悩みと決意

「魔法使い……」

「はい。魔法使いです」

 意を決した表情で見つめてくる彼女の青色の瞳に、剛司は吸い込まれそうになる。

「で、でも魔法使いって……」

「信じて……くれますか?」

 彼女の問いに剛司はカップをソーサーに戻し、熟考する。

 剛司の想像していた魔法使いは、もっと陰気で全体的に暗い印象があった。黒いマントをはおっていて、黒いとんがり帽子をかぶっていて、年齢ももっと歳をとっているはずだと。

 でも目の前の彼女は、そんな剛司の想像と異なる出で立ちだった。

 爽やかなミントブルーの生地を使用したキュートなワンピース。胸元には純白レースのリボンがあしらわれている。一言で言えば森ガール。木々をかき分けて進んだ先に忽然と屹立する、このログハウスの雰囲気にぴったりな服装を身にまとっている。魔法使いとは思えない恰好だ。

 正直言うと、魔法使いなんて空想上の生き物だと剛司は思っていた。でも目の前の彼女や起こった出来事を振り返ると、妙に納得がいく。ストンと腑に落ちる。

「……信じるよ」

 剛司は彼女の発した言葉を信じることにした。

 彼女は自分のことを魔法使いと言った。普通の人間から考えれば常軌を逸した発言。そんな発言を信じる人はほとんどいないかもしれない。だけど、彼女は勇気を出して自分に伝えてくれた。彼女は、震えながらも精一杯の声で自分のことを伝えてくれた。勇気を振り絞って自分に伝えてくれたはずだ。そんな彼女の気持ちを考えれば、信じないという選択肢は剛司にはなかった。

「ありがとうございます」

 彼女の顔に明るい笑顔が戻った。

「そ、それじゃ靴が光を放ったのも、魔法が関係してるの?」

「はい。たぶんそうだと思います。この家に入るための鍵になっているので」

「鍵?」

「はい、鍵です。それについて説明するには、まずは私達のことを知ってもらったほうが早いと思うので、説明しますね」

 剛司が頷いたのを確認し、彼女は続けた。

「私達魔法使いは、この人間界の様々な場所で仕事をしているんです。その中で私が任されている仕事が、この場所で空からの贈り物を拾って持ち主に返すことなんです」

「贈り物?」

「あ、すみません。落とし物ですよね。いつも贈り物と言ってたので」

 そう言った彼女は視線を部屋の隅に移す。彼女の視線の先を辿ると、複数の靴が綺麗に並べられていた。

「私が今まで集めた物です。あちらには靴がたくさんありますが、その他にも手袋や靴下、指輪やイヤリングなどのアクセサリー関連の小物も拾ったことがあります」

 剛司は席を立つと、彼女の視線が注がれる部屋の隅に近づいた。床には靴が置かれ、近くにあった棚には彼女の言葉通り、手袋やアクセサリーが置かれている。

 靴に視線を戻した時、剛司はとあることに気づいた。

「あれ? でもこの落とし物って全てしかない」

 靴はどれも片方だけしかなく、戸棚にある手袋やアクセサリーも全てブランドが異なっていた。

「そうなんです。もう気づいたと思いますけど、私が拾う落とし物は、対になるものなんです。対になるものを持ち主の方が持ってきてくださると、初めてこの部屋への鍵が開くようになっているんです」

 剛司は理解した。土曜日はログハウスに靴を持ってきていなかった。車内に靴を置きっぱなしにしていた。だからずっと待っていても誰も来ないし、鍵も開かなかったんだと。

「靴が光ったのは、私も初めて見ました。おそらくこれが、持ち主と会えるサインになっているんだと思います」

「もしかして、今まで持ち主が取りに来たことってないの?」

「はい。あなたが初めてです。だからとても嬉しかったんです。空からの贈り物を取りに来てくれる人が現れて」

 彼女はキラキラと目を輝かせ剛司に微笑む。そんな彼女の期待に応えることができて、剛司は嬉しくなった。

「でも、どうしてあなたは取りに来たんですか? 今まで誰も取りに来なかったのに」

「それは……」

 彼女の疑問に剛司は言葉に詰まった。床に並べられた靴をはじめ、多くの落とし物を剛司以外の人達は取りに来ていない。彼女の疑問に対する答えを剛司は知っていた。

 人間は無くなれば新しいものを買って補充してしまう。それで事足りてしまうのだ。ずっと使えるものも、手元からなくなったら消耗品と同じ扱い。無くなったら面倒だから買えばいい。おそらく取りに来ない人達は、帰り際にディスカウントショップで代わりのものを購入したはずだ。だから、いくら彼女が待っても取りに来る人は現れなかった。

 でも、剛司は違った。取りに来ない人達とは決定的に違うところがあるから。

「……僕にとって、その靴は大切なものだから」

「大切……ですか?」

「うん。その靴は友達が、誕生日にプレゼントしてくれた靴なんだ。それにこの靴には他の靴とは違う、大切なものがたくさん詰まっているから」

 皆と一緒にいろんなところに遊びにいった。ツリークライミングにラフティング、ボルダリング等。さまざまな遊びをする際に、剛司が履くのはいつもこの靴だった。それは今回のパラグライダーも例に漏れない。始めは怖かったパラグライダーも、この靴を履いていたおかげで勇気を持つことができた。いつも自分に力をあたえてくれている。いつも自分を鼓舞してくれる。それくらい剛司にとって、この靴には大切な思いが込められている。

「僕にとってこの靴の代わりはないし、手元になくてはいけない物。だから取りに来たんだ」

 剛司の言葉が彼女に対する答えになっているかはわからない。だけど、剛司は自分の思いが伝わるように彼女に伝えた。

「あなたの靴に対する気持ち、すごく伝わってきました」

 彼女は笑顔で話を受け入れてくれた。どうやら伝わったみたいで剛司は安堵する。

 テーブルに置かれた靴を手に取った彼女は、剛司にそれを差し出した。

「この靴、お返しします」

「ありがとう」

 剛司は彼女から靴を受け取る。四日ぶりに戻ってきた大切な宝物は以前と変わらず、剛司の気持ちを高鳴らせた。もう片方の靴と合わせてリュックサックにしまう。

 目的の物を受け取ったことで、緊張の糸がほどけたのかもしれない。剛司は目の前の彼女に視線を移す。俯きながらもローズヒップティーを口に含んでいる彼女は、自らを魔法使いと言った。どんな魔法が使えるのか、魔法使いの世界とはどんな世界なのか。色々と聞きたいことが膨れ上がっていく。剛司は彼女の仕事について聞いてみたくなった。

「僕の方から質問してもいいかな?」

「は、はい」

「仕事のために来ているのはわかったけど、どうして空からの贈り物なの?」

 別に空じゃなくてもいいはずだし、仕事なんてもっと別のものがあると剛司は思う。

「実は、私もはっきりとした理由はわかっていません」

「どうして?」

「私達の仕事って、魔法界にある教育機関の一番偉い人が決めているので。それに従ってこのログハウスを拠点に仕事をしてるんです」

「この場所も偉い人が決めたの?」

「はい。人間界に行く魔法使いに、偉い人がそれぞれの活動拠点と滞在中の仕事を与えてくれます。私達はそれに従って仕事を行っていくんです」

「他の魔法使いはどんな仕事をしているの?」

 彼女の表情が曇る。

「それは……わからないです」

「どうして?」

「他の魔法使いと、干渉しないようにしているので」

「そんな決まりがあるの?」

「いえ。決まりではないんですけど、それが今までの習わしと言いますか。言い伝えでもあるので」

 魔法使いの世界にも色々とルールがあるみたいだ。彼女は続ける。

「でも、多くの魔法使いが人間界で行う仕事のほとんどが、高等学校に通うことだと母から聞いたことがあります」

「お母さんも人間界で仕事してたの?」

「はい。全員が一度人間界に行くのが決まりなので」

「そうなんだ。でも、なんか不自然だよね?」

「不自然……ですか?」

 剛司の疑問に彼女は小首を傾げる。

「高校に通ってる魔法使いが多いなら、みんな同じにすればいいのに。どうして仕事の種類を変えるのかな?」

「それは……私がいけないので」

「それってどういうこと?」

 彼女はぎゅっと拳を握ると、剛司の目を見て言った。

「そもそも、魔法使いって何ができると思っていますか?」

「うーん」

 剛司は考えてみる。もし魔法を使えたら。想像するだけで、わくわくが止まらない。

「魔法でいろんなことができるかな。例えば料理に洗濯。それに掃除や探し物を見つけたりもできる。あと、空を飛べるよね」

「そうです。魔法使いは一〇歳になるまでに、全員が空を飛べるようになるんです」

 パラグライダーで空を飛ぶことの楽しさを味わった剛司にとって、自由に空を飛べるのは羨ましい限りだ。

「でも、私は未だに空を飛ぶことができないんです」

「えっ? でも、一〇歳までにみんな飛べるんじゃないの?」

「……例外もあるんです。私のように」

 彼女は微笑みを浮かべた。しかし、その表情には哀愁が漂っている。

「私は空からの贈り物を集めて、それを持ち主に返すことが仕事と言われました。本当はこの仕事は簡単なことなんです。落としたものを拾ったら、すぐに空を飛んで返しにいけばいいだけなので」

「魔法で返せないの?」

「人間界では魔法を使ってはいけないんです。人間界のルールで生活をしていかなくてはいけないので」

「それじゃ、空を飛ぶことは駄目なんじゃないの?」

 魔法が使えないなら、空を飛ぶことだって同じことだと剛司は思う。

「はい。でも、私には空を飛ぶ許可が下りたんです」

「どうし――」

 聞かなくても剛司にはわかることだった。彼女は空を飛ぶことができないと言っていた。つまり魔法界の偉い人は、それがわかったうえで空を飛ぶ許可を出したことになる。

「なので私、思うんです。偉い人が欠点を克服するような仕事を、私に用意したんだと。他の魔法使いの人達は、欠点がない人が多い。だから高等学校に通う人が多いのかなって」

 彼女の考えている通りなら、今まで聞いたことに矛盾はないと剛司は思った。空からの落とし物を集めることを仕事にした、偉い人の考えもわかる気がする。

「もし欠点を克服できなかったら、どうなるの?」

「どうもならないと思います。魔法界に帰るだけ」

 彼女は淡々と剛司の質問に答えた。先程までとは違い、強い口調で話す彼女に剛司は竦む。


「でも、私はこのまま何もできずに帰りたくないんです」


 今日一番の大きな声で彼女は言い放った。彼女の言葉が、剛司の胸に深く響く。

「小さい頃からずっと飛べないことで、私は色々と言われてきました。その時にいつも助けてくれたのは母でした。なのでこの人間界にいる間に、空を飛びたい。苦労をかけた母を安心させてあげたい。私は、変わりたいんです!」

 彼女の強い意志が剛司に伝わってきた。それは今まで自分もいろんなことから逃げてきたからなのかもしれない。彼女の変わりたいという思いは自分と同じなんだ。人間と魔法使いという違いがあるだけで、変わりたいという意志は剛司も彼女も変わらない。誰もが持っている思いなのかもしれない。

「なら、変わろうよ」

「えっ?」

 彼女だけでなく、剛司も自分で発した言葉に驚きを隠せなかった。思っていたことが自然と口から漏れていたから。その勢いに任せて剛司は続ける。

「空を飛べるように頑張ろうよ。僕も協力できることがあるなら協力するから」

「どうして……どうしてそこまでしてくれるんですか?」

 彼女は剛司を警戒していた。初対面なのにも関わらず、ぐいぐいと人の心に土足で入り込んでくる剛司の気持ちが理解できなかった。

「それは……」

 剛司は冷静さを取り戻し、勢いで発した言葉の意味を考える。でも、既に剛司には答えが見えていた。彼女の目を見てはっきりと言う。


「靴を拾ってくれたこともあるけど、何より空を飛ぶ楽しさを感じてほしいと思ったから」


 パラグライダーで体験した未知なる空間は、剛司の中から怖さを吹き飛ばしてくれた。もともとは剛司も彼女と同じで怖い気持ちを抱いていた。でも、実際に飛んでみると怖さは全く感じなかった。いつの間にか高揚感に満たされていて、空を飛ぶ楽しさを知ってしまった。空は怖い場所ではない。空への憧れを失ってほしくない。それを彼女に知ってもらいたいと剛司は思う。

「どうして、空を飛べないのか。理由ってわかる?」

「……はい。わかります」

「教えてくれる?」

 剛司の問いかけに、彼女は恥じらいを隠すように俯いた。

「その……笑わないでくださいね」

「うん。僕は笑わないよ」

 剛司に視線を向けた彼女は、ゆっくりと話始めた。

「昔、魔法界で空を飛ぶ授業があったんです。箒にまたがって空を飛ぶ。最初は私もできていました。でも、とある空を飛ぶ授業の時に吹いた突風に煽られて。焦ってしまった私はコントロールを失いました。そのまま高い場所から落ちてしまって」

「だ、大丈夫だったの?」

「はい。その時は先生が助けてくれましたから。でも、それ以来高い所が怖くて……」

「それって高所恐怖症ってこと?」

「……はい。それもありますけど、箒で飛ぼうとすると手が震えてしまうんです」

 小さい頃のトラウマは、彼女の心にずっと居座ったままだった。流石に剛司がどうにかできる問題ではない。

 剛司は暫く熟考する。会話が飛び交っていたログハウス内に静寂が訪れる。部屋にある鳩時計の振り子の音が空間を支配する。彼女は俯いたまま、握り拳をつくっていた。

 彼女は変わりたいと言った。剛司と同じ気持ちを持ち合わせている彼女に、剛司ができること、力になってあげられることを考える。

「箒じゃなかったら、大丈夫かな?」

「えっ?」

 剛司の脳内に一つの案があった。これなら彼女のトラウマを取り除けるかもしれない。

「なら、パラグライダーをやろうよ」

「ぱ、パラグライダーですか?」

「そう。近くの崖からパラグライダーで空を飛ぶことができるんだ。知ってる?」

「……知ってます」

「タンデムフライトっていうのがあって、操縦してくれる人がいるからさ」

「で、でも、私……無理なんです」

「どうして? パラグライダーは安全だよ。それに、本当に空を飛んでいる気分を味わえるから、高所恐怖症だって直るかもしれない」

 怖いという気持ちを塗り替えることができる体験。それがパラグライダーだと剛司は思っていた。実際に自分で体験してみて、変わることができたから。彼女だって変われるはずだと。

 しかし彼女は首を振って俯きながら呟いた。

「私……人間と接するのが、苦手なんです」

「で、でも、さっきから僕と話せてると思うけど」

 丁寧すぎると言いたくなるくらい、彼女の言葉は綺麗だと剛司は思っていた。

「そ、それは……ずっと練習してたので」

「練習?」

「……ここに取りに来てくれた人と話せるように、ずっと練習してたんです」

「そうなんだ……」

 予想外の所で躓いた剛司はどうすべきか熟考する。考えてみれば、彼女は魔法使いだ。それに他の魔法使いと違い、高校にも通っていない彼女は人と接する機会がほとんどなかった。いきなり見ず知らずの人を頼れと言っても無理がある。

「……僕とは話せるんだよね?」

「は、はい……あなたは優しい方だと知っているので」

 彼女の言葉に剛司は心を揺さぶられる。赤面しているのが自分でもわかるくらい、頬が熱くなった。

「えっと……今週の土曜日って開いてるかな?」

「あ、空いてますけど……」

「ちょっと近くの街まで、一緒に買い物に行こうよ。人混みに慣れて、いろんな人間を知って。それからパラグライダーに挑戦しても遅くはないと思うんだ」

 まずは一歩ずつ、進んでいくことから始めようと剛司は思った。どんなに時間がかかっても、絶対に変わることはできるはず。

「……わかりました。よろしくお願いします」

 彼女は律儀にお辞儀をした。そんな彼女の目の前に、剛司は手を差し伸べる。

「名前聞いてなかったよね。僕は梔子剛司くちなしつよし

「わ、私は……空美憧そらみあこです」

 剛司は彼女と握手を交わした。彼女の手は思っていた以上にとても冷たかった。

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