第6話 地下遺跡

 リディアに案内されたのは、彼女と子どもたちが暮らす石造りの古い教会の、すぐ裏手だった。背後の森と教会の敷地内の境に位置するその場所の地面に、まったく突然に、ぽっかりと空洞が出来ていた。女性であれば大人でも通ることのできる程の大きさの空洞は、近づいてみるとその中に、明らかに人の手によるものと分かる、石を敷き詰めた階段が地下へと向かって伸びていた。


「先日、子どもたちがこの穴を見つけたんです。誰かが踏み外したらしくて……」


 でも怪我はなかったんです、それだけが不幸中の幸いで、と続いたリディアの言葉を、フィッフスは半分も聞いていなかった。いや、音として聞こえてはいた。ただ、意味を解する集中力が、その時のフィッフスにはなかった。フィッフスの意識は、その石を敷き詰めて作った階段に注がれていた。


 様式は、かなり古い。旧統一王国時代のそれに見えた。フィッフスの好奇心が、どん、どん、と胸を内側から打ち付けていた。これはいったい何なのか。階段に歩を進め、穴の奥へと降りていくリディアに続いて、フィッフスも空洞の中へと入った。


 内部は、当然暗闇……と思ったが、意外にも完全な暗闇は訪れなかった。階段の両脇の壁も、天上も、明らかに人造のもので、四角く切り揃えられた化粧石が貼られている。その化粧石の壁に、等間隔に蝋燭の火が灯っていた。


 一見すると、ただの蝋燭と、それを灯した金色の燭台に過ぎない壁面の金具だったのだが、フィッフスはそれを見た瞬間、肌が粟立つ感覚に襲われた。


 階段を降り切ると、化粧石の壁面と床は、そのまま奥へと続く通路になった。壁面の燭台は、やはり等間隔のまま、奥へ奥へと延びている。そしてフィッフスたちを奥へと誘うように、歩みに合わせて一つ、また一つと明かりを灯していくのだった。


 フィッフスは、そのうち一つの燭台に顔を近づけてみた。炎が確かに灯っている。だが不思議なことに、顔を近づけても、全く熱さを感じなかった。


 これは本物の炎ではない。半ば以上予想した通りの答えに、フィッフスは興奮のあまりさらに鳥肌が立つ感覚を味わった。


 旧王国時代の、人の存在を感知して、自動的に火を灯す魔道具、現在で言うところの『媒体』である燭台型の明かりは、他の様々な遺跡から発掘されている品物であるが、このようにちゃんと機能し、その役割を果たしているものは極めて少ない。


 階段と通路の装飾、そしてその備品である『媒体』の燭台。これほど美しい状態で残っている遺跡を、フィッフスはほとんど見たことがなかった。過去に数度、調査に参加した、状態の良い遺跡は、いまではその土地土地の国家の管理に置かれている。それほど、保護、保全をする必要と、価値を見出された美しい遺跡であるということだが、いまいるこの場所も、それら遺跡と何ら引けを取らない。


 子どもたちが『剣の神様』と呼ぶものが何なのか、研究者としてのフィッフスは期待せずには居られなかった。前を歩くリディアの背に、歩調を合わせて従ったが、逸る心は駆け出して、奥にあるという『剣の神様』とその遺跡に、一刻も早く触れたい、と無言の叫びを上げていた。だからだろう。『剣の神様』が祀られた祭壇までは、地下に降りてから、ほんのわずかな距離だった。にもかかわらず、フィッフスはかなりの距離を歩かされたように感じた。一歩ごとに高まる期待感が、道のりを長く感じさせたのだ。


「これが……」


 その祭壇を目の前にしたフィッフスは、続く言葉を失った。


 リディアが、こちらです、と示したもの。地下通路の奥に突然現れた広い空間。その突き当りに作られた、祭壇のようなものと、その上に置かれた石造りの、男性の姿をした彫像。フィッフスはそれを子どもたちが『剣の神様』と呼んだ理由が、はっきりとわかった。子どもでなくても、この彫像を初めて見た人間は、これをそう呼ぶかもしれない。

 彫像は身体の正面で剣を大地に突き立てた、雄々しい格好でそこにあった。古く、一部が崩れてはいたが、その像からは言え知れぬ程荘厳な雰囲気が漂っていた。無邪気な子どもたちでも、その雰囲気には圧倒されてしまうだろう。そんな想像をさせるだけの存在感があった。


 フィッフスは像にゆっくりと、一歩一歩近づいた。地上にある教会の、ちょうど真下に当たるこの空間も、教会のように木製の長椅子が、フィッフスが歩を進める部屋中央の通路の両脇に並べられていた。当然古く、そのほとんどが朽ちていたが、在りし日の姿を想像させるには十分だった。


 地上と地下の二層教会。この奇妙な構造に気付き、フィッフスは疑念を浮かべた。こんな建物は見たことも、研究文献で目にしたこともなかった。


「子どもたちは『剣の神様』と呼んでいます」

「だろうねえ」


 実のない返事を返しつつ、フィッフスは彫像と祭壇を、ゆっくりと時間をかけて見、その両手で触れ、体感する。そうすることで、これが旧王国時代の遺跡と言って間違いないのかがわかる。それが研究者という生き物だった。


「……なんだろうねえ」


 しかし、この時は別だった。フィッフスは腕組みをし、その場で首を傾げた。見れば見る程、触れば触る程、この遺跡の祭壇と彫像は、フィッフスの持っている知識とは異なるものばかりだった。


 第一に、祀られている彫像が小さい。


 通常、このような遺跡の祭壇に見られる、崇拝対象としての彫像は、天上すらも覆い尽くす程、巨大なものが用意されている事がほとんどだ。だが、いま目の前にあるものは、ちょうど人間と同じくらいの大きさで、手にした大地を穿つ剣も、実際に人間が戦闘に使っても差し支えない程度の大きさでしかない。ある意味ではひどく現実的で、その点一つだけでも、他の遺跡と比べても、変わっている、と言える。


「剣の神様だよ!」


 いつの間に付いてきていたのだろう、フィッフスの足元に、声の主はいた。


 あの、アルバという少年だ。


「ぼくは、強くなってシスターさまを守るんだ。だから毎日強くなれるように、ここで剣の神様にお祈りしてるんだよ」


 ほら、こうやってさ、とアルバは跪いて、掌を合わせて目を閉じた。そして、小声で何やら呟いている。おそらく、アルバの叶えたい夢が紡がれているのだろう。アルバは一心不乱に、真剣さで硬直した横顔で祈り続けていた。


「リディア」


 フィッフスはそんなアルバの様子に目をやりながら、同じようにアルバに目を向けるリディアに声をかけた。リディアはすぐに応えたが、フィッフスが見たその表情には影があった。


 戦災で孤児になった子どもが、自分を暴力から守るために、腕力を望む。それは守られるリディアにとって、喜んでいいことなのか、それともアルバに力を望むことを止めさせるべきなのか、そんな複雑な思いが顔に現れていた。


 フィッフスがもう一度呼びかけると、リディアは驚いたように顔を上げた。


「この遺跡、少し時間をかけて調べてみたいんだけど、いいかい?」


 リディアはフィッフスの言葉に、深く頷いた。


「ええ、そのつもりでした。それに……」


 リディアがそこで言葉を濁し、視線をフィッフスから外したので、フィッフスは彼女の視線を追った。

 リディアは、『剣の神様』の彫像を見ていた。


「できれば早く、調べていただきたいんです。ここが、そしてあれが何なのか」


 そう言ったリディアの声には、微かにだが確かに、怯えの色があった。


 フィッフスはその微妙な声音の変化に気付き、なぜ早くしたいのか、と訊こうとした。だが、それが言葉になることはなかった。フィッフスにも、リディアが何を恐れ、怯えているのかがわかったからだ。


『剣の神様』の彫像。


 リディアが見つめるそれに、フィッフスはこの祭壇の間に入った瞬間から、言え知れぬ魅力を感じていた。それはフィッフスが旧王国時代の研究者であるから、という以前に、もっと人間の本能に近い場所で起こる、好き嫌いの問題と似た、ひどく初歩的な、それゆえに強く魅かれる感覚だった。それは言い換えれば『魔力』と呼んでも差し支えない、ある種の、人間が決して触れてはいけない領域のものが放つ、異常な存在感でもあった。


 リディアはそのことに気付いていた。それゆえ、強すぎる魔力のような異様な存在感に対して、怖れを抱いていたのだ。


 だが、フィッフスはリディアと同じような感覚を掴むことはできなかった。


 望まぬ者には力は与えず。望む者にのみ、望んだだけの力を与える。


 一瞬、以前どこかで目にしたその言葉がフィッフスの脳裏に浮かんで、消えた。いったい何の言葉だったか。あれは何かの伝承の中の一文で……


「まさか、ねえ……」


 フィッフスは一瞬思い浮かんだ可能性を、否定するように首を横に振った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る