【恋文】京都に恋して、京都で恋して
千葉七星
四季折々「京都」から届く——恋文✉️
🌸——これより春——🎏
【立春】「哲学の道」ー会いたくて
【立春】それは「二十四節気」のはじまり。そして一年のはじまりでもあり、旧暦の正月をさす。
立春を迎えた京都は、「暦」の春には程遠く今日も朝から粉雪が舞っていた。
『慈照寺銀閣寺』口から南に疎水が延びている。かの哲学者「西田幾多郎」が愛した小径が疎水に沿って南は『南禅寺』近くまで続いている。
それは『哲学の道』と呼ばれ、今では京都を観光する者は必ずルートに入れるだろう場所だった。
立春は中国では「春節」つまり旧暦の正月である。よって今日もきっとこの場所は大陸から来た観光客で埋まるのだろう、と
香月は吉田山の麓に六畳一間のアパートを借りていて、毎朝七時過ぎに起きて、このあたりまで散歩に来るのが日課だった。
しかし、今日はその日課の上に「特別」がつく日でもあった。いや、そう思っているのは自分だけで、誰もそんな「特別」には関心もなく、もしもそれに関心を持つであろうとすれば、
彼女は昨年の春に香月と同じ大学を卒業し、故郷の中国に帰っていった。香月は大学には研究の為残り大学院へと進んだ。
李桂花と香月は三年の月日、ずっと恋人同士でいた。
しかし、桂花の両親は、たった一人の娘を日本という国に置いては呉れなかった。桂花は育てて呉れた両親の言葉には逆らえず、昨年の初春まだ肌寒い頃に香月のもとから去っていった。
彼女は別れ際に言った。
——来年の春節の朝、またあの場所で一緒に散歩したいな。
それは、約束ではなく、彼女の薄い望みのように聞こえたので、香月も待ってるとは言えなかった。
春節と言っても、今日は日本で言う「元旦」でこの日を指して彼女が言ったのか、それとも「春節休み」に、という意味だったのか、それすら分からない。
だから、香月が勝手に今日一日だけを「特別」と定めて、今日会えないならもう明日は「特別」とは思わないでおこうと決めていた。
それは、桂花が自分の前から居なくなって、毎日が空虚で抜け殻みたいになってた自分を辛うじて支え続けた一縷の望みみたいなものだった。
香月は桂花が好きだった椿色の番傘をさして出てきた。傘をさすほどの雪でもないけれど、この椿色の傘なら遠くからでもきっとすぐに自分だと分かってくれるだろうと思ったから。
いつもの時間に出て来て、「哲学の道」まで来た時はもう腕時計の針は八時を指していた。まだ、地元の人々がぱらぱらと歩いているだけで、観光客の姿はなかった。
春になると、疎水べりの桜が一斉に咲き誇り、疎水の川面を桃色の花びらが流れていくのをベンチに座って桂花とずっと眺めていた。
春がほんの一週間ほども進めば、そこはピンクの絨毯となる。気まぐれに吹く春の風が桜吹雪を舞い起こし桂花は両の手の平でそれを掬い取っては香月に見せて微笑んだ。
香月はそのうちの一枚を取り上げ「六法全書」に挟さんで残した。
きっと今でも、「刑法」のどこかのページに残っているはずだ。
そのベンチは薄っすらと雪に覆われていた。
春風に髪を靡かせそこに座っているのは時間を忘れるくらいだけれど、真冬の京都の底冷えは厳しく、そこに座って風情を愉しむことなんか誰もしないだろう。
香月は自分が座るところだけ雪をかき落とし、冷えた両手をダウンジャケットのポケットに突っ込んで、腰掛けた。
来る道、自販機で買った二本の缶コーヒーをカイロ代わりにすると、少しばかりほっこりした。
いつか、油蝉が忙しく鳴く真夏の日に、桂花がココで言ったのを思い出した。
——このベンチって、「北風と太陽」みたいだね。
——ん?
——だって、ココに夏とか冬に座ってるって、「我慢くらべ」みたいなもんじゃない?
「北風と太陽」の話の意味とチョット違ってたけど、あの時自分は真夏の太陽にも負けない桂花の眩しい笑顔に向かって頷いたんだ。
——そうだよなっ
そんな思い出を三年分蓄えたこのベンチは僕たちを覚えてくれているのだろうか。そんなことを考えていると、やっぱり自分はまだ桂花が大好きなままなんだなと、香月はカクカク震える両膝を抱いて想った。
——ああぁー、もう限界。
きっと唇は紫になって、鼻水なんかは
京都の冬を愉しみに来た観光客の一団が、旗を持ったガイドを先頭に南の方からやって来るのが見えて、香月は椿色の番傘を開いた。
いま、ココを去っても誰も咎めはしないだろう。ましてや、なんであともう少し待ってやれないんだ、とか、お節介なことも言われないだろう。
香月はポケットの冷え切った缶コーヒーの一本を取り出してプルタブを引いた。
——(この缶コーヒー飲み終わるか、あの観光客の一団がココにやって来るか、どっちか早い方で、見切りをつけよう)
そんな未練じみた時間稼ぎをする自分が女々しかったけれど、やっぱりドラマチックに今日が「特別」な日に格上げされるのを信じたかった。
どんなに、ちびりちびりと飲んでも、缶コーヒーの中身はすぐ底尽きた。
——(もう一本あるぜ? )
そんな意地悪い声を蹴散らして、香月は観光客の一団に背を向けた。
振り返りはしなかった。そうすれば、またアソコに戻りたくなってしまうから。
陽が高くなるにつれ粉雪がボタン雪に変わり、靴が雪を踏んでも、キュッとは鳴かなくなった。
けど、香月の胸は溶け始めた雪を踏むたびにキュッ、キュッって哭いていた。
——(会いたいよ……)
なんで、一年前のあの日、その一言が言えなかったんだろう。
失くしたものの大きさに気づくのは自分の心がポキポキ折れてしまった後で、その痛みが一層後悔に拍車をかける。
——(ドラマみたいに、奇跡なんて起きないんだ)
Happy end なんて……ないんだよ——、そんな呟きをグレーな空に向かって吐きかけた。
カーツーキ……。
小さな声が聞こえる。
聞き慣れた声だけど、懐かしい——声。
どんどん大きくなる
夢じゃなくて、ドラマでもなく、あの娘が僕の名を呼んでいる。
グレー一色だった冬空に陽光が射して、足もとの雪に反射して眩しかった
カァ!——ツ!!———キィ————!!!
【立春】「哲学の道」ー了
千葉七星
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