第二章『恋と出逢いと構造色』

どーでもいい知識その① モルフォチョウの青色は構造色

 田中たなか商店しょうてんは、稔津じんしん小学校しょうがっこうの目の前にある。


 大人にはタバコ屋、子供には駄菓子屋として親しまれる老舗しにせで、親子二代に渡って常連と言う家庭も珍しくない。地元ではオーナーの名にちなみ、「ヨシばぁの店」と呼ばれている。


 ヨシばぁの自宅兼店舗は、年季の入った二階建て。

 家屋は右に傾き、トタン貼りの外壁には赤サビが浮いている。

 入口のサッシはガタガタで、開ける度にキーっと鳴く始末だ。


 店内は埃っぽく、ドンキ以上に商品が詰め込まれている。ンマーイ棒もティロルチョコも賞味期限の欄が黄ばんでいるが、葛飾かつしかに気にする客はいない。


「ま、まだがすかる?」

 我が耳を疑い、半平は空き缶を持つ手をフリーズさせる。

「はい」

 何食わぬ顔は、質問が「原宿行ったの?」だったようだった。


「マダガスカルって……南米だっけ?」

「アフリカです」

 ハイネはベンチに腰を下ろし、買ったばかりのジュースを口に含んだ。

 ペットボトルの中身は、定番のライフガード。(株)チェリオの販売する炭酸飲料で、いもようかん、ベビースターラーメンと並ぶハイネの大好物だ。


「最近はウナギも輸入されてるんですよ」

「ああ、アンギラ・モザンビカか。中国産よりはうまいみたいね。皮は厚めらしーけど」

「半平さん、物知りですねえ!」

 大袈裟に拍手し、ハイネは身体を揺らす。

 たちまち年代物のベンチがきしみ、白い塗装が剥がれ落ちた。


 何せ何十年にも渡って、子供たちの暴行にえてきたベンチだ。一ヶ月前に釘を打ち直したばかりだが、もう板自体が限界を超えているのだろう。

 ……いや、誰かの尻がアレなせいか? 意外と安産型だし。


「これ、おみやげです」

 ハイネはトートから小箱を引き抜き、半平に差し出す。

「そーいや映画もあったっけ。ライオンとかシマウマのヤツ」

 半平は小箱を受け取り、包装紙代わりの新聞紙を剥がした。

 途端、昆虫標本が視界に入り、原色の光が瞳を突く。チョウと言い、甲虫と言い、虫と言う生き物はなぜこうもキラキラしているのだろう。


「えっと……、右のチョウさんがアンテノールジャコウアゲハさん。左のおっきなガさんは、マダガスカルオナガヤママユ。はねの尾みたいな部分が世界一長いガさんで、一五〇㍉にもなるそうです」

 ハイネはポケットからメモを出し、解説を始める。

 辿々しく読み上げる姿を見る限り、自分で書いたのではなさそうだ。


「こっちはマダガスカルカレハカマキリさん。学名はフィロウクレイニアパラドキサ」

 ハイネは得意げに笑い、枯葉に擬態したカマキリを指す。

 半平の甥っ子もよく、今のハイネみたいな顔をする。

 そう、全力で怪獣図鑑を開き、知ったかぶりを始める前に。


「実は私、学名だけは知ってたんです。ハートのカテゴリーKだから。あ、マダガスカルオオゴキ……ゴホン、ダークローチ的なのは、小一時間説得してリリースさせました」

「も、もういいわ。と、ともかくサンキュ」

 半平は平手を突き出し、まだまだ続きそうだった講義をさえぎった。


 キープスマイリング! キープスマイリング!


 テンションダダ下がりの自分を励まし、何とか笑みを作る。

 お土産みやげを頂いた以上は、笑顔でお礼を言うのがマナーだ。

 例えそれが、手の平より大きなガだったとしても。

 心からクーリングオフを申し出たかったとしても。


 ハイネのお土産みやげは、どうしてこうアレなのだろう?

「根性」の二文字と荒波がコラボしたペナント、アンモナイトの化石、この辺りはまだいい。ブードゥ的な臭いのする人形など、目が合う度に心配になる。コレ、呪いとか大丈夫だよね?


 心からお礼を告げられたのは、ベーリング海のお土産みやげを頂いた時だけだ。

 トロ箱一杯のズワイガニは、沼津ぬまづの食卓に完璧な無言をもたらした。


「喜んでもらえて嬉しいです! 私、私ね、若い男の子には何が喜んでもらえるのか、ぜんっぜん判らなかったんです! 結局、半平さんと歳の近いお友達に聞いちゃいました!」

 わあっと歓声を上げ、ハイネは小さく飛び跳ねる。

 空気が読めないって素晴らしい。


「随分、個性的なお友達がいらっしゃるのね」

 ……家に持って帰ったら、ねーちゃんが泣き叫ぶだろーなあ。

 半平は節足せっそく動物どうぶつの死骸と見つめ合い、処遇を考えてみる。

 ごく自然と頭に浮かんできたのは、エリ、博士ひろしふとしの三人組だった。


 そうだ! その手があった!

 小学生と言えば、カブトムシ欲しさに千葉まで遠征する生き物だ!


 綺麗さっぱり悩みが消えると、途端に瞳がうずきだす。

 長々とキラキラなはねを眺めていたら、目も痛くなるだろう。


「甲虫とかチョウって、何でこうギンギラギンなのかねえ。スポーツカーとかスマホとかとは、ちょっと違う感じ? メタリックなトコは同じなんだけど、もっと奥深くてキラキラしてるよな」

 ふぃ~と息を吐き、半平は両目を揉む。

なんかシャボン玉とか、CDの裏面に似てね?」


「あ、鋭い。原理は同じです。『構造色こうぞうしょく』ですね」

「こぉぞぉしょく? 中間管理職のお友達?」

「人工物とは発色の仕組みが違うんです。人間さんは建物とか車とか塗るのに、塗料を使いますよね? 塗料って言うのは、光の色を吸収したり、反射したりして、狙った色を出してるんです」


「『色』って……光なんて無色じゃない」

 半平は額に手をかざし、太陽を見上げる。

 しばらく待ってみても、赤や青の光が降ってくる様子はない。

「そう見えますよね」

 ハイネはくすぐったく笑い、灰色の瞳を細める。

 じーっと太陽を見張る半平が、よっぽどおかしかったらしい。


「でも本当は、赤、橙、黄色、緑、青、紫って言うように、たくさんの色が混ざってるんです」

なんか虹みたい」

「その通りです。虹の七色は可視光線かしこうせん――目に見える光の正体を現してます。大気中の水滴に光が当たって、色ごとに分けられてるんです」

 ハイネは軽く振り返り、店頭のポストに目を向ける。


「ポストが赤いのも、塗料が赤色の光を反射して、他の色の光を吸収してるからなんですよ」

「あの赤いのがねえ……」

 お手紙をむさぼってばかりの彼に、そんな小難しい理屈があったとは……。

 一本足を着けただけの箱が、だんだんシナンジュに見えて来た。


「お花さんや動物さんの場合は、色素が塗料の役割を果たしてます。ニンジンさんが赤いのも、カロテンって色素のおかげなんですよ。葉っぱが緑に見えるのは、葉緑ようりょくのおかげですね」


「虫は? 別注のペンキでも使ってるとか?」

「いえ、ギンギラギンな虫さんたちは、色素を使ってません」

「いやいやいや、未塗装品が何でこんなにカラフルなんだよ。昆虫ってバンダイさんが作ってんだっけ?」

 ガンプラのクオリティを思えば、昆虫が綺麗に塗られているのも納得が行く。

 そう言えば、静岡に工場があった気がする。


まぶしい虫さんたちは、身体の構造で色を出してるんです。これを『構造色こうぞうしょく』って言います」

 ハイネは前のめりになり、真っ白な指を立てる。


「モルフォチョウって知ってます? アマゾン川流域にむチョウさんなんですけど」

「ああ、真っ青なチョウでしょ?」

 陸の生き物にはうとい半平でも、その名にはおぼえがある。


 モルフォチョウと言えば、テレビにも取り上げられることが多い昆虫だ。

 人気の秘密は、きらびやかなはねにある。

 クジャクにも似た金属質の光沢を、ちまたでは「森の宝石」と形容しているらしい。

 半平に言わせれば、失礼な話だ。

 たかが数が少ないだけの石ころに、モルフォチョウほどの華やかさはない。

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