第10話 最後通牒、です

 マーレイまでは、シフォアからおよそ三日の道のりだった。


 クラウスによれば、『神殿騎士団の長であるクラウスの巡察に、シホが同道することになった』との名目を、マーレイに送った密偵たちに道すがら、触れて回るように指示した、との事だった。目的地までの各都市では手厚い歓迎を受け、突然の『聖女』来訪に対する疑問を向けられることはなかった。シホは高司祭としての務めを教会のある二つの宿場町で行いながら、三日後の夕方、目的地へ到着した。


 このまま日が暮れるまで街道を走れば、貿易自治都市マーレイに入る。それほどの距離に、目的の丘陵遺跡群はあった。シホたちは遺跡群の入口から街道を逸れ、影になる場所で馬車を降り、半分の兵を馬車周囲に残して、丘へと上がった。


 かつては大きな都市だったのかもしれない。そんなことを感じさせる石造りの建物の壁や、崩れた屋根などが、丘陵を覆う踝丈の草に埋もれるように乱立する遺跡群の姿は、話や文献で見聞きするよりも、遥かに雄大で、時間と歴史の重みを感じさせるものだった。夕日が長い影を作り、そよ風に揺れる草が影を揺らす。今にも旧王国時代の人々が、その石壁の影から顔を出しそうなくらい、まだ生き生きとした印象を持つ、ひとつの街、と呼んでも差し支えのない遺跡群だった。


「内部を調査する。ルディ、右から回れ。エオリアとイオリアは左から」


 クラウスの指示が飛び、同道した神殿騎士たちが慎重な足取りで遺跡群に進入していく。と、待て、というクラウスの短く強い、制止の声が広がった。


 各々、崩れた石壁に身を潜めた。シホもクラウスに従い、手近にあった石壁に身を寄せる。


 かつては窓硝子が嵌まっていたであろう、斜めになった四角い枠から、クラウスが石壁の向こうの様子を注視していた。シホはそれに倣い、そっと角枠から向こうの様子を覗いた。


 明らかに街の形を成している遺跡群の中心に、一筋、獣道のように草が薄くなっている場所があった。おそらく、かつては本当に、街の中心を貫く大道だったのだろう。その獣道の向こうから、馬の蹄の音が響いてくる。クラウスが一瞬、身を屈め、シホもそれに倣った。


 馬車は一台で、シホたちの存在には気付くことなく、高速で駆け抜けていった。石壁に半ば以上遮られた視界の向こうに、駆け抜けていく車体が見えたが、その客車の側面に、マーレイの都市章が刻印されているのが、シホにもはっきりと見えた。


「やっぱりマーレイの……」


「まずいですね」


 クラウスが表情を変えずに言う。あまりにも抑揚なく、表情にも変化がないため、シホは何がまずいのか、分かりかねて、しばらくその横顔を見ていた。それに気づいたのか、クラウスがシホを見た。


「いまの馬車でローグという男が……魔剣が運び出されたかもしれない、ということです」


「つまり、ここにはもう……」


「その恐れはあります。シフォアの事例もあります。大都市に入られる前に、人気のないところで確保したかったのですが、後手に回ったかもしれません」


 シフォアの事例、と言われ、シホもあの惨劇を思い出した。動き回る死体。次々と襲われる騎士、兵士、教会関係者、そして被害は、シフォアの市民にまで及んだ。


 マーレイはシフォア以上の大都市である。あの街であの夜、シフォアで起きたことと同じことが起これば、被害は計り知れない。


「あるのか、ないのか、まずはそれを確認しなければなりません」


「行きましょう。ここで封じることができると信じて」


 シホの言葉にクラウスが頷く。頷き合った二人は石壁から静かに身を放した。




 日が落ちて、空には半分かけた月が昇った。


 今夜の月光は非常に強く、遺跡群の中は青白く、仄かに明るく、歩き回るには十分な明るさを保っていた。


 シホとクラウスの元に、同道した神殿騎士数名が戻ってきた。遺跡群の中の様子を、各々小声で伝えてくれる。


 それによると、最近、火を起こした痕跡や、飲食をした様子などがある場所を数か所見つけた、という。


 やはり誰かが潜伏していたことに間違いはなさそうだった。わずかな手掛かりから、魔剣アンヴィを持ち去った傭兵の足跡を追うことのできるクラウスの洞察力に、シホは改めて驚嘆した。


 何者かの存在を示す痕跡を、クラウスが取りまとめる。手近にあった小さな石を数個、目印になる廃墟に見立てて並べ、即席の丘陵遺跡群地図を足元に作ったクラウスは、部下たちに調査した内容を詳細に報告させた。


 それによってわかったことが二つ。


 一つは遺跡群の中心に、大きな廃墟があること。


 石壁だけが残る他の建物とは違い、部分的ではあるが屋根も残る、いまでも十分、建物としての機能を残している、そういう建築物がまだあること。


 そしてもう一つは、その大きな廃墟の周囲に、人のいた痕跡が多く残っていること、だった。


「ここか……」


 クラウスが即席の地図の中心に置いた、少し大きな石ころを指さした。


「包囲するように接近する。エオリア、イオリアはこの塔のから北と西に展開してくれ。ルディとカーシャの隊は東側を。わたしとシホ様はここから真っ直ぐ、北へ進む形で南側を抑える」


 てきぱきとした動作と声で、クラウスが地図を示しながら指示を出した。彼の部下たちが気を引き締め直した表情が、月明かりの下で深い陰影を刻む。いよいよだ、とシホも思った。


 その、瞬間だった。


 ざわり、とした感触が、シホの背中を撫で上げた。


 


 それは、確信だった。シフォアの神殿で、初めて百魔剣の一振りと向き合った時。アンヴィがこちらを見つめ返していた、あの感覚。物であり、命ある者ではないはずの剣に、じっ、と見られている、あの感覚。頭の先から爪の先、体の中、骨の髄まで舐めまわすような、あの気味の悪い視線。いま、シホの背中を撫で上げたのは、それによく似ていた。だが、アンヴィとは少し違っている。これは……


「本当に、ここを割り出しちゃったんですねえ。何というか、切れ者過ぎてちょっと怖いですよ」


 まったく唐突に響いた声は、女の子のような可憐な声音だった。だが、この声には聞き覚えがある。


「やっぱり、手を引いてもらいたいらしいんですよ。ああ、ぼくじゃあなくて。相変わらずぼくは頼まれただけなので、上の人たちがね」


 シホが振り返ると、そこにはやはり、あの民族衣装に身を包んだ少年が立っていた。


「アザミ・キョウスケ」


「あれ、ぼく、名前教えましたっけ。ああ、リディアさんか。あの人、そんな話のできる人だったけなあ」


 月光と廃墟の作り出す陰影の中に立つ、女性と見紛うほど整った顔立ちの少年は、小首を傾げながらクラウスの呼ぶ声に応える。その仕草のせいで、余計に女性のように愛らしく見るが、しかし、その顔に、シホはこの少年がアシャンを殺害した時の、血に塗れた手と、何の感慨も抱かない表情を思い出した。


「まあ、いいや。とにかく、天空神教はアンヴィから手を引いてもらえませんか。これはお願いと……」


 そこで少年は、腰に佩いた剣を抜いた。切っ先から柄までの長さは女性の上腕ほど。片刃で、鍔はなく、太い刃を持った短剣。大陸東方諸島群に住む人々が使うものだ。リディアが話していた。あれが、アザミ・キョウスケの使う魔剣だと。


「最後通牒、です」


 百魔剣、魔剣夢幻を構えたアザミ・キョウスケの姿が、その場から消えた。

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