ディメンション・ポーター
鯛あたる
第1話 序章
81型多脚装甲機、通称オクトパスの内部は、全方位モニターになっている。座席に座りながら、まるで機体が透明になったかのように、周囲を見渡せるのだ。カメラとモニターで作られた簡単なシステムだが、そのおかげもあって、コロニー内のいたるところで使われているものだ。
多脚装甲機とは、踏破性を高めるために、車輪やキャタピラではなくロボットアームを装備した兵器の総称である。その外見が蛸のように見えるため、オクトパスという通称がつけられている。しかし、兵器とは言っても兵装は少ない。主砲の電磁誘導砲と、機関銃の武装しかないのだ。これは、侵略や防衛、というものが政治の表舞台から消えたためである。この時代において、戦争とは過去の遺物である。
今、その多脚機には二人の士官が搭乗していた。中央官僚出身の2等陸佐のサカイと、下士官のヒラタである。
「前から思ってたんですけど、何で二等陸佐が一番高い階級なんですかね。分かりづらくないですか」
「氷河期になって、それまでの国家体制は維持できなくなったからだろう。昔はこの上にもいろいろ合ったみたいだが、いちいち階級を新設するのも面倒だったんだろう」
「だったら全部繰り上げたらいいじゃないですか。そしたら俺も、少尉くらいになれたのに」
陸佐の下は大尉、中尉、少尉、となっている。
「名前が変わったところで、お前がうだつの上がらん兵士であることにはかわらん。まぁ、少尉なんてお前には一生無理だ」
「ひどいっすよ、サカイさん」
ヒラタの現在の階級は軍曹である。
多脚機の内部は複座式になっている。前席で操縦かんを握るのはヒラタだ。彼は上官に対する態度に問題がある、というか軽薄なのだが、操縦の腕は東京一といわれている。そのため、サカイの搭乗機の操縦を任されていた。
「それにしてもこれ、本当に道路だったんですか? 」
サカイがディスプレイに目を向け不思議そうだ。折れた鉄柱と看板が写っている。看板には、圏央道と書かれていて、その下には、
「八王子、か」
「知ってるんですか? 」
「知っている、というほどではない。先祖の墓があるらしいんだ。どうせ、氷に埋もれてしまっているだろうがな」
「かもしれませんね。でも、折角なんで任務が終わったら、見に行きましょうよ」
「ああ、そうだな。無事に終わらせよう」
「無事も何も、荷物の輸送なんですよね、だったら大丈夫ですよ」
多脚機の移動は、通常の場合、跳躍である。しかし、この日は地面を這うように進んでいた。彼ら部隊の最後尾についている、大型の多脚機のためである。
重装甲多目的多脚機。通称、ロブスターがそれである。オクトパスの後部に、脚が並ぶ荷台を繋いだ形をしている。通常時は、気象観測バルーンや、コロニー外殻の修理をする自律機械を載せている。それこそが彼ら東京コロニー自治部隊の通常任務である。コロニー周囲の異常を確認し、また天候を調査する。コロニーの維持保全が最上位目的であり、また唯一の目的なのである。
しかし、今ロブスターの背には、3m四方の立方体が鎮座していた。
「だといいがな。よし、いったん停止だ」
サカイの言葉のとおり、ヒラタが操縦かんを操作する。
機体が止まったのを確認して、サカイは、座席のボタンを押した。モニターに通信中の表示が出た。
「まもなく到着する。これよりは、各自ブリーフィング通りに行動せよ」
その言葉が終わるや否や、10台ほどの機体がヒラタ機を飛び越し、我先にと八王子へ向かっていった。彼らは先行偵察部隊だ。放棄されてから、百年単位の時間が経っているため、あちこちに崩落や地盤の変化が現れている。それを確認しに行くのだ。
サカイは先行部隊を見届け、背もたれに寄りかかった。
ヒラタが操縦かんを握りなおして言う。
「俺たちも行きますか」
「ああ、そうだな。よし」
動き始めたヒラタ機に続き、後続の部隊も動き出した。最後尾には、やはり輸送機が着いてきている。氷河の移るモニターの中を、ぞろぞろと多脚機が歩いている。
ヒラタは前方モニターに、リアカメラを一部表示させる。
「それにしても、壮観ですね」
後ろに並ぶ多脚機達の姿に、感嘆する。
「ああ」
サカイも同じように感じていた。
「でも、大丈夫なんですかね」
「何がだ」
「ここにいる多脚機、って東京の全兵力なんすよね」
「まぁ、そうだな」
「じゃぁ、今東京が攻められたら一貫の終わりっすね」
冗談めかして言うヒラタ。その言葉には、深刻さのかけらも無い。ヒラタの人事考課が技術の割りに低いのは、こういう無思慮な発言が原因である。
だが、サカイは気安く笑う。
「だったら俺たちはラッキーだ」
「えっ? 」
意外な言葉に、聞き返すヒラタ。
「俺たちだけが逃げられる」
言ってから笑い出すサカイ。ヒラタもつられて笑い出す。傍で聞いていればかなり不謹慎な会話だが、当人たちにその認識は無い。それもそのはずだ。仮想空間での模擬戦闘は経験しているが、実戦の経験は無い。数百年、実戦が行われたことなど無いのだ。
コロニー完成以後、他国との通信がなくなったことから、コロニー住人以外に生存者がいることすら想像していない。であればこそ、上官も下士官もそんな冗談を飛ばせるのだ。平和が当然であり、戦争などディスプレイの向こうの過去にしかないのである。
先行部隊からの無線が飛んだ。
「隊長、こちらまもなく目標地点です。道路自体は問題ありません。そのまま進んでください」
「分かった。それと、目標地点の画像データを送ってくれ」
瞬時に、サカイの左手のモニターに、先行部隊からの画像が届く。。
そこには、5階建てほどの幅広い建築物が写っている。
ヒラタの正面にも、操縦の邪魔にならないように、小さな枠で映し出される。
「これが、目標地点ですか。良かったですね、あんまり氷に埋もれていない」
「ああ。氷の中を進入するのは骨が折れる」
「でも、何でこんな場所まで」
「さぁな、委員会は何も説明してくれなかった。この目標のことも、あの荷物のこともな」
サカイは少しいらだった表情になるが、すぐさまその顔を元に戻す。戦争がなくとも、軍人は軍人だ。上の命令は絶対だし、命令の内容に興味を持つ必要も無い。
「そういうもんですかね」
「そういうもんさ、お前もいずれ分かる」
「……てことは、俺もいずれは陸佐に! 」
ヒラタが目を輝かせる。
「まぁ、俺が生きている間は、何があってもお前を上にはあげんがな」
「そんなぁ、ひどいっすよサカイさん」
サカイの言葉に、ヒラタが大げさな反応を示す。
「冗談だ……。まぁ、これからのお前のがんばり次第だな。腕はいいんだ。そうだな、お前に足りないのは、自己犠牲の精神だな」
「だって模擬戦闘で自己犠牲を求められても、面白くないじゃないですか」
模擬戦闘とは、すなわちゲームである。確かに内装だけを見れば、今乗っているオクトパスと何も変わらないが、それはそれである。そして、当然のことながら、ゲーム内の死と実際の死は違う。
「真っ暗な画面の前で、皆が終わるまで待つのは退屈なんですよ」
「だからってな、防衛目標や、部隊の行動目的を無視して敵に突っ込んでいくのはダメだ」
しかし、それで軽く敵全機を無力化してしまうのがヒラタだ。瞬間の判断力、空間把握能力、そして天性の勘。時代が時代なら、英雄であっただろう、とサカイは思う。
「ははは、返す言葉も無いです」
そして、それはヒラタ地震も無意識に自覚はしていたのだろう、困ったように笑った。
「だろう、これでも一応トップだからな」
「こんな小さい組織のトップくらいで、胸を張らないでくださいよ」
「お前はその部下だがな」
ヒラタの憎まれ口にも、余裕を持って返すサカイ。その姿は、傍から見ればかなり仲のよい部類だ。進軍中だというのに、彼らからは緊張感のかけらも見えなかった。
それからも1時間ほど他愛のない会話を続けていた。すると、前方モニターに先行部隊の一機が見えた。モニターのインフォメーションエリアに浮かんだ立体地図からも、遂に行軍を終え目標地点に到着したのがわかった。サカイは再び全軍に呼びかける。
「到着だ」
☆
「…………」
☆
目標建築物は、丘の中腹に建てられているようで、あたりはなだらかな傾斜になっている。正面から見ると、建物の横幅は200mほどある。その前庭部分に、先行部隊を含めた15台のオクトパスとロブスターが並んでいた。
ヒラタ機が隊列の正面に出て、作戦の説明を始めた。
「これより、内部へ進入する。だが、正面はコンクリートで封鎖されているため」
ヒラタ機の前脚が、器用に建物の正面を指差す。
かすかにゲートの跡があるのだが、あったはずの入り口は灰色の壁に変わってしまっていた。
「そこで、上層部」
反対の脚で、建物の上部を指差す。
「ビルの上階の窓から進入する。幸いなことに、窓枠が大きいので、あまり破壊することなく入れるだろう」
多脚機の横幅は4mほどだ。そして、窓枠は一つ2mほどである。横に並んだ二つの枠を破壊すれば、入ることができるだろう。
「以上だ。当機が先行する。後続はロブスターを護衛しつつ、後に続け! 」
サカイの号令が終わったと同時に、ヒラタ機が鮮やかに跳躍した。そして、窓枠に取り付く。後ろ脚6本を壁に食い込ませて体重を支えつつ、前脚の電子カッターで器用に窓枠を切断していく。
だが、機内のヒラタは難しい操作を顔色一つ変えずに行っている。
「めんどくさいんで、ぶっ放したいんですけど」
会話する余裕もあるほどだ。
「それはダメだ、俺の首が飛ぶ」
「これも委員会の命令なんですか? 」
「そうだ、建物への損傷は最低限にしろ、という命令だ」
人命より優先される、という指令も下されている。サカイはその指令を聞いたとき耳を疑った。そのような付随事項は初めてだったのだ。
「よしっ。切れました」
「入ろう」
窓枠をくぐり抜けるヒラタ機。中は、広大な空間になっていた。
まず目に付いたのは、1階から5階までを貫く広い空間だった。
「これ、崩落したんですかね」
ヒラタが訝む。サカイはしばらくモニターを眺めていたが、
「いや、一部はそれもあるみたいだが、ほとんどはそうじゃない。むしろ、誰かが意図的に空間を作ったと考えたほうが自然だな」
と分析した。サカイの目に映っていたのは、吹き抜け内部に残っているコンクリートの破片だ。
「崩落したんだったら、断面がもっといびつだろう。だが、下のコンクリートの断面は綺麗なもんだ」
「あぁ、確かに言われてみればそうですね。切った窓枠と同じ感じだ」
窓枠は、高温の電子カッターにより溶けたようになっている。下のコンクリートも、切断面が少し解けているように見えた。
しかし、その視線の先にはそれよりも異様なものがあった。吹き抜けの床に、丁度運んできた荷物と同じサイズの四角い枠が描かれている。その周囲から直径50cmはありそうな黒いケーブルが縦横無尽に延びているのである。先端を探すように目を走らせていると、ケーブルが壁を覆うように天井まで伸びているのが分かった。
ヒラタはその光景にごくりと唾を飲み込む。
「気持ち悪いっすね。それで、どうします? 」
「とりあえず、降りよう」
サカイはヒラタのおびえに気がついたが、それには触れずに命令を下した。
ヒラタ機が、吹き抜けの中へ飛び込む。そして、空いたスペースから後続の機体が飛び込んできた。ロブスターも何とか無事進入し、吹き抜けに全機体が集合したところで、サカイが確認する。
「全員無事だな」
各機から無事との応答が入る。
「……よし。ここまでよくやった。圏外のため、Reyシステムのサポートもなく、マニュアル操作だけで大変だっただろう。だが、それもこれで終わりだ」
その言葉に、一瞬空気が緩んだ。というのも、今回の任務は最重要機密に属するため、全体像を把握していたのはサカイだけなのだ。ブリーフィングにおいても、目的地点までの作戦しかオープンにされていなかったのである。隊員達は、かなり緊張していた。
さらに、Reyシステムのサポートも無かったことも大きい。Reyシステムとは、コロニー内部の設備管理から政治や裁判までを人間と共に担う人工知能システムである。コロニー近辺の警備などであれば、治安部隊のサポートもしているのだが、メインサーバーとの電波通信が必要なため、コロニーから離れると使えなくなるのだ。
「よし、それでは最終任務だ。ロブスターの積荷を、あの枠内に下ろせ。オクトパスは積荷の移動が無事に行われるよう警備! 終了次第、順次脱出して正面で待機! 以上だ。さぁ、気合を入れていこう! 」
「はいっ」
返事と同時に、ロブスターが慎重に進んでいく。足元がケーブルで覆われているため、これまでの道路よりも不安定だ。その周囲をゆっくりと着いていくオクトパスたち。ヒラタ機はそれを監督している。
「任務ってこれで終わりなんですか? 」
ヒラタが尋ねる。
「ああ、これで終わりだ」
「だったら変ですよね」
「何がだ? 」
ロブスターの荷台が、ようやくケーブルの束を超えた。
「これだけなら、」
オクトパスがサポートしつつ、立方体をゆっくりと床に降ろし始めた。
「これだけなら? 」
そして、枠の中にぴったりと立方体が置かれた。立方体は底辺を1mほど地中に埋めた形で、もとからそこにあったように違和感無く収まっている。
「こんなに人数要らないじゃないですか」
そういわれて、サカイも内心で頷いた。たしかに、15台はいらない。5台もあれば十分だろう。
「隊長、設置終了しました」
ロブスターからの無線が入る。
「了解、各自脱出」
サカイは腰を落とし、一つため息をつく。自覚はあったが、極度に緊張していたのだ。
「お疲れ様でした、サカイさん。早く帰りま」
しょ、というヒラタの言葉は、直後に起こった巨大な地響きにかき消された。
サカイはもたれかかっていた座席から身を起こし、慌てて全方位モニターを確認した。モニターが揺れていることから、地響きだけでなく、微細な地震が起きていることが分かった。
「陸佐! 」
「隊長! 」
「サカイさん! 」
無線から様々にサカイを呼ぶ声が起こる。その声はいずれも驚愕と、恐怖と、怯えと、そしてパニックの色を含んでいた。
「落ち着け! 冷静になれ! 各自報告! 」
サカイが怒声を発すると、無線は一瞬沈黙した。すかさず、輸送機から通信が入る。
「光っています! 」
「何がだ! 」
「積荷です! 積荷が光っています! 」
全方位モニターでも、確かに積荷が青く輝いている。
「どういうことだ! 」
「分かりません! ですが、積荷が光ったと同時に、地響きが起こりました! 」
サカイは必死に思考をめぐらせる。縮小された軍隊といえども、彼はそのトップである。そして今、彼の背には部隊全員の命がかかっているかもしれないのだ。戦慄した。動悸が早まり、脈拍が痛いほどに感じられた。
「……カイさん……カイさん……サカイさん! 」
ヒラタが隣で叫んでいるのが聞こえた。
サカイは一瞬強く目をつぶり、再び目を開ける。最優先は何だ、施設の保護か? 確かに人命より優先しろ、という指示はあった。だが、そんなもの糞くらえだ!
「聞け! 各隊員発砲を許可する。施設を破壊してでも脱出しろ! 」
サカイは声の限りに叫んだ。その声は、パニックに駆られていた部隊全員に届き、各自冷静を取り戻した。
大丈夫だ、これまでも仮想空間で模擬戦闘はしてきたんだ。それを実践するだけだ。操縦かんを握る、各隊員の手に、力がこもった。
「よし、ヒラタ。俺たちもいくぞ! 」
サカイが檄を飛ばし、ヒラタも
「はいっ!! 」
と絶叫した。
だが。
一瞬。
彼があと一瞬各隊員に指示を出していれば。冷静を取り戻すために目を強く瞑らなければ。それが命取りだったのだ。
床一面、壁一面を覆っていたケーブルが、まるで命を吹き込まれたように脈打ち。さながら意思を持っているかのように先端を多脚機に向け、殺到してきたのだ。
サカイの指示に従い発砲体制に入っていた機体は、そのケーブルの俊敏な動きに対処することができなかった。ヒラタ機の目前で、4機がケーブルに絡め取られ、空中に持ち上げられた。さらに、6期がケーブルによってなぎ払われ、壁にぶつかり機能を停止する。
その間、3秒。サカイの目前で、僚機の半分以上が破壊された。
そして、次の3秒でヒラタ機以外の通信が途絶した。
「くそっ!! 」
サカイは自分の目を疑った。しかし、思考が追いついていない。おかしい、おかしい、とは思うものの、それが一体何なのか理解ができない。ただ分かるのは、目前で自分の部下が次々と命を落としたことだけである。
その間も、ヒラタは巧みなテクニックでケーブルの乱舞を必死に交わしていた。
右からのなぎ払い。跳躍。
そこに上から強烈な振り下ろし。砲撃で打ち払う。反動で後方へ。
壁に張り付くと、5本のケーブルが殺到。下を潜り抜ける。
再び今度は両サイドからケーブルが挟撃する。前方に跳躍。衝突したケーブルの破裂音が響く。
ヒラタは無言であった。サカイとは違い、彼は端から思考を放棄し、反射神経に身を任せていた。確かに、ヒラタは細かな操作も得意としているが、むしろ研ぎ澄まされた反射神経こそが彼の才能である。ヒラタは全身を感覚に任せ、無意識の中に潜りこんだ。
サカイは次第に理性を取り戻した。残っているのは自機のみ。操作しているヒラタは、操縦かんを握る腕以外微動だにせず、モニターを凝視している。しかし、ヒラタの集中がいつまで持つのかは分からない。となれば、早くこの場所から脱出しなければならない。
サカイは出口を探した。窓枠が見えた。だが、サカイはその時おかしなことに気づいた。
光が細くなっているのだ。まるで、シャッターを下から上に上げたように、下方の窓からは光が入ってこない。空が見えるのは、上部の窓だけだ。そして、出口もまたそこだけである。
「ヒラタ、窓だ。窓の角へ向かえ」
ヒラタがこくりと頷いた。言葉を発する余裕はなかった。
そして、その頷きですら、あってはならない油断だった。
窓を向き、跳躍したヒラタ機の背後から、一本のケーブルが鋭い打撃を加えた。その衝撃が、後部ハッチを破壊した。サカイの座席の背後に向かってケーブルの先端が洪水のように押し寄せる。
2人とって幸運だったのは、先ほどの一撃がヒラタ機を高く打ち上げていたことだった。ギリギリでケーブルをかわして窓枠へと到達した。
窓枠の上部の光は、すでに多脚機の全高よりも狭くなっていた。刻一刻とそれがさらに狭まっていくのが分かった。
張り付いたヒラタ機は、主砲を回転させた。それにより、サカイの後方、破壊されたハッチが窓の方へ向く。すぐにでも外に出られそうだ。
ヒラタは近づくケーブルを砲撃でいなしている。角に張り付いたため、ケーブルの攻撃は前方からしか来ない。そのため、砲撃だけで凌げているのだ。しかし、砲弾は無限にあるわけではない。いずれ底を尽く。それまでヒラタの集中力が持つかも分からない。
早く脱出しなければ外部への出口が閉ざされてしまうだろう。
「ヒラタ、替われ」
すぐさまサカイは言う。
「お前が脱出しろ」
「サカイさん操縦できるんですか? 」
砲撃だけで対処できるようになり、少し余裕の生まれたヒラタが言う。声もいつも通りの軽薄さだ。
「盾になる」
「冗談やめてください」
「冗談じゃない」
「それで、サカイさんが落とされたら? 僕も死ぬじゃないですか。俺の命、預けられません」
「お前、それが上官への言葉か」
「いいから、早く出てください。俺もすぐ行きます」
ヒラタは一瞬振り向き、いつも通りの不遜な笑顔を見せた。
「……分かった。すぐに脱出しろ」
「分かってますよ、墓参り行きましょう」
「お前、冗談にも」
サカイがヒラタの言葉に思わず言い返そうとしたとき、一本のケーブルが砲撃をかいくぐりヒラタ機に接近してきた。
「早くっ」
ヒラタが怒声を発する。サカイが初めて聞く声だった。
サカイは背を押されるように多脚機から出て、窓枠に手を掛けた。そして振り返る。
甲高い警報音が、多脚機から響いていた。警告ランプが、機内を真っ赤に染めている。
サカイは見た。
一本の黒いケーブルが、機体を貫く瞬間を。
サカイは聞いた。
ケーブルが装甲をぶち抜く甲高い破砕音を。
サカイは嗅いだ。
ケーブルに貫かれた体から迸る、ヒラタの血の匂いを。
それは、研ぎ澄まされた感覚が見せた幻だったのか。サカイが次に認識したのは、落下していくヒラタ機の姿だった。落ちていく機体に興味は無いのか、ヒラタ機を貫いたケーブルは、方針を変える。つまりはサカイに向かって、真っ赤な血に染まったケーブルが迫る。
声を発する余裕も無い。
唾を飲み込む時間も無い。
目を閉じることすらできず、恐怖する瞬間すら与えられない。
コンマ数秒、ケーブルがその鎌首を持ち上げる。
ただ、目を見開くサカイ。その目に映る黒い影。
その時、閃光が迸った。
爆発するケーブル。吹き飛ぶサカイ。
サカイが耳につけていた、無線インカムに声が届く。
「おれ……少尉…なれ…すか……」
か細い声だった。小さく、あきらめた様な声だった。そして、プツッというノイズの中に消えた。
砲撃の爆風で吹き飛びながら、サカイは目撃する。ヒラタ機の砲身が、上空を向いていたこと。そして、報復するかのように殺到するケーブルの群れを。
「ヒラタ―――っ!!」
ヒラタに届くか分からない、しかしサカイは全力で叫んだ。生意気な部下の名を。冗談ばかりの軽薄な、けれど誰より優秀な、若く気高き男の名を。
窓枠から投げ出されたサカイは、しかし5階の高さから落ちることは無かった。サカイの体はすぐさま地面の上に転がった。落下の衝撃を覚悟していたサカイは、足元を確かめながら、ゆっくりと立ち上がった。
そして彼は。
目前の光景に驚愕した。
言葉無く呆然と立ち尽くした。
その一瞬だけは、数分前に起きた戦闘すら、彼の脳内から吹き飛んでしまうほどだった。
彼が戦闘していたはずの建物が、今まさに地の底へと沈んでいこうとしているからではなかった。だからこそ、だんだんと出口が狭くなり、それ故に彼が5階の高さから落下することもなかった、ということにさえ気づく余裕は無かった。
サカイは天を仰いだ。空が青く澄み渡っていた。風が頬を撫でた。
遂に彼は現実を認識し、そして処理することを拒否した。
放棄した意識と共に、彼は大地へ倒れ伏した。彼が再び歩き出すのに、一昼夜がかかった。
ディメンション・ポーター 鯛あたる @tai_ataru
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