狂壊の先

朝霧

序幕

 その日、王子とその仲間たちは、その屋敷を訪れた。

 暗く鬱蒼とした、黒の森と呼ばれるその森の奥に、その屋敷はひっそりと存在していた。

 先日、魔界の最深部に繋がる扉に掛けられた封印が弱まりを見せはじめたことを遠見の巫女が視た。

 22年前に現王である元勇者と、その妻である元姫、そしてその仲間達の活躍によって扉は閉じられたはずなのだが、その封印は完璧ではなく、時間をかけて少しずつその封印が解け始めているのだという。

 それにより各地の魔物が活発になり多くの被害があった。

 国を動けぬ王達の代わりに、その息子であり勇者の力を受け継いだ若い王子と勇者の旅の仲間の子供たち、そしてその他にも才に秀でた若者が数人とが扉を塞ぐ命を受け、扉を再び封印するための旅へ出ることになった。

 王子も仲間達も誰もがかつての勇者やその仲間たちの実力を上回ると言われる猛者達だった。

 しかし、彼らは身体能力に優れた者は多かれど、魔術に精通する者がいなかった。

 魔術に精通する者は唯一、幼い聖女候補のみであるが、聖女となるべく育てられた彼女が知っているのは何かを癒す術のみで、何かを傷つける術は一切持たなかった。

 だから、必要だったのだ、魔物達に立ち向かう術を持つ魔術師が。

 誰を仲間に引き入れるか、そんな相談がなされた際、仲間の中心である若い王子がこういった。

 王と王妃のかつての仲間であった魔術師がいた。

 その魔術師は、偉大なる魔術師として称えられていたその男はすでに故人であるが――その養子である娘がいる。

 その娘は、黒い森の中にひっそりとある屋敷に住んでいる。

 仲間にするのなら――その魔術師の娘がいい、と。

 そんな事をぽつぽつと話した彼の言葉に、仲間である若者達は賛成した。

 そして、王子達は国の辺境にあるこの黒の森まで赴き、暗く悍ましく、彼方此方に毒の花が生い茂った森を駆け抜け、ようやくその屋敷まで辿り着いたのだった。


 屋敷にたどり着いた彼らを出迎えたのは黒をベースにしたシックなメイド服を着た若い女だった。

 この屋敷に使えるメイドであり、先代である魔術師の使い魔でもある、毒花の悪魔だ。

 「久しいな、フローラよ」

 そうメイドに話しかけたのは十代半ばが多い面子の中で唯一の大人、かつて王と王妃と共に世界を救ったうちの一人であり、若い王子の目付け役でもある騎士だった。

 「ええ。お久しぶりでございます、騎士様」

 フローラと呼ばれたメイドは静々と頭を下げる。

 「……確か、二年ぶりになるか」

 「ええ、ご主人様の葬儀以降、お会いしておりませんので……本日は、どのようなご用件で?」

 「あいつの娘に用があるのだが……通してもらえるだろうか?」

 そう問われたメイドは少しの間何かを考えるしぐさをして、ぼそぼそと聞き取りにくい声で何かを呟いた。

 「……お嬢様の許可が取れました。ご案内いたします」

 呟き声はどうやら屋敷の中にいる魔術師の娘との会話だったらしい、おそらく何らかの魔術を使ったのだろう。

 メイドに先導され、王子とその仲間達は屋敷の中に足を踏み入れた。


 薄暗い森にひっそりと建っている事が原因なのだろうが、屋敷内もまた薄暗く、薄ら寒い。

 仲間たちの後方を歩く長槍を担いだ気弱そうな少年がぶるりと身を震わせて、辺りを注意深く探る。

 その様子に暗殺者の少女が、お前も気付いたのか、と小声で囁く。

 槍兵の少年は小さく何の事、と聞き返す、不気味な屋敷だと思うけど、妙なものはなさそうだよ、と。

 そんな槍兵の少年を暗殺者の少女は小さく鼻で笑う。

 笑われた槍兵の少年は、何がおかしいの、と疑問を口にした。

 暗殺者の少女は表情を一瞬で消して、ぼそりと呟いた。

 ――血の臭いがする、かなり濃い、何人分だか判別もつかん、と。

 その言葉によって槍兵の少年が顔を真っ青にした直後、メイドが立ち止まった。

 メイドが立ち止まったのは木製の扉の前だった。

 メイドはそのドアをノックする。

 「お嬢様、お客様をお連れいたしましたわ」

 「……――」

 中から声が聞こえてきたがその声は小さく、メイド以外のほとんどがその声を正確に聞きとることが出来なかった。

 メイドがドアを開け、客人達を室内に通す。

 そこはどうやら執務室であるらしい。

 部屋の中央奥に大きな机があり、その机の両端にはそれぞれ、大量の本が積み上げられている。

 その本の山にはさまれる形で一人の少女が机に行儀悪く腰掛け一冊の分厚い本を読んでいた。

 喪服のような黒いドレスを見に纏った少女だ。

 まだ幼さの残る整った顔を、薄いベールで隠している。

 白磁のように色のない肌は病弱ではあるが美しく、今にも折れそうな細い手足もあいまって、まるで作り物のようだ。

 本から視線をちらりと外したその喪服の少女が小さな口をぱかりと開く。

 「ようこそお客人、私に何の用だ?」

 存外な口調で少女は不機嫌そうに、自らを訪ねてきた客に向かって言い放った。

 その声は華奢な見た目から掛け離れた低く、強く、そして少々乱暴な物だった。

 その声に、見た目だけで儚い印象を持っていた数人が目を見開いた。

 ただ一人、ベールの下で爛々と輝く紅玉の瞳をまっすぐ見つめていた王子は動じずに口を開く。

 かつて王と王妃とその仲間達が封じた魔界の最奥に繋がる扉が開きかけており、自分達はそれを塞ごうとしている事を。

 自分達には仲間が必要である事を。

 高名な魔術師の娘である彼女に、力を貸してほしいと言う事を。

 それらを要領悪く伝えられた喪服の少女は、ふむ、と一つ頷いた。

 「成る程、話はわかった……だが、私は手を貸せん、他を当たるがいい。魔術師なんぞ、そこらじゅうにいくらでもいるであろう?」

 そっけなくそう言って喪服の少女はそっぽを向いた。

 もう帰れ、とでも言っているような喪服の少女の雰囲気に、王子の仲間の数人が不満顔を彼女に向ける。

 「そう怒るなよ、ひよっ子ども。勝手に押しかけて無理を言ってきたのはそちらではないか」

 その不遜な声に数人の若者が怒りと殺気を露わにするが、王子が無言で片手を上げて制止する。

 「お前は道理をわきまえているようだなあ……さあ、疾く去ね。フローラ、お客人をお送りしろ」

 喪服の少女はシッシと右手を振って、本に視線を戻し、ページを捲る。

 もう部屋の中にいる若者たちの事なぞ、眼中に入っていない、と言った様子だ。

 そのあんまりな対応に、先ほどまで殺気立っていた若者たちも、流石にあきれ返った。

 こんな無礼な女、仲間に引き入れるなんて大間違いだった。

 ほとんどの者がそう考え、さっさとこの場を立ち去りたい、そう思っていたのだが、1人だけ若い王子が、喪服の少女に向かって一歩踏み出した。

 「お願いだ、力を貸してくれ」

 透き通るようなテノールの声に喪服の少女は鬱陶しそうに本から視線を外し、王子の顔をベール越しに睨み付けた。

 「……どうしても、か?」

 「どうしても。魔法使いは、君がいい」

 喪服の少女は王子の目を、幼い頃に一度だけ会った事のある少年の青玉の目をじっと見つめて――溜息を一つだけついた。

 「……なれば、一つ話を聞け。その話を聞いてまだ私の手を取ろうというのなら……その時は、少しは考えてやってもいい」

 喪服の少女はそう言って、うっすらと口元に笑みを乗せる。

 本を閉じ、右の山の頂上にそっと置く。

 そして行儀悪く座っていた机から降り立ち、始めてこの屋敷を訪れた者達と正面から向き合いながら、喪服の少女は口を開いた。

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