どーでもいい知識その② ヤドクガエルの毒はバトラコトキシン

「チョウさんのはねにはリンぷんがありますよね? モルフォチョウさんのリンぷんは、はねの表面にすっごく細かい溝を作ってるんです。確か溝と溝の間隔は、二万分の一㍉くらいだったと思います」

 モルフォチョウのはねに差した光は、この溝に入り込むそうだ。


「ほとんどの色の光は、溝の谷間で反射している内に相殺されてしまうんです」

「……谷間、ねえ」

 こっそり呟き、半平はハイネの胸をチラ見する。

 うん、無縁だ。


「半平さん、説明続けてもいいですか?」

 柔和な口調で訊きながら、ハイネは半平をじーっと見つめる。

 模範的な微笑みは、マックの〇円メニューそのものだ。

 ――が、荒々しい鼻息は、突進寸前のイノシシそのものだ。

 何となく今のハイネには、刃物を持たせたくない。


はねの溝から出て来られるのは、青い色の光だけです。しかも青い光に限っては、谷間で反射している内に強まっていくんです」

「光の反射で色を出してるんでしょ? ニンジンとかポストと同じじゃね?」

「乱暴に言えばそうですね。結局、ヒトの見てる『色』って言うのは、光の状態ですから」

 軽く頷き、ハイネはペットボトルに口を付ける。

 しばらく喉を波打たせると、彼女はしっとり濡れた唇をハンカチで拭った。


「ニンジンとモルフォチョウの違いは、カロテンみたいに特定の色を出す成分がないってことです。色素自体はあるんですけど、青い光を強調するのが役目です。モルフォチョウはあくまでも、リンぷんの形で光を選別して、青い光を放ってます」


「形で色を出すから、『構造こうぞうしょくって言うわけか」

「花丸です」

 ハイネは空中に「◎」を描き、最後に花びらを付け加えた。


「CDの裏が七色に見えるのも、同じ原理です。情報の記録された溝が、光を反射させてます」

「もしかして、タマムシの『玉虫たまむしいろ構造色こうぞうしょく?」

 金属質の輝きなら、タマムシも負けてはいない。

 祖母のタンスの中に横たわる姿は、周囲の着物より遥かに色鮮やかだった。


 事実、アクセサリーにすることもあると言うが、祖母の場合はもっと実用的な理由があったらしい。何でもタマムシをタンスに入れておくと、衣服に虫が付かないそうだ。


「はい、タマムシさんも構造こうぞうしょくの持ち主です。モルフォチョウさんやCDの裏面とは、少し仕組みが違いますけど」

「え? 構造こうぞうしょくって種類があんの?」


「タマムシさんのはねは、薄い膜が二〇層くらい重なって出来てるんです。この薄膜うすまく――『クチクラ』は、層ごとに異なる色の光を反射してます。この反射光同士がぶつかり合って、弱くなったり強くなったりして、虹みたいな色を出してるんです」


「けどさ、あんなに目立って大丈夫なの?」

 生物は普通、周囲の景色に溶け込もうとする。

 狩る側にしろ狩られる側にしろ、見付かりにくいに越したことはない。

 現に草むらで獲物を襲うカマキリは、緑色をしている。

 タツノオトシゴの外観も、海藻に似せていった結果だ。


 ただし、全ての生物が地味な色をしているわけではない。


 世の中には派手な色に身を包み、わざと目立つ生物も少なくない。

 例えばヤドクガエルのカエルは、「ミナミの帝王ていおう」の竹内たけうちりきばりにド派手なよそおいをしている。


 ヤニクロやひまむらでは見ない色づかいは、ズバリ「ワシ、毒がありまんねん」と言うアピールだ。一番危険なのはモウドクフキヤガエルで、バトラコトキシンと言う神経毒しんけいどくを有している。


 神経毒しんけいどくとは文字通り、神経系に悪影響を及ぼす毒を指す。


 一つ有名な例をげるなら、フグ毒の主成分であるテトロドトキシンだろうか。長年、チャレンジャーなグルメを葬ってきたこの毒は、初期には唇の痙攣けいれん、重症化すると呼吸困難や手足の麻痺を引き起こす。


 バトラコトキシンの場合は心臓に作用し、不整脈や心臓麻痺を招く。致死量の多い少ないだけで言うなら、モウドクフキヤガエルの毒はハブやマムシより遥かに強力だ。


 ヤドクガエルのように危険性をアピールする体色は、「警告けいこくしょく」と呼ばれる。

 ハチが誇る黄色と黒のボーダー模様も、警告けいこくしょくの一種だ。


「タマムシって毒とかあんの? あのキラキラで警告してるとか?」

 彼等もまた、萬田まんだ金融きんゆうの一員なのだろうか?

「いいえ、とは言っても、無駄にキラキラしてるわけじゃないですよ。昆虫を食べる鳥さんは、タマムシさんみたいにうるさく変化する色が嫌いなんです」


「あーはいはい! ベランダにCDぶら下げとくと、カラスが来なくなるわな」

「モルフォチョウさんの場合は、あのキラキラで日光に擬態してるとか」

「な~にが、『半平さん、物知りですねえ!』だよ」

 半ば毒突き、半平は大きく足を投げ出す。


「俺なんかより、ハイネのほうがずっと物知りじゃん」

 彼女の知識量に驚かされるのは、これで何度目だろう? つい三日前も、哺乳ほにゅうるいの先祖がデカメロン……いや、ディメトロドンと言う爬虫はちゅうるいだと教えてもらった。


「お友達に教えてもらっただけですよ」

 ハイネは照れ臭そうに笑い、そそくさと説明を再開する。

構造こうぞうしょくには、塗料にはない利点が沢山あります。一目で判るのが、発色の鮮やかさですね。ペンキや絵の具とは比べものにならない美しさは、古くから人間さんたちを魅了してきました」


 言われてみれば、法隆ほうりゅうにも国宝「玉虫たまむしの厨子ずし」がある。確か日本史の教科書には、五〇〇〇匹近いタマムシが使われたと書いてあった。


構造こうぞうしょくは実用性も高いです。塗料は剥がれたり、日に焼けて色褪いろあせたりしちゃいますよね? 構造こうぞうしょくの場合は、色を生み出す形が壊れない限り、褪色たいしょくしません」


「そういや、CDの裏面がくすんだなんて話は聞いたことねーな」

「化学的な成分の含まれる塗料とは違って、環境にも優しい。反面、人工的に再現するのは難しいです。昆虫の真似をするためには、数万分の一㍉レベルで材料を加工しないといけません」


「けどさ、最近はよく聞かね? ナノテクってヤツ」

「はい! 最近は人間さんたちの技術力も上がってきて、構造こうぞうしょくの利用も増えてきてます!」

 よほど嬉しいのか、ハイネは大きく声を弾ませる。


「一九九五年には帝人ていじんファイバーさん、日産にっさん自動車じどうしゃさん、田中たなか貴金属ききんぞく工業こうぎょうさんが協力して、『モルフォテックス』って言う生地を作りました。この生地には構造こうぞうしょくの原理が活かされてて、見る角度や光の当たり方によって色んな色に見えるんですよ」

 早口で説明しながら、ハイネは慌ただしくポケットをまさぐる。


「日本ペイントさんは、『マジョーラ』って言う塗料を販売してます。『マジョーラ』にも構造こうぞうしょくの仕組みが応用されてて、光の加減によって全然違う色に見えちゃうんですよ」

 話が終わるやいなや、盛大に土埃が巻き上がり、ハイネが半平に迫る。

 ジョーズ調の足音に圧倒された半平は、思わずベンチから跳び上がった。


「こっちの鬼さんもこっちのカブトムシさんも、マジョーラで塗られてるんですよ!」

 ハイネは突進し、突進し、突進し、壁際に半平を追い詰める。

 張り手のごとく突き付けられる左手には、桜色のスマホが貼り付いていた。

 必死に何かを見せようとしているようだが、もう少し画面を遠ざけてもらいたい。眼鏡のレンズに押し付けられては、視界が赤く染まるばかりだ。


 とは言え、SLばりにシュッシュポッポした鼻息を聞けば、薄々想像は付く。

 十中八九、日曜朝八時に正座して観ているあのヒーローだろう。

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