⑯Power
「趣味がワリぃにもほどがあるっての……!」
思わず毒突くと、〈マスタード〉は一つずつエスカを確かめていく。
幸い家族や親しい人たちの顔は交じっていない。
反面、奴等の宿主になり、誰かを襲うことはなかったようだ。
だが〈マスタード〉は息を止め、激しく肩を
見開いた目に映るのは、一つのエスカ。
家族や親しい人々ではないが、それ以上に忘れられない顔。
芦尾香苗の母親だ。
黄緑の
限界以上に開いたせいで、鼻の上より長くなった口。
葬儀の日のように悲痛な叫び声は、半平に訴え掛けている。
なぜ、あなたは生きているの? ぬけぬけと生き返ったの?
半平には、その
「俺は……」
〈マスタード〉はエスカから目を
報いは、電車に
何が起こった!?
右に視線を飛ばし、怪獣の胸ビレを、地上最大の平手を見た時にはもう遅い。
既に地面から足が離れ、身体が風音を奏でている。
〈マスタード〉は地表を
突風と土煙を
ドミノのように陳列棚を倒し、倒し、倒しても、勢いは全く衰えない。
〈マスタード〉は
瞬間、フロントガラスに穴が空き、交通安全のお守りが宙を舞う。同時に〈マスタード〉はリアウィンドウを貫き、ワゴンの後ろにあった自販機に飛び込んだ。
たちまち自販機が陥没し、ナマズの魚拓を刻み、重量級の衝撃が骨格を殴打する。加えて
「ぐあ……」
〈マスタード〉はボロッと陥没から剥がれ落ち、顔から地面に倒れ込む。
何と言うことだろう。
地面に手を着くつもりが、指一本動かせなかった。
仮面に保護されていたはずの脳が、細かく痺れている。
全身の骨が、老朽化した階段のように
咳が、咳が止まらない。
口から濁った音が噴き出す度、仮面の内側に鮮血が吹き付けている。
程なくモニター上の景色が砂嵐に変わり、〈PDF〉の略図から目の灯りが消える。どうやら、メインカメラをやられたらしい。
すぐさまサブカメラが起動し、砂嵐を景色に戻す。多少画質は粗くなったが、外部の様子を把握するのに支障はない。
ほげぇぇ!
怪獣は〈マスタード〉には見向きもせずに、全身のイリシウムを天へ伸ばす。
もしかしたら、偶然アリを踏んだくらいにしか思っていないのかも知れない。
ぐらぁぁ!
エスカと言うエスカが黄緑の液体を
同時に「ガラガラ」の大合唱が響き渡り、彼等の口から白煙が棚引く。
ぐらぁぁ!
エスカたちは一回
瞬間、彼等の口から黄緑の液体が飛び出し、硬球ほどの水玉と化した。
ひゅうぅぅ……。
長く風音を響かせながら、無数の水玉が天に昇っていく。
紫紺に染まった空を、こぼれんばかりに埋め尽くす点。
まるで
ほげぇぇ!
不意に怪獣が絶叫し、全身のエスカが天を
空に祈りを捧げるような仕草は、雨乞いだったのだろうか。
途端に黄緑の水玉が落下を開始し、大地に降り、降り、降り注ぐ。
刹那、街の隅々から閃光が
恐らくあの水玉には、落下の衝撃で爆発する性質があるのだろう。しかも炎の大きさを見る限り、一発一発が〈
沿道の建物から次々と爆炎が沸き上がり、赤く融けたコンクリ片が乱れ飛ぶ。
地面から乱立する火柱は、周辺の車を一台残らず打ち上げてしまった。
水玉の降雨量に比例して、炎が広がっていく。
炎の面積に比例して、ススと黒煙が夕日を
ただでさえ停電していた街は、見る見る暗闇に呑まれていった。
これではまるで、恐竜絶滅の再現だ。
「畜生っ……!」
〈マスタード〉は地面に拳を突き立て、
少し力んだだけで骨が
普段なら一ヶ月先まで横になっているところだが、今は悠長に寝ている場合ではない。一刻も早く、あの怪獣をどうにかしないと、街が更地になってしまう。
「ぐぅぅ……!」
徐々に重い背中が浮き、腹と地面の間に空間が出来る。
何とか顔を上げると、今にも崩れそうなビルが目に入った。
最悪だ。
玄関の前に止まった車に、親子が取り残されている。
運転席の女性は必死に
どうも度重なる爆発のせいで、車体が歪んでしまったらしい。
「助けねぇと……!」
〈マスタード〉は足の裏から圧縮空気をブッ放し、無理矢理自分を撃ち出す。
地表と平行に伸びた白煙は、〈マスタード〉を車のボンネットに叩き込んだ。
「きゃぁ!」
激突した拍子にエアバッグが膨らみ、運転席の女性が
一瞬ヒヤッとしたが、後部座席の姉弟も含め、ケガをした様子はない。
「待ってろ……! 今、助けてやる……!」
〈マスタード〉はボンネットに手を着き、震えるヒザを伸ばしていく。
ようやく立ち上がると、ビルの屋上が派手に揺れるのが見えた。
もう猶予はない。
急いでバンパーを掴み、車を安全な場所まで引きずっていく。
相手は大人一人、子供二人を乗せた大物だが、想像以上に軽い。
これなら裁縫箱の入った段ボールのほうが、ずっと重かった。
「この辺なら大丈夫か」
念のため、多めに距離を取り、車を路肩に置く。
タイミングを図ったように地鳴りが響き、ビルの上半分が横に滑りだす。
あれよあれよと言う間にビルが崩れ落ちると、土煙が地表を薙いだ。
前後して、コンクリ片が、割れたガラスが降り注ぎ、瓦礫の丘を作り上げていく。もし車が最初の位置に停まっていたら、確実にプレスされていただろう。
「大丈夫?」
〈マスタード〉は軽く問い掛け、ヒビの入ったフロントガラスを覗き込む。
返って来たのは、短い悲鳴。
運転席の女性は膝を抱え、ひたすら顔を引きつらせている。
どうやら、恐怖に顔を歪ませることすら出来ないらしい。
……怯えて当然だ。
〈マスタード〉は自分に言い聞かせ、震える唇を噛み締めた。
軽々と車をレッカーするなど、
おまけにボンネットに映る骸骨は、〈
嬉々として肉を食いちぎる姿は、さぞ恐ろしかったことだろう。なまじ人間が姿を変えた分、怪物の〈
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