⑳Time to 一本釣り

「ホント、しつけぇな!」

〈マスタード〉はストーカーを罵り、塀からビルに飛び移る。

 続けざま手の平の口で吸い付き、ヤモリのように外壁を登り始めた。


 粘着質なエスカは、案の定、〈マスタード〉を追う。

 さすがは万年食料不足の深海魚。

 一度見付けた獲物は、絶対に逃さない。


 ぐらぁぁ!


〈マスタード〉の背後に回ったエスカは、ぐぐっ……! とイリシウムを縮めていく。直後、一気に身体を伸ばし、自らをパチンコ玉のように撃ち出した。


〈マスタード〉はエスカを引き付け、引き付け、引き付け、隣のマンションに跳ぶ。すかさず窓の砕ける音が響き、背中にガラス片が吹き付ける。今度はブレーキが間に合わずに、ビルへ突っ込んでしまったらしい。


 ぐらぁぁ……!


 顔面で窓を貫いたエスカは、そのままビルの中に潜り込んでいく。それから整然と並んだ机を締め上げるように旋回し、再び窓の外へ飛び出した。


 ぐらぁぁ……!


 怒りに打ち震える顔は、口から黄緑の飛沫しぶきをまき散らしている。

 雨のように降り注ぎ、街を火の海にしたあの液体だ。


「飛び道具とか反則だろ!」

〈マスタード〉は真空ポンプのパワーを下げ、手の平に空気を入れる。途端に手の平の口が、吸盤が吸い付く力を弱め、身体がビルを滑り落ちていく。


 ききぃぃ~!


 窓ガラスと籠手こての爪が擦れ合い、全人類を悶絶させるあの音が響き渡る。


 ぐらぁぁ!


 エスカは精神的な苦痛に顔を歪め、抗議の悲鳴を上げる。ついでに黄緑の唾を吐きかけ、〈マスタード〉の待つマンションに飛び掛かった。


〈マスタード〉の真上から爆発音が轟き、地面と平行に火柱が突き出す。同時に強い震動が建物を揺さ振り、〈マスタード〉を空中に投げ出した。


「うわわっ!」

〈マスタード〉は口から頓狂とんきょうな声を、足の裏から圧縮空気を噴き出す。そうして落下のスピードを緩めると、マンションの玄関前に降り立った。


 すかさず跳躍し、再度、足の裏から圧縮空気を撃ち出す。白煙に突き出され、土煙の滝を突破すると、そこはエスカの真上だった。


「どりゃっ!」

〈マスタード〉は圧縮空気を停め、落下の勢いを味方に付ける。

 立て続けに肘を突きだし、エスカの脳天に叩き付けた。


 ぐらぁぁ!?


 一瞬、ヤシの実を割ったような感覚が走り、断末魔の声が響き渡る。

 同時にエスカの頭が潰れ、黄緑の脳漿のうしょうが飛び散った。マンションの外壁に吹き付けた血痕は、ヘタウマなグラフィティアートに見えなくもない。


「あっちは!?」

〈マスタード〉は速やかに着地し、怪獣に目を向けた。

 怪獣を包囲したフリンジたちが、何度も何度も巨体に食らい付いてる。紐状の凶器に繰り返し貫かれる怪獣は、雁字搦がんじがらめに縛り上げられていた。


 少しでも肉がこびり付いていれば、骨が剥き出しになった部分にも飛び掛かる獰猛さ。

〈カンディルアー〉とは、よく言ったものだ。

 あの執拗さ、それ以上に適切な名前が思い付かない。


 ほげぇぇ……。


 怪獣は次第に苦痛の声を小さくし、血溜まりにうつぶせていく。

 しなやかに空中を漂っていたエスカたちも、今や殺虫剤を浴びたハエ状態。

 一匹また一匹と地面に落ち、ぴくぴくと痙攣けいれんしている。


 とは言え、〈マスタード〉も余裕のある状態ではない。


 煌々こうこうと輝いていた流動路が、あからさまに曇ってきている。

 どうも肺の片方が膨らまないが、折れた肋骨でも突き刺さっているのだろうか。息苦しさと共に脂汗が染み出し、仮面の底に溜まっていく。


 今は最大のチャンスであると同時に、最後のチャンスでもある。

 多少危険でも、けるしかない!


〈マスタード〉は決心し、一度全てのフリンジを手元に引き戻した。

 怪獣の体液にまみれた大群を、空中でねじり、り合わせていく。

 そうして一〇〇〇本を超えるフリンジを、一本の銛に束ねる。

 丸太のように太い切っ先なら、大物も一発で仕留められるだろう。


「はぁぁぁ……!」

〈マスタード〉はうなるように息を吸い、遥か後方まで銛を振りかぶっていく。

 スローインのように振り抜き、額を地面に打ち付けんばかりに振り切り、銛を撃ち出す。

  途端、肋骨が激しくうずき、顔面に生温なまぬる飛沫しぶきが吹き付けた。どうやら口から飛び出た血が、仮面の内側に砕かれたらしい。


「撃ち抜け!」

 空中に放たれた銛は、その瞬間、一本の残像と化した。


 きぃぃぃぃん……。

 黄色い直線が地面スレスレを突き進み、航空ショーばりの風音が鼓膜をきしませる。強烈な衝撃波は道路をえぐり、両脇の電柱を次々と薙ぎ倒した。

 ついには橋脚きょうきゃくが粉砕され、歩道橋が崩れ落ちる。膨大な瓦礫は根こそぎ宙を舞い、空の一画を黒く塗った。


 ほげぇぇ!?


 怪獣は驚愕の声を発し、間抜けに口を空く。

 瞬間、怪獣の口に残像が飛び込み、喉の奥へ消え去る。

 途端に体内から放たれる衝撃波が、怪獣の頭を、腹を膨張させる。続けて尾ビレの付け根から銛が飛び出し、ミンチ状の赤身をまき散らした。


 ほげぇぇ……!


 串刺しになった怪獣を、見る見る血煙が包み込む。

 だが、奴は倒れない。

 むしろ痛みで目が覚めたように、地面へ着けていた腹を浮かせていく。

 これでも駄目なら、もっと非常識な一撃を叩き込むしかない。


「お望み通り、釣り上げてやるよ!」

〈マスタード〉は銛を釣り針のように変形させ、軽く引き戻す。釣り針は刹那、地面を削り、「返し」を怪獣に食い込ませた。


 ひとまず狙い通りだが、掛かっただけでは「釣果ちょうか」とは言えない。むしろ、ここからが魚との勝負だ。


〈マスタード〉は釣り針の根元をかつぎ、肩幅に足を開く。

 加えて地引き網を引くように踏ん張り、足の裏の口で地面に吸い付く。


 さあ、準備は整った。

 いよいよ一本釣りの時間だ。


「こんのおお!」

〈マスタード〉は残された力を腕に集め、世界一の大物を引っ張る。

 一瞬、釣り針に繋がる竿状の部分がしなり、ぎちぎちときしみだす。激しく戦慄わななく様子は、今にでも折れてしまいそうだ。


 ほげぇぇ!


 怪獣は身を低くし、胸ビレで地面にしがみつく。

 釣られそうになったら抵抗するのは、魚の本能だ。


「ぐぅぅ……!」

 ほげぇぇ……!


 釣り人と魚の双方から漏れ出すうなり声。

 事情を知らない人に聞かせたら、確実に「分娩ぶんべんちゅう」と答えることだろう。

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