第一章『薔薇とパシリとトーテムポール』

①ニートがJSに翻弄される話

 もうすぐ春を迎える並木道は、ほのかに甘い香りを漂わせていた。


 たくましく伸びた枝には、もれなく桜のつぼみが付いている。

 牧歌的にさえずっているのは、電線にまったスズメたち。

 青い空に響き渡る歌声は、タンゴのようにリズミカルだ。


「はんぺん、なにしてんのー!?」

 ランドセルの金具を鳴らしながら、三人組の小学生が駆け寄る。

「はんぺんじゃねーよ! は・ん・ぺ・い! 半平はんぺいだ!」

 沼津ぬまづ半平はんぺいは強い口調で訂正し、毒霧のように唾を噴いた。


「はんぺいでもはんぺんでもいーじゃん」

「よかねえっての! 他人ひとをおでんの具扱いしやがって!」

 どうしてこう、小学生のガキにめられるのか?

 半平は自問自答しながら、カーブミラーに目を向ける。


 黄色いパーカーにモスグリーンのカーゴ。

 小五以来お決まりのコーデで、眼鏡も黒縁くろぶちのウェリントンを使い続けている。

 モヒカンっぽく立てた金髪には、思っていた以上に黒い毛が混じっていた。


 それなりに筋肉質な身体は、学校に行くはずの時間をボランティア活動に捧げた成果だろう。身長は人並み以上に高くて、背の順では最後尾が定位置だった。高校に入った時は一八〇㌢だったが、今はもう少し地面が遠くなった気がする。


 モヒカン+ガタイ○。


 我ながら世紀末に「ひでぶ」されそうな外見だ。

 普通に考えれば、小学生にもの呼ばわりされるタイプではない。


 にもかかわらず、現実にはロッキー状態。

 街を歩いているだけで、一人また一人と小学生が後を追って来る。

 それどころか、知り合った日にタメ口を聞かれることも少なくない。


 改めて鏡を眺めてみても、理由はよく判らない。

 いて言うなら、一六歳の割には少し童顔だろうか。


 そう言えば、中高で一緒だった女子には「ガキ大将っぽい」とか、「後輩顔」とか評価されていた。「山猿」とおっしゃったのは、クラス委員の矢沢やざわさんだったか。あの時は、その後一週間、枕が乾かなかった。


「なにぼーっとしてんだよ! 質問に答えろぉ!」

 凶暴に八重歯やえばさらし、野球帽の少女が半平を引っ張る。

 名前は確か、エリとか言ったか。

 女の子らしいのは、赤いランドセルだけ。

 口調は男子よりぶっきらぼうで、まだ出るところも出ていない。


「おそーじしてんの、おそーじ」

 半平は投げやりに答え、手にした竹箒たけぼうきかかげる。

「そーじって、誰かにめーれーされたのかよ」

「別に。俺が好きでやってるだけ」

「うわ……」

 三人組は明らかに引き、半平に宇宙人を見るような目を向ける。


「んだよ、その顔。綺麗になると気持ちいいじゃねーか」

 半平は青空をあおぎ、深く息を吸う。

 ほんの一週間前までは、冷たく喉を刺した空気――。

 最近は干したての布団のように暖かく、胸をぽかぽかさせる。


「桜も咲きそうだし、もおすぐ春だねえ」

 わざと年寄りっぽく言い、半平はう~んと伸びてみる。

 するとパーカーの裾が豪快にめくれて、六つに割れた腹筋を垣間見せた。


 木々が花びらをまき散らすようになれば、掃除に手間が掛かるようになる。だが花びらの絨毯じゅうたんを敷いた並木道を思い浮かべても、不思議と嫌な気分にはならない。


「はんぺー、ニートだろー?」

「ニートに季節なんてカンケーあんのー?」

「一年中夏休みでしょ~?」

 無邪気で容赦のない少年少女が、矢継やつばやにツッコミを入れる。


「ああそうですよ~♪ 俺には夢も希望も定収入もありませ~ん♪ 一年中夏休みですよ~♪」

 開き直るしかない半平は、即興の歌を熱唱する。

 おどろおどろしい歌声が響くと、周囲のスズメが一斉に飛び立った。


「キミたちも社会のお荷物になんて構ってないで、さっさとママのとこにお帰り。宿題だってあんだろ」

 半平は掃き掃除を再開し、ついでにしっしっとホウキを振る。


「宿題かあ~」

 ニートに哀れみの目を向けていた三人組が、途端に溜息を吐く。

「はんぺー、ヒマだろ、手伝えよ」

 半平にせがんだのは、エリの横に立つ博士ひろしだった。

 分厚い眼鏡を掛けた姿は、クラスに一人はいるガリ勉くん。

 反面、顔立ちは生意気で、頬や額には生傷も見て取れる。


「ヤダね。『手伝って』とか言って、また俺に丸投げする気だろ、アサガオの観察日記みたく」

 愛想なく吐き捨て、半平は三人組に背中を向ける。もう魚河岸うおがしのオッサンみたいに早起きし、日記帳とにらめっこするのはゴメンだ。


「じゃ、ヨシばぁのトコでガリガリ君おごれ」

 エリは当たり前のように命令し、半平の背中を小突く。

「何で俺がお前らにガリガリ君おごらなきゃいけねーんだよ」


「何でって……」

 三人組は顔を見合わせ、それはもう力強く頷く。

「はんぺー、俺らのパシリだろ」

「よーし、俺がお前らに年長者の怖さを教えてやる」

 怒りから半笑いになると、半平は竹箒たけぼうきを地面に叩き付けた。


 年功序列が国是こくぜの日本国において、五歳も年上の相手を顎で使おうとする?

 これは彼等の将来のためにも、鉄拳制裁……ゴホン、教育的指導を敢行しなければなるまい。


 半平はボキボキと指を鳴らしながら、大人をナメたガキ共に迫っていく。吹きすさぶ鼻息がエリの帽子を吹っ飛ばすと、背後から小さな笑い声が聞こえた。


 こ、この声は……!

 半平は憤怒も忘れ、表情を凍り付かせる。


 いたいけな子供相手にマジギレ……。


 あわや北斗ほくと百裂拳ひゃくれつけん……。


 マズいところを見られたにもほどがある。


「こ、こんちわ……」

 半平は硬直した首を回し、背後をうかがう。

 極めてカクカクした動きは、まるでロボットダンスだ。


「こんにちわ」

 ほがらかに微笑み、ハイネ・ローゼンクロイツは頭を下げた。

 幼さを残した顔は、春の日差しのような透明感を漂わせている。

 整いすぎた容姿には、息を呑んでしまうことも珍しくない。

 特に腰まで伸ばした白髪は、絵本で見た雪の精霊そのものだ。


 どことなく丸い感じのする輪郭。

 そして絹糸のように白く、細い手足。

 本人によれば一五歳とのことだが、小学生と言われても疑いは抱かない。

 事実、体付きは起伏に乏しく、胸は垂直に近い。


 一五〇㌢に満たない身体は、桜色のチュニックに包まれている。

 腕の数珠じゅずはパワーストーンの一種で、「インカローズ」と言うらしい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る