パラグライダーってどんな味?

「到着!」

 最後のフライトを選んだ亮が空から舞い降りてきた。

「どうだ。見たか。華麗なる俺のランディングを」

 青羽と一緒に降りてきた亮は空に人差し指を向け、ポーズをとっていた。

「やれやれ。チャラ男……っていうより、もはやガキっぽいな」

 そう言いつつも、光はカメラを亮に向けた。

「でもさ、ある意味持ってるよな。俺、笑っちゃったよ」

「確かに。自分もまさか亮が三回もフライト中止になるなんて」

 先に飛んだ三人のテイクオフは一回で成功した。しかし亮が飛ぶときだけ、風が悪戯をするように吹き荒れ、青羽は何度もストップと告げていた。その結果、亮だけがテイクオフの失敗、パラグライダーでよく言われているスタちんを経験することになった。

「しかも足ピン」

「そうそう。足ピンだよな。自分、動画撮影に成功しました」

 朋と光の笑い声が響き渡る。その様子を見ていた亮が二人の元に駆け寄った。

「何笑ってるんだよ」

「だって。だって足ピンが……クククッ」

 ついに腹を抱えて笑い出した朋に、亮は渋面をつくっていた。

「足ピン?」

「自分、動画撮ったから見てみろって」

 光に促され、亮は自分が映っている動画を確認する。

「よく撮れてるじゃん……って、足ピンってこれのことかよ」

「そう。この足ピン……ってかもはや全身ピンと言ったほうが……クククッ」

 耐え切れなくなった光も口に手を当てて笑う。

 光の撮った動画には、テイクオフの瞬間からランディングまでの一連の流れが収まっていた。動画にはランディング一分前の旋回時からずっと足ピン状態の亮が映っている。

「いや、光や朋だって」

 他の動画を確認する亮は自分との違いを見比べる。

 そして足ピンもとい全身ピンと言われている理由を、亮は完全に理解した。他の皆はハーネスに身を委ねており、膝が曲がっているのでそこまで不自然ではない。しかし亮は、もはや身体全体が地面と垂直になる姿勢だった。つまりハーネスに上手く座れていなかったのだ。

「どんまい。全身ピン」

 朋が亮の肩をポンッと軽く叩く。亮は顔を真っ赤に染めながら、先程からずっと会話に入ってこない剛司と向き合った。

「そ、それより剛司。お前、靴どうするんだ?」

 話の矛先を変えた亮が剛司に話を振る。しかし剛司は、崖下に落ちた靴のショックを拭えていなかった。

「そうだね……」

 剛司は俯いたまま小さく呟いた。

 あれだけ大切だと豪語しておきながら、崖下に靴を落としてしまうとは。もしかしたらテイクオフポイントに踏みとどまっていると思った、安直な自分がとても許せなかった。

「剛司君。靴のことなんだけど」

 機材をまとめ終えた青羽達スクールのメンバーがこちらにやってきた。青羽が話を続ける。

「もし代えの靴がないなら、ここに来るときにディスカウントショップがあっただろ」

「あ、ありましたね」

 光が青羽に呼応する。大型店があまりない周辺に、唯一あった大きなお店だ。

「落とし物した人は、みんなあそこに買いに行くんだよ。靴やアクセサリー、冬場だと手袋とかが多いかな。やる前に必ず忠告するんだけど、意外と聞かない人が多くて」

「今回って忠告なかったような……」

「申し訳ない。今回は俺のミスだ」

 光の指摘に青羽が頭を下げる。それと同時に周囲にいた友恵をはじめ、新見や足立、それに深川までもが頭を下げていた。

「その謝礼というわけじゃないんだが、今回のフライト代を全員二割引しようと思っている」

「に、二割引ですか!」

 光の声が上擦る。今回、タンデムフライトの料金に一人当たり八千円掛かる予定だった。それが二割引となると、普通の靴が一足買えるお金が戻ってくることになる。

「ああ。なるべくお客さんとはフランクに接したいと思って、とにかく楽しい体験会を目標に開いているんだが。忠告すべきことを忘れてしまうのは、商売人としてやってはいけないこと。だからせめて靴を買う足しにしてくれたらと思ってる」

 言い終えた青羽は剛司に視線を向ける。皆の視線も青羽に続いて、剛司に注がれる。

「どうかな? 剛司君」

 青羽の話を受け、剛司は直ぐに口を開いた。

「すみません。そのお話ですけど、遠慮させていただきます」

「……理由を聞いてもいいかな?」

 青羽の問いに剛司は頷いた。

「僕にとってあの靴は、ここにいるみんなとの思い出の品なんです。代えがきかない、たった一つの靴なんです。だから……」

 剛司の脳裏に、車内での会話が蘇ってくる。

 皆にこれだけは譲れないという思いをぶつけた。自分にとってとても大切で、皆と一緒にいる時に履いているのが一番だという思いを。亮には魔法みたいなことを言うなと言われた。でも、魔法みたいな奇跡だって必ず存在する。皆からもらった靴は、本当に自分を勇気づけてくれたから。今日のパラグライダーだって、普段なら無理だと決めつけて断っていた。それでもこのメンバーがいたからこそ行こうと思った。あの靴を履いていたから、重かった一歩も軽くなった。自分も変わるんだって思えた。だから――。

 剛司は青羽に向かって言った。

「靴は買わずに、探しに行きたいと思っています」

 青羽をはじめこの場にいる全員が、剛司の発言に呆気にとられていた。

 ランディングゾーンに一陣の風が吹き荒れる。先程まで穏やかだった風が、まるで暴れたくてうずうずしている。そんな風だった。

「……だよな。探しに行こうぜ」

 沈黙を破ったのは亮だった。

「そうだね。剛司の大切な靴だもんね」

「自分達の手で見つけるとしますか」

 朋も光も剛司の思いに応えてくれた。思わず剛司の涙腺が緩んだ。

「そうか。剛司君の気持ち、確かに受け取ったよ。でも、本当にいいのか?」

「はい。今回は決して青羽さん達だけが悪いとは僕は思っていません。僕自身、飛ぶ前に靴紐をもっと固く結んでいればよかったんです。現に他のみんなは靴が脱げていません。僕が悪かった部分もあります。それに」

 剛司は空を見上げた。澄み切った青空が今でも上空に広がっている。

「最高の思い出を青羽さん達はくれました。靴は残念でしたけど、それだけで今は十分です」

 そして最後に変わろうと決心させてくれたのは、他でもない青羽や友恵との会話だった。

 剛司にとって、あの靴は出会いまで運んでくれた。こうして様々な奇跡がめぐり合って、今の自分がある。だからこそ、靴を探しに行かないという選択肢は微塵もなかった。

「わかった。それじゃ、俺が崖下の場所まで案内する。とりあえず車の場所まで戻ろうか」

「はい。ありがとうございます」

 剛司達はランディングゾーンを後にして車に乗り込んだ。

 事務所に戻るまでの道中、車内の雰囲気は行きとは全く違っていた。

 助手席に座った亮が深川と会話を交わしているが、行きみたいに騒いでいない。深川の運転も穏やかで優しさを感じた。

「剛司君。パラグライダーの味はわかってくれたかな?」

 剛司の後ろに座っていた青羽が話しかけてきた。飛ぶ直前に同じことを聞かれたのを思い出した剛司は、今思っていることをそのまま答えた。

「一度始めたら、やめられなくなる。やみつきになる味ですね」

「正解だ。また来てくれよ。待ってる」

 そう言うと、青羽は剛司の前に拳を突き出した。剛司は満面の笑みを作って、同様に自分の拳を青羽の拳にコツンとあてた。

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