一本の剣を握り、もう片方には成人男性の頭を持っていた。頭は首から下がなく、何か鋭利な刃物で斬り取られていることが想像された。当然、少年の手に持った剣が、その想像することすら恐ろしい暴力を行った、とフィッフスは考えたが、しかし、あまりにもその想像はしっくりと来ないものだった。その残虐を働くには、首を持った少年は、幼過ぎた。


 だが、次の瞬間、フィッフスはその想像を改めることになった。


 少年に向かって賊の一人が、手にした剣を振りかざして襲い掛かった。その男を少年は手にした剣でひと薙ぎにした。襲い掛かった賊の身体は、ちょうど腹のあたりから上が宙を舞い、そこから下の半身は、その場に倒れた。もう意思が伝わるはずのない足がじたばたと動く様子がフィッフスにも見え、宙を舞った上半身が、内臓の帯を引きながら地面に落ちる様もはっきりと見えた。


 大の大人の身体を、それも片手で真っ二つにすることなど、同じ大人でも不可能なことである。それを軽々とやってのけた少年は、さらに手近な賊に襲い掛かると、瞬く間に三人の男が少年の剣の餌食となった。


「フィッフスさん、逃げてください、あれは……」

「あれは、あの剣は……」


 リディアがフィッフスのすぐそばに来て囁いた。それはわかったが、フィッフスは少年の握った剣を見ていた。


 あれは、地下教会にあった彫像が握っていた剣ではないのか。


 刃が紅いことを除けば、その剣は、彫像の剣と酷似していた。


「アルバ!」

「だめ、戻って!」


 子どもの声と、リディアの絶叫が続いた。フィッフスがわずかに視線を動かすと、リディアの手を離れて、子どもの一人が、血の猛威を振るう少年に向かって駆け出していた。


 少年と同じ年頃の子どもが、どういうつもりで駆け寄ったのかは、わからない。次々に賊を斬り倒していく行為に、賛辞を告げようとしたのか、それとも彼にこれ以上の残虐行為をさせまいと、彼を止めようとしたのか。それはわからなかった。


 わからないまま、少年の傍まで駆け寄った子どもの首が、宙を舞った。


「あっ」


 吐息のような声は、誰のものだったのか。考える間もなく、その光景を目にした子どもたちが平静を失い、蜘蛛の子を散らすように、闇雲に逃げ始める姿を、フィッフスはただ見ていた。森の中に逃げ込んでしまうもの、教会の方へ……あの少年の方へ近寄って行ってしまうものもあった。


「あれは……アルバなのかい……」


 フィッフスの脳裏に、アルバの姿がいくつも浮かんだ。リディアを守ると言ったアルバ。他の子どもたちにからかわれ、本気で怒ったアルバ。『剣の神様』に真剣に祈っていたアルバ。そしてそうでないときは、満面の笑顔で遊び、リディアにも、フィッフスにも甘えた、アルバの姿が浮かんでは消えた。


「みんな、戻って!」


 リディアの声も、子どもたちにはもう届かない様子だった。とにかく、子どもたちを集めようと思ったのか、走り出そうとしたリディアの手を、フィッフスは力任せに掴んで止めた。


「フィッフスさん!」

「……大陸統一王国時代、王は権威の象徴として、百振りの、魔力を宿した剣を作らせた」


 いったい何をこんな時に、と困惑と苛立ちが混ざり合った顔を、リディアが向けてくる。掴んだ手を振りほどこうとしたが、フィッフスはさらに力を入れてそれを止めた。そして、フィッフスはある確信を持って言葉を続けた。


「やがて王国は崩壊し、世界には強大な力を有した、百振りの魔剣だけが残された」

「百魔剣……物語……」


 リディアは振り返り、呟くように言った。そう、これは百魔剣物語の冒頭。リディアにも、フィッフスが言おうとしていることが伝わったようだった。


「あの、地下の遺跡にあった像の剣は、その百振りの魔剣のうちの、ひとつだった……」


 わからない。


 確かなことは、誰にも言えない。


 だが、天を紅く染め上げる、自然の理さえも捻じ曲げる程の力、そしてただの少年が、あれほどの力と残虐性を持つに至るその力の源は、フィッフスにはそれしか思いつかなかった。


 アルバが鈍く、紅く光る天に向かって咆哮した。獣のように、身体を小刻みに震わせながら、言葉として表現するのが困難な奇声を上げる。


 そこに、隙が生まれた。


「死ね、バケモノ!」


 もはや数も少なくなった賊の生き残りが、その一瞬の隙を突いた。長い剣を正面に構えて、文字通り突進した賊の方を、アルバはゆっくりと首を動かして、見たようだった。だが、その時にはもう、賊の剣を避けることはできなかった。


 ドスッ、という鈍い音は、少し離れた場所にいるフィッフスの耳にもしっかりと聞こえた。


 アルバの手から、賊の生首が転げ落ちた。


「アル……」


 リディアが叫ぶ。しかし、その声は最後まで続かなかった。フィッフスもまた、言葉を失う。


 アルバに剣を突き立てた賊の両足が、ゆっくりと地面から離れ、宙に浮いた。


 よく見れば、突き刺さった剣の刃の部分を握りしめ、自ら引き抜いたアルバが、その長い剣ごと、得物を握っている賊を力任せに持ち上げているのだった。


 賊の男は、手を離せば逃れられることも忘れてしまったのか、それとも恐怖のあまりそうした判断力が停止してしまったのか、慌てたように足をばたつかせるだけだった。が、その足をフィッフスが見た一瞬後には、凄まじい力で空中に舞い上げられていた。アルバが引き抜いた剣を頭上に掲げた結果だったが、まるで子どもか人形のように宙を舞った男の身体が、今度は重力の虜となって地面に向かって落下を始めた。その真下には当然アルバがいて、アルバは男が手にしていた剣を握り直し、切っ先を天に向けて構えた。その剣の上に、男の身体はまともに落下した。


「うっ!」


 呻き声を上げて目を逸らしたリディアとは対称的に、フィッフスはその様をはっきりと見た。胸と背、二度、刃が筋肉を突き破る生々しい音と、男の断末魔が山々に木霊した。


「……リディア、あんたは森の中に逃げた子どもたちを集めて、ここを離れるんだ」


 アルバがまた叫んだ。それは獲物を仕留めた獣の咆哮のようにも聞こえたが、しかし、フィッフスは、それとは少し違う響きを感じていた。


 なぜか、止めどない悲しみのような響きに聞こえたのだ。


「フィッフスさん!」


 リディアが拒絶の意思を込めた声で、フィッフスの名を呼んだ。フィッフスはそれを無視して、彼女を自分の背後に回すと、下げていた鞄から、短い杖を取り出した。伸縮式になっている杖の先には、小さな光る石が嵌め込まれていて、その石に、衝撃を放つことのできる魔法が込められていた。護身用の『媒体』である。


「いいね、必ず逃げるんだよ!」


 そう言って、フィッフスは杖を伸ばし、アルバに向かって駆け出した。


 こんな『媒体』で、魔剣を相手にできるはずはなかった。それはフィッフスが一番わかっていた。だから、この時、フィッフスは覚悟していた。


 リディアと、生き残った子どもたちのために、自分はアルバの、魔剣の贄となることを。

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